17才の特別授業 地獄の楽しみ方
京極夏彦
講談社
京極夏彦先生がティーンを相手に特別授業をやった記録である。この黄色い表紙のシリーズ、ほかにも高橋源一郎とか佐藤優とか岸見一郎とかひとひねりもフタひねりもある人選で興味深いが京極夏彦が何を話すんだろうとわくわくしながら手にとった。この人の小説は抜群に面白いが、実は小説以外も面白いのである。
それにしても「地獄の楽しみ方」とはすごい。地獄ってのは要は”この世の中のこと”です。ティーンを相手に、オトナの世界を「地獄」と表現する。そんな世の中をどう楽しむのか。
それは、コトバを身につけることなのである。
京極小説に出てくる登場人物は、京極堂シリーズの「憑き物落とし」も百物語シリーズ「仕掛け屋」も、あるいは未来の女子高生も厭な気分になるやつも、みんなコトバで人を操る。あるいはコトバで機能不全に陥る、この人は妖怪屋で有名だが、その実はコトバ屋なのである。ということは妖怪とはコトバなのである。
おもいっきりリアリティなことを言えば「妖怪」というのは居るわけはないのであって、ではどうやって人々のあいだで妖怪が実像を結ぶかというと人々の言の葉でである。うまくコトバで表現された妖怪はかなりの説得力とイメージ喚起で人々の頭脳に入っていく。つまり、妖怪とはコトバなのである。
妖怪がこのろくでもない世の中をレギュレーション無視で渡り歩けるように、コトバ使いは世の中をひょうひょうと渡っちゃうのである。神対応の反対は塩対応だから「神」の対義語は「塩」であり、「愛」とは「執着」のことであってそれに「愛」というもっともらしい字を持ってきたにすぎないのであり、「勝負」の多くは本当にそこに勝ち負けなんかないものを勝手に「勝負」というラベルを張ることで勝ち負け事にしてしまった、と次々とコトバの呪力を暴いていくのは爽快でさえある。世の中はそんな欺瞞に満ちた言葉でつくられた地獄なのだから、その仕掛けさえ見抜ければ、地獄(すなわちこの世の中)も楽々とたのしんで安全に歩いていけてしまうのである。10代でこんな話をきいてしまってよいのだろうか。
それにしても京極夏彦。このコトバ使いの名手が本当に小説家であってよかった。詐欺師とか催眠術師とか「悪」の道に進まなかったのは幸いである。