スヌーピーたちのアメリカ 広淵升彦
おなじみスヌーピーやチャーリーブラウン、実は単なるグッズ・キャラクターではない。1953年から2002年まで長く続いた「ピーナッツ」というタイトルの新聞連載まんがである。それも子供向きどころか実に大人向きで、それぞれの登場人物には細かに人物設定があり、そこでの出来事や会話が実に味わい深く、示唆に富んで意味深であり、実はアメリカ現代文化を語る上で外せないもの--要するに単なるかわいい犬と子供たちだけだと思ったら大間違いーーなんてことは、日本でもだいぶ知られてきた。しかし20年くらい前までは、本当にスヌーピーの日本での社会の受容は、ハロー・キティと同じように、グッズ・キャラクターのそれ、としか認識されていなかった。
この「ピーナッツ」の世界、もちろんファンは昔から知っていて、カルト的な人気があったわけだが、それを広く社会に知られるきっかけとなったのが本書だろう。1992年の刊行だった。当時、そうとう書評やレビューが出たように記憶する。
本書では、アメリカの子供たちの日常が紹介される。夏休みになると、長期間のキャンプに子供たちだけでバスに乗って行く(強制的に参加させられる)。小遣いを稼ぐためにバイトをする。学校には「見せてお話(Show&Tell)」というリサーチとプレゼンテーションをあわせたような授業があり、子供たちはいつもそれに悩まされる。
一方で、テレビや映画に現れない「普通のアメリカ」というのが、いかに通説と違うかをピーナッツを通して指摘する。アメリカ人も「本音と建前」を使い分けるし、はっきりと物を断定しないでごにょごにょになるし、世間の目を気にしたりする。
かくして、本書の功もあって「ピーナッツ」の世界は知られるようになった。
一方、そこにいたるまでの日本での翻訳と出版のヒストリーもご紹介したい。
今でこそピーナッツの翻訳は、いろんな出版社からいろんな訳者によって成されている。一時期はさくらももこ訳なんてのも見かけたが、当初から40年近くずっと翻訳を続けていたのは詩人の谷川俊一郎だった。
ピーナッツのコミックを、初めて日本で出版したのは鶴書房という出版社で、海外の児童文学などを翻訳して出していたところだった。そこの編集長か担当編集者か、とにかく訳者に谷川俊一郎を抜擢したそのセンスに脱帽する。当時の彼はまだ30代だが既に第1級の詩人であった。本職の翻訳家でも、英米文学研究家でもなく、このような人を選んだことは、ピーナッツにとっても日本にとっても幸運なことだったように思う。
彼が翻訳したピーナッツは実に不思議な世界となった。小さな子供が、四字熟語や難しい言い回しを駆使したセリフを吐くこのアンバランス感。一般に考えれば、子供がこんなことを言うわけがなく、凡夫の訳者ならば、思いっきり子供風のコトバに書き換えただろう。だが、谷川俊太郎は容赦なく、かまわず、その場の最適なコトバを探し出して与えた。実際のところ、彼の処置はまことに正しく、ピーナッツに出てくる登場人物のセリフは、原語である英語にしたって、英語圏の子供たちが使うそれではない、立派に成熟した言語感覚の成したものだったのである。
だが、鶴書房は80年代に倒産してしまった(後年は「ツル・コミック社」と社名を変えていた)。もともと規模の小さい出版社ではあったようだ。
版権を引き継いだのは角川書店だった。装丁がだいぶ変わったが、訳者は谷川俊太郎を引き続き起用した。角川出版後も、一時期刊行が止まったり、小部数発行になったり、装丁や矩形が完全に変わったり、とにかく紆余曲折したが、谷川訳そのものは原作者のチャールズ・シュルツが亡くなって最終回を迎えるまで続いた。
鶴書房も、その後を継いだ角川書店も、このピーナッツが決して万人向きとはいえず、経営的にはおいしいものではなかったことはたぶん当初からわかっていたと思う。せめて、そこらへんのかけだしの訳者に頼んでしまえば、まだコストだって抑えられただろう。しかし、辛抱強く、トータルで100巻以上に相当する谷川訳ピーナッツシリーズを、粛々と出してきたことは敬意に値すると思う。
※ピーナッツの作品世界における変遷史についてはこちらに書いてみた。スヌーピーは最初はただの子犬だったのである。