危機と人類
ジャレド・ダイアモンド 訳:小川敏子・川上純子
日本経済新聞出版社
今月の注目本のひとつだ。
著者ダイアモンドが選ぶところによる世界7か国での「危機」およびその対応を、徹底的に叙述的(ナラティブ)な語り口で解読する。そしてそこから普遍的な危機と対応の方程式を導き出す。アカデミズムの手続きとしてはあまりに叙述すぎていささか時代錯誤かもしれないが、それにしてもかなりの説得力だ。博覧強記とはこういうことを言うのだろう。
本書は7つの国の歴史をみることから、これからの国際社会における危機を警告し、対策を啓発する書である。すなわち「歴史に学ぶ」書である。
そんなコンセプトに際し、ダイアモンドは7つの国のなかのひとつに日本を選んでいる。しかも2つの例を取り上げている(2つの例をとりあげている国は日本だけである。つまり本書は7つの国の8事例が考察の対象になっている)。
その2つとは、まず「ペリーの黒船来航によって開国を余儀なくされた明治維新の日本」である。これは国家的危機とそれを克服した成功事例として取り上げている。もう1つは「現代の日本」である。これは明らかに危機的状況にあるのに今なお打開を見いだせていない事例として取り上げている。ちなみに著者は今現在危機に直面しているにもかかわらず、打開が見えていない例として日本とアメリカ合衆国の2か国を挙げている。ダイアモンドからすると、日本とアメリカが世界の危機の最前線ということになる。中国でも北朝鮮でも中近東でもないのである。
ダイアモンドは、危機に際した国家がそれを乗り越えられるか越えられないかを12の視点で整理している。
12というのはいささか煩雑だが、著者によればこれを2個か3個にしぼるのは安直な妥協であり正確性を欠く行為であり、かといって12個より多いのはややこしすぎて実用に耐えないということらしい。
その12個とは
1.自国が危機にあるという世論の合意
2.行動を起こすことへの国家としての責任の受容
3.囲いをつくり、解決が必要な国家的問題を明確にすること
4.他の国々からの物質的支援と経済的支援
5.他の国々を問題解決の手本にすること
6.ナショナル・アイデンティティ
7.公正な自国評価
8.国家的危機を経験した歴史
9.国家的失敗への対処
10.状況に応じた国としての柔軟性
11.国家の基本的価値観
12.地政学的制約がないこと
である。これらの用意があればあるほど危機の対応ができやすくなり、少なければ少ないほど破滅のリスクが高まる。
興味深いのは、ダイアモンドはこれらを導くのに、個人的危機のパターンから国家的危機のパターンへとメタファーとして導き出していることである。
個人的危機に対しての帰結にかかわる要因も12個あって、
1.危機に陥っていると認めること
2.行動を起こすのは自分であるという責任の受容
3.囲いをつくり、解決が必要な個人的問題を明確にすること
4.他の人々やグループからの、物心両面での支援
5.他の人々を問題解決の手本にすること
6.自我の強さ
7.公正な自己評価
8.過去の危機体験
9.忍耐力
10.性格の柔軟性
11.個人の基本的価値観
12.個人的な制約がないこと
つまり、心理療法を歴史の解題に援用したわけである。
ということは、個人と国家の間にあるいろいろなレイヤー。たとえば組織とか企業とかの危機にもこれらのメタファ―は使えそうだろう。僕はちょうど本書と「知略の本質」を同時並行で読み進めていたので、なんか似たようなこと書いてあるなーと思った次第である(どちらも第2次世界大戦期のドイツやソ連が出てくる)。
それはともかく。これら12の要素に照らし合わせて現代の日本は危機だというのがダイアモンドの見解である。とくに「公正な自国評価」に問題があるとされる。具体的には太平洋戦争における見方(中国や韓国に対しての罪の認識。原爆の被害者として自己憐憫に陥りすぎ等)、少子高齢化対策として、移民を受け入れないまま女性の活躍促進という名目で打開しようとする政府の方針などである。こういった著者の見解に対し、Amazonの星とり書評などは辛い評価も出ているが、外の国からはこう見られているという事実は事実として知っておくべきだろうとは思う。公正な自己評価というのは難しい。
