たのしい編集
和田文夫・大西美穂
ガイア・オペレーションズ
多くの本好きは「文章」好きなだけでなく、姿かたち手触り重さを持つ物体としての「本」も好きなものだ。装丁・レイアウト・書体・紙質の種類・矩形やサイズなどはすべてささやかなメッセージを放っており、総体として「本」というメディアになっている。
しかし、電子書籍の普及によって、紙の本づくりへのこだわりはまたひとつ前時代的美意識になったかもしれない。Kindle端末は文字の大きさが調整できる。調整できるということは、1ページ(というか1画面)あたりの文字数が変わるということである。これすなわち1行あたりの文字数が変わる。文字が大きくなるほど、1行あたりの文字数が少なくなり、よって1ページ(1画面)あたりの文字数が変わる。
1画面あたりの文字数が変わろうと、文章自体の情報は変わらないのだが、かつては原稿用紙から本になるときは、1行に何字用いて、行間スペースをどれくらい空け、1ページあたり何行いれるかというのはすべて考案すべきものであった。さらに段組みという選択肢もある。
また、Kindle端末では書体を選ぶことができる。明朝体もゴシック体もある。
つまり、Kindle端末は、紙を無くさせたのではなく、「本」というメディアを無くさせたことになる。それがどのくらいの情報損失なのかは極めて定性的な世界なので一概には言えない。しかし、本書でも触れているように、読書という行為は「情報の記憶」でもあり「体験の刻印」でもある。後者の視点に立つならば、電子書籍による「体験」と、本による「体験」はかなり違うものといってよい。
かくいう僕もKindle を重宝していて、電子書籍の長所は多いに実感している。むしろ、Kindleを使うようになってから、紙の本の「紙」であるがゆえの本というメディアによって味わえる「体験」もまた意識できるようになったと言ってよい。
ところで、僕は、勤務先の業務ではしばしばパワ―ポイントを使う。仕事で使うビジネスソフトが何かは、その業種や職種によって異なると思う。ワードのような文書作成ソフトを主流とするところもあるだろうし、かつてはエクセルを「表計算ソフト」ではなく、文書作成として用いるところも多かった。罫線や枠組みをそろえやすいという利点を活かしてのことだったが、これは日本特有の現象だったんではないかと思う。Microsoft社の想定外だったのではないか。
で、パワーポイントであるが、あれは本質的には白地の画用紙みたいなものなので、文字の大きさも1行あたりの文字数も行間スペースも書体も自由といってよい。図表をいれたり、複数の色を用いてみたりする。企画書の場合は表紙もつくる。
つまり、パワポの書類づくりというのはどこか「本」づくりみたいなところがあって、僕はキライではない。ワードで書類をつくるほうが、文章づくりには集中できるが、なんだか味気がなくてつまらない。ワードでつくる文章はあくまで「情報」を相手に届けるだけだが、パワポでのドキュメントづくりは相手に対し、どういう「体験」をさせてやるかという企てを考えるところがある。
あくまでビジネス上のドキュメントだから、まさか詩集のようなものをこさえるわけにはいかないが、あまり形式ばらなくて済むような場合では、表紙デザインやタイトルにちょっとひねりをいれたり、1ページあたりの空白を大きくとってみたりする。ノンブルの打ち方も工夫する。2ページ連続して「ぱっと見た目が同じ」ようにならないようにする。余計な労力かもしれないが、つまらない1時間の作業より、なにか面白い2時間の仕事のほうが精神衛生的にはまことによい。
僕は編集者でもなんでもないが、編集の本をたまに読んで楽しんでいるのは、自分の仕事の心得や技術として援用できることが多いからでもある。
ただ、最近はペーパーレス化が促進されていることもあり、みだりに印刷をすることが許されなくなった。会議でも事前にメールで資料を送り、各自手元のパソコンで見るとか、会議室のモニターで見る、ということが増えてきた。電子書籍同様、こちらも次の一手を考えないといけないようだ。