読書の記録

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ルワンダ中央銀行総裁日記 増補版

2021年04月06日 | ノンフィクション
ルワンダ中央銀行総裁日記 増補版
 
服部正也
中公新書
 
 アフリカの小さな内陸国ルワンダは1962年に宗主国ベルギーから独立を果たした。その独立後まもないルワンダの中央銀行(日本でいうところの日本銀行)の総裁に、なんと日本人が6年間その任に就いていたのである。本書はその日本人、服部正也氏による回顧録である。氏は日本銀行の行員なのだが国際通貨基金IMFに出向し、IMFの名義でルワンダ中央銀行に派遣される形で赴任したのだ。
 
 底本は1972年。それがおよそ半世紀近くたって増補版として刊行されたというのも稀有な話だが、こんな面白いドキュメンタリーが眠っていたのかというのがまた驚きである。新書にあるまじき活字の密集ぶりに最初開いたときは思わずたじろいだが、その内容はなかなかドラマチックであり、文章もなかなか達者で興奮してのめり込むに十分だ。当方とくに経済も金融の知識もないがかなり読ませる。このあたりの分野をかじった人ならばもっと面白いだろう。
 
 赴任先でルワンダの大統領が示したビジョンは「ルワンダ人大衆とその子孫が徐々であってもよいから改善されてゆく」というものだった。つまり先進国に依存しないルワンダの経済的自立である。氏はその目標に達する技術を持つことを本懐として実務に乗り出す。当時のルワンダは独立間もないアフリカ小国それも貧しい途上国である。よってその任務は中央銀行の音頭取りにとどまらず、国の財政や経済政策にまで深入りしていくことになる。平価切下げがあり、二重価格制度の撤廃があり、農業を重点分野と見定めた税制改革があり、関税改革があり、外国人輸出入業者の保護制度を撤廃し、ルワンダ国内業者が事業発展になるように諸制度の規制および規制緩和を整える。競争市場に持ち込むための商業銀行の誘致があり(それまでは商業銀行はルワンダ国内に一社しかなく独占だった)、開発銀行の設立があり、不動産取引の制度改革があり、果てには流通機能を担保させるための倉庫会社の設立や2トントラックの輸入調達があり、人とモノと情報の流通を円滑にするために公共バス路線の整備にまで手をつける。もはや国づくりである。
 
 氏が次々と繰り出す改革によって、ルワンダ経済は動き出す。大統領がかかげたビジョンの通り、ルワンダ人の手によってルワンダ人の生活は改善していく。着ているものが良くなり、市場に出回る農産物の質と量も良くなる。
 
 実際に事業を興し、生産し、取引し、労働し、収益をあげていくのはルワンダ人である。いわば前線で戦っているのはルワンダ人であり、そうなるような仕組みを技術でつくったのが服部氏ということになる。本書を読むと、マネジメントとは補給と兵站の確保なのであり、補給と兵站の確保とは、自動的に回るシステムづくりのことであり、自動的に回るシステム組織を可能にするのは法律と制度をいかに設定するかということなのだ、というのがよく理解できる。
 このようなマネジメント(氏はこれを「組織する」と表現している)で氏がこだわったのはとにかく現地のルワンダ人のことをよく観察し、会いに行き、話を聞いてきたということのようだ。白人西洋社会が偏見と先入観でルワンダをとらえたまま物事を決定していたのと対照的である。先入観を払うというのは言うは易く行うは難しであって、相当なセルフコントロール能力が要求されるはずだ。服部氏のような人がルワンダに派遣されたのはルワンダにとってまことに僥倖だったのだろう。近隣諸国であるウガンダ、ブルンジ、コンゴ等のガバナンスと比較しても強くそう思う。
 
 とは言うものの周知の通り、氏の帰国後のルワンダの歴史は紆余曲折を経た。1980年代のルワンダは自由経済が発展したが自由競争の常としてその一方で新たな格差や収奪構造をうみ、それが1994年に起きた大統領撃墜事件とその後の悲惨なルワンダ大虐殺の遠因のひとつになった可能性も本書の増補解説では示唆されている。
 ルワンダ大虐殺とその後遺症により、その後のルワンダ経済は荒廃した。しかし時間をかけてまた奇蹟的な復活を遂げた。現在ではガバナンスも経済も良好である。旅行ガイド「地球の歩き方」でもルワンダが扱われるようになった。慶賀の至りである。
 

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