原爆忌に思う
今日は広島の、明々後日は長崎の、79回目の原爆忌である。この1年間で原爆に関連してわたしにとって最も印象に残ったのは、やはりオッペンハイマーのことである。その半生記を映画で観て、本で読んだ。
あらためて、『オッペンハイマー(早川書房)』の1945年7月から8月にかけての部分を読み直してみた。
広島、長崎に投下された原子爆弾を開発したマンハッタン計画は、アメリカがナチスドイツより早く核兵器を開発し、先制する必要を大統領に訴えたアインシュタインらの手紙をきっかけにしている。
1945年4月にドイツが降伏し、原爆開発の目的はなし崩し的に変更され、日本がターゲットとして設定される。
オッペンハイマーのマンハッタン計画に込めた意図は、原爆の驚異的な威力を実証し、核兵器を国際管理のもとに置けば、軍拡競争を抑止し、戦争を防止することになるのではということであった。
だから、彼はニューメキシコの砂漠における原爆の実験を積極的に推進し、広島への原爆投下を是認し、その成功を自分たちの誇りだといった。
しかし、広島・長崎にもたらされた惨状を知ったオッペンハイマーは自責の念に駆られる。また、彼の意図とは異なり、政府がソ連との軍拡競争で、水爆の開発に進もうとすることに反対するが、逆に危険人物として核兵器問題からは締め出される。
結果論として言うならば、オッペンハイマーは政治と外交の世界の中で踊らされ、愚行に手を貸したことになる。
核兵器の開発や使用は、人類にとって愚行中の愚行である。愚行が愚行であることを知らしめるのは、それがもたらした惨禍を示すことである。ヒロシマ・ナガサキの意義は極めて大きい。
映画『オッペンハイマー』のヒットで、原爆問題への関心は高まっているという。広島平和記念資料館への外国人来訪者は増加しているという。こちらで待っているだけでなく、太平洋の向こうに、ヒロシマ・ナガサキを積極的に伝えなければならない。
その時に遭遇するのが、「リメンバー・パール・ハーバー」に代表される日本の戦争責任の追及である、被害者としてではなく、加害者としての日本の歴史的な責任が問われる。これは避けて通れない。それを正面から受け止め、核の廃絶を訴えなければならない。
そんな思いが、昨日の朝日新聞に載った女性史家・故加納実紀代さんの言葉に表象されていた。
〈「ヒロシマ」は、私たち日本人にとっては、たんなる被害ではなく、被害と加害の二重性をもった民衆のより深い悲惨の象徴としてこそ掲げられるべきであった。そのときはじめて、「ノーモア・ヒロシマ」は、たんに原水禁運動のシンボルであることを越えて反戦の象徴となることができる〉
大変重い。しかし大切な言葉として受け止めなければならない。
2006年広島市にて撮影
STOP WAR!