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教養としての世界史の学び方

2019年08月03日 | 歴史・考古学

教養としての世界史の学び方

山下範久 編著
東洋経済新報社

 

 本書は大学初年次の学生にむけての「世界史のリテラシー」を身に着けるための本とのことだが、なかなか骨のある内容だった。「大学初年次」ではなかなか難しいかもなあ。とくに後半部分。国公立大学やセンター試験の受験科目で「世界史」をとった人ならばなんとなく言わんとすることはわかる、くらいかもしれない。

 本書の主旨は、世に流通している「世界史」の多くは「西洋史観」であるということへの批判と検証だ。「西洋史観」というのは、日本も含むアジアは西洋すなわちヨーロッパと相対的に位置するものとして認識され、評価されているということである。これが意味するのは、スタンダードなのはヨーロッパの歴史の歩み方であり、それとは違うアジアの歴史は「遅れている」とか「亜流のもの」という見立てである。これは偏った世界の歴史のとらえ方であることを本書は指摘する。

 もっとも、世界史の見立てが西洋史観に毒されたものだという指摘は、決して目新しいものではない。近代以後の思想界におけるメインストリートのひとつといってもいいくらいだ。

 にもかかわらず、文部科学省が認定する中学や高校の世界史の教科書はヨーロッパ史が中心である。
 文明の登場こそ四大文明から始まるが、その後はおおむねヨーロッパを中心とした歴史が記述され、大航海時代になってアジアやアフリカに進出していく。やがてアメリカ大陸への移住となる。第一次世界大戦後にロシア革命がおきて、共産主義のソビエト連邦が成立し、第二次世界大戦が終わると米ソによる東西冷戦という形をとるようになってヨーロッパの影はうすくなるが、これも経緯を逆算するとヨーロッパに端を発しているわけで、世界史というのはヨーロッパを軸に語ると整理できるという編集方針になっている。

 厳密に言うとは中国の歴史については別途ページを割いている。近代以前においては中国の歴史は、ヨーロッパの歴史とは別章として編集され、シルクロードなどの相互影響については部分的にしか触れられない。近代以降は列強によって進出、支配、抵抗という歴史として描かれる。つまり、中国は欧州とは別途独立した歴史を歩んでいたが近代に入って欧州に飲みこまれたという流れとなる。

 ざっくり言うと、ヨーロッパのセオリーがいかに独自文化を持っていたアジアやアメリカに波及し、現地の抵抗や変容のすえ、ついには現代のグローバルスタンダードになったかというのが教科書のメインストーリーである。

 

 近代以降のヨーロッパ、アジア、アフリカ、南米アメリカ、オーストラリアもふくめた歴史の流れをどうつかむことが適切か、ヨーロッパを中軸とした見方で本当によいのか、さらにはそういった世界の動きに日本はどう位置付けるべきかなども含め、世界史をどう学ぶかについての文科省学習指導要綱は、2022年度に「歴史総合」として大改訂されることが決定している。「歴史総合」の中には「日本史」も含まれる。
 ややいまさら感があるとはいえ、このことは評価されていいと思う。

 他の国ではどうなっているのかわからないが、現時点での日本における中学と高校の社会科は、「日本史」「世界史」「地理」「公民」と分かれている。科目が別だから教科書も別であり、多くは指導教員も別であり、それぞれに何単位必要かということが文科省から指定されている。

 しかし、この4科目は相互に関連している。それどころか、関連している接点こそが実はこの社会を知る上で肝要だと思うが、大学受験の事情などからどうしてもそれぞれごとにバーチカルに学びがちだ。2022年度の「歴史総合」によって、近代史以降の世界史と日本史が共通化するのはいいことだと思うが、ぼくは「地理」と「世界史」も分かちがたく結びついていると考えており、中学や高校の時点でこの観点を持っておくことも大事なのではないかと思う。地理的な気候風土が歴史に与える影響はバカにならない。梅棹忠夫の文明の生態史観などもうだいぶ古い仮説になってしまったが現在でも一定の説得力があるし、直観的にわかりやすいからか中学生に説明すると目を輝かす。

 また「世界史」における各国の行動原理には「公民」で扱う「倫理」が大きく関係している。そもそも「西洋史観」の正体とは、ヨーロッパにはびこった「西洋倫理」にほかならない。ここらへんのダイナミズムも学生のうちに是非知ってほしいところである。

 つまり「社会」という科目の領域をメタで眺める目線である。

 

 小学校までは「社会」の名で統一され、具体的にはそのなかで地理的なテーマと日本史的なテーマが扱われる。これが中学生以降になると科目ごとに細分化していく。だけれど、中学や高校でも、日本史ー世界史ー地理ー公民を俯瞰するような科目があれば、この「社会」を見つめるリテラシーはだいぶ深みが増すのではないかと思うのである。個別の「日本史」「世界史」「地理」「公民」についても理解が早くなると思う。

 オトナになって池上彰の解説でそうだったのかと目ウロコするのはもったいない。


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