読書の記録

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赤い人

2017年05月17日 | 小説・文芸

赤い人

吉村昭
新潮社

 

 北海道開拓の近代史は血塗られている。

 北海道の開拓が本格化したのは明治時代以降だ。タコ部屋労働に象徴される、過酷きわまりない労働によって、原野に鍬が入り、道路、鉄道、水路、港、飛行場、トンネル、橋梁、そして農地が拓かれていった。粗末な食事、不衛生な作業場での長時間肉体労働であり、恐ろしい羆や、眼球や耳の中までとりついてくる大量の虻や蚊に襲われる中での開拓であった。厳寒の中で足袋も毛布も支給されず、もちろん暖房もない。凍傷で手足を失うものが続出したが、けが人や病人は放置同然にされた。脱走を企てたものは容赦ないリンチが待っていた。
 彼らの中には、内地からの貧しい労働者や、アイヌ人や、朝鮮半島からの強制労働者も多く含まれていた。

 

 この強制労働は昭和になるまで続いたが、とくに明治の開拓初期に多く駆り出されたのが囚人であった。

 重罪人を収容する大規模施設として、北海道にはいくつも収監施設がつくられた。当時の罪刑の概念に、囚人の人権とか更生というものはなく、そこで待っているのは懲罰としての苦役があるだけで、北海道に送られた囚人の見立ては、単なる廉価で使い捨ての労働力であった。北海道の開拓は重要な国策だったが、通常の労働者にとっては厳しすぎるその労役であり、そこに囚人をあてがうというのは、当時の行政の全体最適としては当然の判断といえた。
 罪人を国土開発に徴用するのは、日本に限らず、世界的にみられた現象である。

 ただし、「罪人」の中には、いわゆる傷害や殺人を重ねるなどの極悪罪人もいる一方で、国事犯や思想犯もいる。こと明治時代初期の国事犯というのは、旧幕臣であったり、薩長の新体制に抵抗を示す勢力だったりした。

 そういった人々が続々と北海道の収監施設に送り込まれ、開拓の労役者として酷使されていったのである。

 本小説は、そんな北海道の収監施設の第1号、月形樺戸集治監が舞台である。
 実地調査が行われ、設置場所が選定されるところから始まり、資材が運び込まれて建設が始まり、運営が開始され、姉妹施設も次々とつくられるが、やがて運営は終了し、最後に閉鎖されて取り壊される、このおよそ40年の歴史の物語である。

 月形樺戸集治監は、その40年の間に1000人以上におよぶ囚人の死者を出した。ほとんどが無縁仏となった。

 そんな過酷な環境だから、もちろん脱獄も相次いだ。脱獄者のほとんどは失敗して、捕らえられてさらなる懲罰が加えられたり、その場で抵抗して惨殺されたりした。追跡から逃れても、森林の中でさまよって餓死したり溺死したりして、脱獄成功者はほとんどいなかったようである。

 つらいのは囚人だけではない。看守たちも厳しい毎日を強いられた。恨みを買った囚人に殺害された看守もいたし、厳しい生活環境に体調を崩す者も多かった。勤務の規律は厳しく、ちょっとした落ち度で減俸される看守もいた。もちろん、囚人に脱獄された看守は処罰された。

 

 最近、吉村昭の小説が注目されている。三毛別のヒグマ襲撃事件を扱った「熊嵐」なんかは、スティーブン・キングも真っ青のホラーばりの展開で、ネットでもつどつどネタにされているし、先日はテレビドラマで「破獄」が放映され、原作の小説も書店で平積みになった。

 吉村昭の小説はタイトルがシンプルにして凄みがある。「破獄」「熊嵐」「大本営の震えた日」「高熱隧道」「三陸海岸大津波」「関東大震災」「アラスカ物語」「陸奥撃沈」「戦艦武蔵」…
 シンプルなタイトルだが、内容を直截に示しており、事実に語らせる作風を持つ吉村文学の面目躍如たるところである。

 そんな中で「赤い人」は、一見したところ地味なタイトルだ。タイトルだけでは、小説の内容が計り知れない。
 しかし、この地味なタイトルと、中身の凄みとの落差という意味では、吉村昭の諸作の中でも渾身の傑作だと思う。

 北海道に集められた囚人は、赤い服を着せられていた。赤い服は遠目にも目立ち、逃亡を困難にする。
 無数の無名の赤い人の上に北海道の開拓はなされている。「赤い人」の中には、五寸釘寅吉のような有名人、あるいは加波山事件や秩父事件の主要人物、あるいは大津事件の津田巡査などもいたわけだが、圧倒的多数は無名であった。本書の主人公は、この名もなき赤い服をきた人々だ。

 

 囚人に対しての人権意識は時代とともに違うし、今日の価値観からしても社会的制裁がやむを得なそうな極悪人もそこには含まれていた(まだまだ貧しい時代であり、極悪人を生む社会的土壌というのもあった)。この小説は、当時はひどいことをしていたと告発したいわけでもないだろう。

 ただ、この道路は、この鉄道線路は、このトンネルは、この港は、そんな人たちの血と汗と失われた命の上にあるのだ、という事実を受け入れるだけである。この小説の凄みはそんな突き放したところにある。

 かつてアイヌ人の地であり、日本人が本格入植して150年。北海道は、いまや日本の農畜産物の主要な生産の場であり、そして観光地として一大ブランドになっている。年間5000万人以上の観光客が北海道には訪れるそうだ。


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