
じゅんじさん、お久しぶりです。
私も家内から聞くまでは、五稜郭式城砦が本州の長野にも築造されたということを知りませんでした。
函館の五稜郭は日米和親条約締結時に開港場となった旧箱館防衛のために、幕府がじきじきに築造したのに対して、長野の龍岡城は三河奥殿藩の藩主だった松平乗謨(龍岡城の入り口に胸像があります)によって築造されたもので、特に関連はないようです。函館の五稜郭は明治維新前年の1866年に完成しましたが、龍岡城の完成は明治維新を迎えた後だったそうで、函館の場合と違って実戦に使用されることはありませんでした。
城が星型をしているのは押し寄せる外敵に城内から十字砲火を浴びせる際に死角を作らないためです。当時のヨーロッパ、特にフランスで主流だったこともあり、この形が採用されたそうです。松平乗謨は先進的な開明派だったため、洋式築城での設計を決めたそうです。
写真は龍岡城の掘割と土塁の部分です。
私も家内から聞くまでは、五稜郭式城砦が本州の長野にも築造されたということを知りませんでした。
函館の五稜郭は日米和親条約締結時に開港場となった旧箱館防衛のために、幕府がじきじきに築造したのに対して、長野の龍岡城は三河奥殿藩の藩主だった松平乗謨(龍岡城の入り口に胸像があります)によって築造されたもので、特に関連はないようです。函館の五稜郭は明治維新前年の1866年に完成しましたが、龍岡城の完成は明治維新を迎えた後だったそうで、函館の場合と違って実戦に使用されることはありませんでした。
城が星型をしているのは押し寄せる外敵に城内から十字砲火を浴びせる際に死角を作らないためです。当時のヨーロッパ、特にフランスで主流だったこともあり、この形が採用されたそうです。松平乗謨は先進的な開明派だったため、洋式築城での設計を決めたそうです。
写真は龍岡城の掘割と土塁の部分です。