殺意の風景
宮脇俊三
小学館
鉄道紀行作家の故・宮脇俊三氏の全集が、小学館の電子書籍で月刊形式になって刊行されている。もう1年以上に及んでいて、そろそろ完結しそうな勢いである。
先月は氏の著作群の中でも異色の中の異色「殺意の風景」が登場した。
紀行作家ゆえに氏の著作は、旅行記やエッセイが大部分である。「時刻表昭和史」「私の途中下車人生」のような自伝のようなものもあるが、いずれにせよノンフィクションの世界である。
その中にあって「殺意の風景」だけは小説である。それも泉鏡花賞を受賞している。
ミステリー小説と見なされることが多い本作だが、この見方はちょっと的外れだと思う。どちらかというとこれは心理小説であり、人間の心に忍び込む悪魔の囁きの物語である(巻によっては時刻表トリックなんかもあるが、これは鉄道機構作家として氏を知る読者層のためのファン・サービス的な味付けだと思う)。本来なら誰もが持つはずの、普段は眠っている心の闇が、特異な自然風景の下で、ふと姿を現す。それは、疑心だったり、現実逃避だったり、禁断の好奇心だったり。あるいはこいつなんかいなくなればいいのに、という心理だったり。
その心理変容を、いっそう効果的に描いているのが背景の自然の描写だ。圧巻で威容な大自然の姿が、人の心理を追い込んでいくともいえる。
各巻の出来具合はけっこうばらつきもあるが、暮れゆく断崖絶壁で被害妄想が極大にまで膨れ上がる「潮汐の巻」、アンビバレントな感情と寒々しい光景の対比がめちゃめちゃ恐怖な「砂丘の巻」あたりは特に傑作だと思う。また、最終章の「海の見える家の巻」で静かに閉じる虚脱感がなんともいえない。
氏の長女、宮脇灯子女史のエッセイによれば、泉鏡花賞の受賞もあって、一度は氏は「お父さんは小説も書けるんだぞ」と自信がついたらしい。
ところが、氏の死後に出版されたエッセイ集「終着駅」で、この「殺意の風景」の創作について書かれた一文があった。本人曰く「うまくいったのが5、6作。失敗したのが10作くらい。このあと各出版社からミステリー小説のオファーがきたが2作しか書けなかった。要するに私には無理だった。」とのことである。
作家人生というのも試行錯誤の連続なのだな。