欧米からみて、太平洋戦争の敗戦国がこの戦争をどう総括しているかをみるとき、ドイツと日本を比較しようとするのはまあ当然だろうと思う。ドイツの総括の仕方はわりと欧米では支持されており、ダイアモンドもその在り方を評価している。そうするとそれに比べて日本は‥ということになる。こういう風に比較してみられるのだということも日本としては知っておいたほうがいいことであろう。
著者は危機とその帰結に12の要因をならべているが、これら12の遠因となるところに地政学的要因・地理的要因を見出している。これこそが彼の真骨頂であろう。たとえばアメリカ合衆国という地域特性を、南北に侵略のおそれのない国と接し、北に広く南に狭い逆三角形の形状が農産物の育成にとって栄養素にめぐまれた豊かな土壌の土地になり、それが近代史に例をみない勝利の大国となったとみる。またそういった他に例のない好条件が、この気象変動によってリスクに転じようとしているにもかかわらず、格差の拡大やイデオロギーの固執といった内部からの劣化が進み、過去に参考となる他国の例がほとんど見当たらないため、現在のアメリカ合衆国を危機と見なす。
日本の場合はユーラシア大陸の隅っこの島国ということで、歴史的に外部からの干渉を受けにくいことが好条件だった。しかもかつての要人は諸外国から遠隔にありながらもその位置に胡坐をかかず、熱心に外国の情報を取得していた。それによって日本の相対的な位置づけも公正に評価していた(ここが中国と大きな違いだったとされる)。しかし、島国という立地からする自然資源の依存の仕方とその資源観が、現在においては他国の感覚とのかい離を招いているとする。
ほかにも、ドイツを、あまりにも多数の国と国境を接して外的要因をもろに受けやすいところと見抜き、こういうところは「リーダーによる出来不出来の影響が表れやすい」とする。ソ連(ロシア)という大問題大国と長い国境を接するフィンランドという国をその地域的特性から「フィンランド的」としか言いようのない独特にして殊勝な危機対応を評価する。ドイツもフィンランドも過去に惨憺な歴史を経た上で現在は軟着陸している。こういう話は国だけでなく、企業や組織やコミュニティにも敷衍できると思う。現代の日本やアメリカは着陸できていないわけだ。
もっとも、本書の結論は現代の日本やアメリカを弾劾したいことではなく、ここにきてはじめて国際社会というひとつのまとまりで「危機」に面しているということである。つまり、これまでの世界史において7つの国における危機と対応を事例としてみてきた。そこには他国を参考にしたり、他国から援助されたりして乗り越えてきた例も多い。また、よそがあるから自分もある。アイデンティティというのも出来上がる。
しかし、国際社会もっとわかりやすく言うと「地球」という危機においてはそれがない。ヨソの宇宙人が住む惑星を参考にすることも助けを求めることもできない。「地球人」というアイデンティティも正体不明である。そういう意味で、いまの国際社会の危機は前例がないのである。
ダイアモンドは、国際社会の危機として「核兵器の脅威」「気象変動」「資源の枯渇」を挙げている。深く考えなくても、この3つは互いに影響しあっている。したがって何かが引き金となって他の何かに至ることはリスクとして十分に考えられる。
ここにきて本書は人類の警告の書になるのである。
ユヴァル・ノア・ハラリは、ホモサピエンス自身が内に所有する欲望と成長欲求から人類史を見出す。サピエンス全史からホモデウスまで。さらに新刊「21レッスン」まで、人間が持つ果てしなき欲望とそれがつくりだしたものの歴史と帰結の物語である。人間がそれを求めるから、社会はこのようになり、やがて国家は、国際社会はこのようになる。それはハラリもいうように「警告の書」である。
ダイアモンドは外部環境に因果を求める。こんな地勢だから、地理だから、地政学だから、こんな人間社会が生まれ、だから個人はこのようにふるまう。そして危機に至るという「警告の書」となる。
つまり、物事はかならず危機に至るのである。
危機とは何か。それは「正念場」であり、「転換」へのきっかけである。選択的な未来にシフトするきっかけなのである。本書で著者は「危機とは長期間に渡って蓄積されてきた圧力を突然自覚したり、圧力に対して突然行動をおこしたりすることである。」と述べている。一番怖いのは「危機」を「危機」と気づかず(あるいは気づかないふりをする)ことなのであろう。