読書の記録

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日本の地霊(ゲニウス・ロキ)

2018年12月27日 | 都市・交通

日本の地霊(ゲニウス・ロキ)

鈴木博之
角川ソフィア文庫


 「東京の地霊」だけかと思ったら、「日本の地霊」もあったのね。角川ソフィア文庫に仲間入りしているということは、立派に教養として認められているということである(講談社でいえば講談社学術文庫にあたる)。

 あとがきで著者自ら言っているように、「建築家の言っていることはよくわからん」ことが多い。僕の知人友人にも何人か建築家や建築学部出身がいるが、おしなべてみなさん頭がよろしく、視座が広く、たまになんだかわからないことを言う。建築家というのは論客なのかと思うこともある。

 それはさておき。

 その土地そのものがもつ固有の惹きつける力、記憶、敬意というものがある。人は大地から離れて暮らすことができないと叫んだのは「天空の城ラピュタ」だが、人と土地は切り離すことはできず、人の生活とはその土地の上での生活である。あまりにも当たり前のことだが、その土地への敬意というものをまるで感じない行政やディベロッパーやエンターテイメントを感じることがある。人間様の都合がよいように、土地を使い、土地を改良し、土地を解釈する。

 けれど「土地」というのは、自然地勢上の条件だけではなく、そこに移り住み、また去っていた人間たちの記憶があり、それは有形無形な力となってその土地の空気をつくっている。有名無名の人物がそこを行き交い、時に情念うずまく事件がおこり、様々な思いをその地に残す。こういうのはけっこう馬鹿にしたものではない。「そこであったもの」というものは案外に次にその土地で何が行われるかを左右するし、それらが蓄積していけばいくほどその土地の性格は一定方向を向きやすくなる。日本の各地にある土地はそういうなんらかの物語を持ってきた。地名や道路の在り方や駅の所在にそういうものは反映され、土地の主力産業や文化習俗に色濃い痕跡を残す。

 そういった土地のもつルーツとルールこそが土地の遺産といえる(もちろん中には負の遺産もあるだろうが)。平成も終わりになってこういった土地への敬意はやや復活してきているようには感じる。「高輪ゲートシティ」という駅名が物議を醸しだしたが、少なくともこういう駅名がどことなくすわりが悪くて不自然だ、というくらいの価値観は一般化した。昭和から平成時代にかけてつくられた駅名や「平成の大合併」で誕生した新自治体名は、土地の固有性を無視したひどいものがいっぱいある(具体的に指摘はしないけれど)。

 

 「日本の地霊」で面白いのは、東京都北区王子と埼玉県深谷市の関係をめぐる話だ。「世界システム論」と並行して読んでいたからか、市町村同士でもこういう収奪関係というか、システムに組み込まれてしまうことでなかなかその先の自由な未来が遠のくことがあるのかと思った。深谷市にとって王子は疫病神でしかなかったというのは痛烈である。

 自分が住んでいる自治体や勤務先の自治体も、どこかべつの土地との分かちがたい因果関係の歴史の上に立脚しているかもしれないと思うと、土地への敬意を忘れてはいけないと思うのである。


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