読書の記録

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夜間飛行

2019年01月04日 | 小説・文芸

夜間飛行

 

サン・テグジュペリ 訳:二木麻里

光文社

 

Fedexやクロネコヤマトなどまだ存在しない20世紀前半の話である。夜間に飛行機で郵便物を運ぶ官営の航空郵便会社が存在した。「星の王子様」で名高いサン・テグジュペリは飛行機乗りだった。「夜間飛行」はテグジュペリのもう一つの傑作として名高い。

わざわざ夜間に飛ぶのは、鉄道や道路輸送に速度の面で勝つためであったが、当時の航空技術では夜間飛行は大変危険なことであった。したがって民間企業がビジネスとして着手することはまだなくて、インフラ事業として官営によって操業された。つまり公益企業である。フランス政府管轄のもと、南米における植民地の輸送を手掛けるこの会社の社長を任されたのが主人公リヴィエールである。

 

現代でも運輸運送業というのは過酷なビジネスであることは良く知られている。何があろうとも時間を厳守、輸送品は絶対に傷つけてはならない。消費者はほんの少しの遅延や品物のの劣化を大問題にする。

こういったサービス品質を維持するために、徹底的な正確性を要求されるのはその会社の従業員である。わずかな間違いが事故を招き、顧客の評判を下げ、ビジネス上の失敗をつくる。かくしてリヴィエールは従業員に対しほんのちょっとのミスにも処罰が待つような待遇を行う。従業員の気のゆるみ、甘えが品質の劣化につながり、事故を招くからだ。今日の日本的感覚から言えばリヴィエールの哲学や行動には異論もあろうし、この航空郵便会社(国営のようだが)はブラック企業とさえ言えてしまうだろう。JR西日本の福知山線事故の背景にも指導の厳しさが挙げられている。

リヴィエールの苦悩は、そんな自分の冷酷な立ち振る舞いを自覚しているところにある。ベテランの従業員が小さなミスをおかした。ここで優しい声をかけ、ミスを許してしまえば、従業員も安心するし、従業員の家族も安泰だし、従業員仲間たちの気も晴れるし、リヴィエール本人も気分がよい。しかし、このミスが一度許されれば、そこからゆるみは拡大する。どんなに冷酷な仕打ちに見えても、ここは処分をしなければならない。リヴィエールは鉄の意志でベテランの従業員を処分する。

しかも難しいことは、従業員を委縮させるだけでもダメだということだ。夜間飛行はたいへんに危険度が高い業務である。チャレンジ精神とモチベーションを要する。だからリヴィエールは恐怖政治を敷いているだけでなく、夜もオフォスに詰め、檄を飛ばし、自ら交換台の電話に出て指示を出し、臆病風にふかれた従業員を前にむかせる。

 

そんなリヴィエールに大きな危機が訪れる。一機の郵便機が嵐の中で消息を絶つ。陸上の交信員は賢明に通信を傍受しようとし、行方不明になったパイロットの妻がオフィスに駆け付け、愚鈍な中間管理職はただ右往左往する。

しかし、生存は絶望的とみられた。誰もが事業の一時ストップを想定した。一時ストップどころではない。事業からの撤退の予感もあった。

リヴィエールは2人の乗組員が犠牲にあったことに自問自答する。「公益というのは私益の集積で成立するものでしょう。それ以上のものではないはずです」。つまり、私益を犠牲にしてまで整備しなければならない公益など必要ないのではないか。「自分は何の名において、個人としての幸福を剥ぎとったのか? 最優先されるべき原則は個の幸福を守ることではないのだろうか?」

逡巡の末、リヴィエールは決意する。「おそらくは救うべき別の何か、より永らえる何かが存在するのだ。おそらくは人間のその領域に属するものを救うために」。「彼らを永遠なるものにしなければならぬ」。

ここで殉職した個人への愛に思いを馳せるのではなく、この国にこれからも生きる人間の公益を全うさせるために、ここで操業を停止してはならなかった。

リヴィエールは事業を止めず、後続便出発の指令を出す。従業員たちはその指令に動き出す。

 

運輸運送に限らず、公共的なインフラビジネスはこういった側面を持つ。

国の公共事業というものは、今日的には年末の道路工事や箱物行政といった財政政策的なイメージが強く、どちらかといえば悪いイメージがある。しかし、近代の黎明期にあっては、こうやって国をつくり、まちをつくり、ヒトの営みをつくっていった。近代化のために、まず動かなければならないのは行政だった。

インフラの整備が、国を、町を、人々の生活水準をつくるからだ。真実は”私益を犠牲にしてまで整備しなければならない公益”の上に我々の生活はあるということなのである。

 

「夜間飛行」を読んで思い出したのは、広島市内を走る路面電車だ。広島に原爆が落ちたとき、市内は壊滅した。しかし路面電車は爆弾投下の3日後に運転を再開した。焼け残った車両を集め、線路を補修し、電気を通電させ、廃墟の中を運転をしたのは10代半ばの見習い女学生たちだった。広電は民間企業だが、広島市の公益企業といってほぼ差し支えない。

このエピソードと精神は、東日本大震災の際に三陸鉄道に受け継がれた。三陸鉄道は行政と民間の第3セクターである。

 

「夜間飛行」は美しい描写に満ち溢れているが、根底にあるのは厳しさと高貴さだ。行政やインフラを担う人に持ってもらいたいプライドはこれである。水道事業の民営化、空港の民営化などが議論されているが、このような厳しさと高貴さこそを本懐として守り続けてほしいものである。

 


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