博多住吉通信(旧六本松通信)

 ブログ主が2022年12月から居住を始めた福岡市博多区住吉の生活や都市環境をお伝えします。

戦争を経験した母の話

2024年08月25日 | 家族
 先日はさいたま市在住の88歳の実母に会ってきました。実母は昨年6月に脳梗塞の発作を起こし、現在要介護3の認定を受けました。要介護3は日常生活で常に介護が必要な状態とされています。そのため現在、さいたま市内の短期入所施設に入所しています。今回は3日間実母に実家に戻ってもらって妹たちと食事をしたり、お世話になっているケアマネージャーの方の面談を受けたりといったことをしました。
 さいたま市は連日猛暑が続いていますが、比較的涼しい午前中に自宅近くの武蔵一宮氷川神社に実母とブログ主とで参拝に行きました(上の写真です)。ブログ主が支えて手を引けば、休み休み歩行ができるようになったので、できるだけ母が行きたがる場所に帰省のたびに散歩に行くようにしています。
 母の認知機能は、特に短期記憶がもたなくなっています。数十分おきに「自分は何歳だっけ?(満88歳)ブログ主は何歳だっけ?(満63歳)」と聞かれるので閉口します。しかし半世紀以上前のことは良く覚えています。母は昭和10年(1935年)生まれです。今度の9月で89歳になります。現在ロシア領のサハリン(旧樺太)南部で生まれました。旧樺太は昭和20年の終戦後の8月22日にソ連軍の侵攻を受けるのですが、実母はその前に祖父の仕事の都合で東京都内(昭和18年に都制施行)に引っ越していました。都内では総武線の錦糸町駅の近くに住んだそうですが、昭和20年に入って間もなく千葉県船橋市の郊外のお寺に学童疎開をしたため、同年3月10日の東京大空襲の難を逃れることができたそうです。3月10日の晩は、船橋市郊外からも東京下町を覆う猛火が良く見えたそうで、その恐ろしさは今も忘れられないと語ります。終戦から89年が経ち、ブログ主は中国戦線に出征した祖父(平成2年死去)や、空襲を直接経験した父(令和4年死去)の話を聞いて育ってきたのですが、もっと詳しく聞き取りをしておけばよかったと後悔しています。

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