読書の記録

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生きながらえる術

2019年08月05日 | エッセイ・随筆・コラム

生きながらえる術

鷲田清一
講談社

 さいきんブリコラージュの言及をよく見かけるなあと思っているのだがこれもそうだった。
 もしかしたら、今日にあって「生きながらえる術」とは「ブリコラージュできること」なのかもしれない。

 「ブリコラージュ」の思想は、単に”そこにあるあり合わせでつくる”だけではない。発想を応用させれば、自分も”ブリコラージュされる一要員”と考えることも可能だ。これこそが本書にも出てくる「横請け」にほかならない。
 つまり、そこにいる仲間同士の異質ながら対等の関係知の中でものをつくっていく。このとき、あなたはブリコラージュの一要員である。それでいいのだ。それが持続可能で脱消費な生産行為であり、社会なのである。

 そして、結論からの逆算だけでなく、”今ここにあるこれらで何がつくれるだろう”という感覚、転じて”今ここにいる仲間たちならば何ができるだろう”という発想。これがアーティストの術となる。また、「置かれた場所で花を咲かせろ」「手持ちのカードで勝負しろ」という格言とも人生訓ともいえるものがあるが、これもブリコラージュの価値観の範疇だ。

 これらを総合するに、「生きながらえる術」とは「今ある環境を上手に使う術」ということである。この環境には社会環境、人間環境、自然環境、その他幾多の環境があるが、五輪書も孫子も自衛隊のレンジャー部隊もボーイスカウトの自然塾もみんな同じことを言っているような気がする。


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