羽花山人日記

徒然なるままに

原爆忌に思う

2024-08-06 19:24:23 | 日記

原爆忌に思う

今日は広島の、明々後日は長崎の、79回目の原爆忌である。この1年間で原爆に関連してわたしにとって最も印象に残ったのは、やはりオッペンハイマーのことである。その半生記を映画で観て、本で読んだ。

あらためて、『オッペンハイマー(早川書房)』の1945年7月から8月にかけての部分を読み直してみた。

広島、長崎に投下された原子爆弾を開発したマンハッタン計画は、アメリカがナチスドイツより早く核兵器を開発し、先制する必要を大統領に訴えたアインシュタインらの手紙をきっかけにしている。

1945年4月にドイツが降伏し、原爆開発の目的はなし崩し的に変更され、日本がターゲットとして設定される。

オッペンハイマーのマンハッタン計画に込めた意図は、原爆の驚異的な威力を実証し、核兵器を国際管理のもとに置けば、軍拡競争を抑止し、戦争を防止することになるのではということであった。

だから、彼はニューメキシコの砂漠における原爆の実験を積極的に推進し、広島への原爆投下を是認し、その成功を自分たちの誇りだといった。

しかし、広島・長崎にもたらされた惨状を知ったオッペンハイマーは自責の念に駆られる。また、彼の意図とは異なり、政府がソ連との軍拡競争で、水爆の開発に進もうとすることに反対するが、逆に危険人物として核兵器問題からは締め出される。

結果論として言うならば、オッペンハイマーは政治と外交の世界の中で踊らされ、愚行に手を貸したことになる。

核兵器の開発や使用は、人類にとって愚行中の愚行である。愚行が愚行であることを知らしめるのは、それがもたらした惨禍を示すことである。ヒロシマ・ナガサキの意義は極めて大きい。

映画『オッペンハイマー』のヒットで、原爆問題への関心は高まっているという。広島平和記念資料館への外国人来訪者は増加しているという。こちらで待っているだけでなく、太平洋の向こうに、ヒロシマ・ナガサキを積極的に伝えなければならない。

その時に遭遇するのが、「リメンバー・パール・ハーバー」に代表される日本の戦争責任の追及である、被害者としてではなく、加害者としての日本の歴史的な責任が問われる。これは避けて通れない。それを正面から受け止め、核の廃絶を訴えなければならない。

そんな思いが、昨日の朝日新聞に載った女性史家・故加納実紀代さんの言葉に表象されていた。

〈「ヒロシマ」は、私たち日本人にとっては、たんなる被害ではなく、被害と加害の二重性をもった民衆のより深い悲惨の象徴としてこそ掲げられるべきであった。そのときはじめて、「ノーモア・ヒロシマ」は、たんに原水禁運動のシンボルであることを越えて反戦の象徴となることができる〉

大変重い。しかし大切な言葉として受け止めなければならない。

2006年広島市にて撮影

 

STOP WAR!

 

 

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デカンショ

2024-08-04 20:05:11 | 日記

デカンショ

一昨日のブログに書いた「五万節」に続いて、同じく高校時代のコンパでの定番歌、「デカンショ」について書く。

以前やはりこのブログで書いた「禿げ頭」と並んで、コンパでは三つの蛮歌をみんなで声を張り上げて歌うのが習わしだった。三つに共通しているのは、思いついたことを自由に歌詞にして楽しんだということである。

「デカンショ」は由緒がはっきりしている。丹波の篠山で歌われていた民謡を、旧制第一高校の生徒が聞き覚え、学生の間で流行らせたということだ。

冒頭にある「デカンショ」という言葉を、3人の哲学者デカルト、カント、ショーペンハウエルの名前を縮めてくっつけたものと解釈し、一種ペダンティックな気分を覚えながら歌ったのではないだろうか。

もうだいぶ忘れてしまったが、当時を思い出して、歌の文句をいくつか記す。

 

デカンショ デカンショで半年暮らす アヨイヨイ 
あとの半年ヤ寝て暮らす ヨーイ ヨーイ デッカンショ 

 

おれが死んだら三途の川で

鬼を集めてデカンショ踊る

 

先生 先生と威張るな先生

先生 生徒のなれの果て

 

生徒 生徒と威張るな生徒

生徒 先生の飯のタネ

 

おれのリーベ(恋人)は世界で二人

クレオパトラと楊貴妃

 

後輩たちは今でもこんな歌を歌っているだろうか。

松本深高校ホームページから借用

 

オリンピック雑感

パリオリンピックも残りわずかとなった。

テレビをつけると、否応なしに実況中継やらニュースが目に飛び込んでくる。

事前には予想もしなかった競技でメダルを取り、それが銅であろうと銀であろうと喜びをほとばしらせる選手を見ると、心が温かくなる。

一方、金メダルをと騒がれていたアスリートやチームが、予選通過もかなわずに競技場を去るのを見ると、そのように盛り上げ、プレッシャーをかけていたマスコミにいら立ちを覚える。

また、敗れた選手へのインタビューも見るに堪えない時がある。特に、『応援してくださった皆さんやご家族へは』と追い打ちをかけるように質問するアナウンサーには「止めてくれ」といいたい気持ちになる。

勝っても敗けても、もっとカラッと朗らかに行きたいものだ。

 

稲 穂

頭を垂れ始めた。酷暑に負けずに稔ってください。

 

STOP WAR!

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五万節

2024-08-02 20:20:15 | 日記

五 万 節

高校時代に、コンパの時などに歌った歌に「五万節」というのがある。節回しは短調で、「学校出てから十余年」という文句を最初に、みんなで蛮声を張り上げて歌ったものだ。

後にハナ肇とクレージーキャッツが「五万節」という題でレコードを出し、節回しは長調で軽妙だが、歌の文句に似通ったところがあるので、われわれが歌っていた「五万節」の亜流だろうと思っていた。

ふとこの歌のことを思い出し、古い時代の書生の歌のような元歌があるのではないかと、インターネットで調べてみた。

ところが、いろいろな情報があったが、共通しているのは「五万節」は青島幸男作詞、萩原哲昌作曲でハナ肇とクレージーキャッツが1960年にレコードにしたのが元祖であるということであった。

しかし、1950年代にはわれわれが歌っていたのであり、この情報は明らかに間違いである。生成AIに元歌の所在について訊いてみたが、情報は保持していなかった。

調べればわかるかもしれないが、そこまでやる気力がない。どなたか情報をお持ちで、教えていただけるとありがたい。

われわれが歌っていた「五万節」の歌詞を二つ紹介しておく。

 

学校出てから十余年 ヨイショ

今じゃ天下の藪医者で ヨイショ

腕に油がのるころにゃ

殺した患者が五万人 ヨイショ

 

(前略)

今じゃ女学校の先生で

ひとたび教壇に立つ時にゃ

恋する乙女が五万人

 

ほかにもたくさんあるが、ちょっと放送禁止用語に引っかかりそうな内容なので割愛する。他愛もない青春の思い出である。

 

夏を彩る

 

STOP WAR!

 

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