【改題】ひとり公論(IT公論)

アラフィフとなりIT土方卒業したのでタイトル変更しました
こちらはどちらかといえば再録中心

■ひとり公論・30代男子成長記録(30~40代大卒男性向けメールマガジン)vol.254

2009-01-04 07:39:16 | メルマガ移行
今年の抱負は。。と考えてみても、具体的に、箇条書きで思い浮かばないのが今年の
特徴でありましょうか。

ただ、昨年の抱負を見たところほとんど実行できておりませんので。。昨年から引き続き、
ということになるのでしょう。


結局、年の抱負というのはおおよそ普遍的なものであり、いつでも実行しなければ
ならないものです。





-恐れ多くも三島由紀夫(20070819)

自分は「痩せっぽち」であったがゆえにプロレスラーに憧れたりしましたが、それよりも、
「サバイバル」に関連することについて、人よりもたくさん考えてきた自負があります。

それはもしかしたら、「痩せっぽち」だったからではないか、と今になると思います。

マジメに考えるきっかけとなったのは、ちょっと頭を整理したところ、3つありました。

以前の日記に書いたかもしれませんが。。

まず、コドモの頃、テレビをみていると、暗い夜道で女性がコワいヒトたちにカラまれるシーンで、
自分は画面を直視できなかったんですね。テレビの前から逃げ出してしまっていたわけです。
(余談ですが、ムカシのドラマでは、女性が突然襲われるという展開はあまりなくて
「よーよーねーちゃん」で始まるシーンが多かった)

そこで、パターンとしては、その女性の彼氏が出てくるのであれば、ボコボコに殴られて終わりで、
彼女が優しく介抱してあげたりします。女性からみると好感度大幅アップなわけですね。
男性がボコボコにされたにも関わらず。

もうひとつのパターンとしては、彼氏はいない設定で、カッコいい二枚目が颯爽と登場して、
何人かのコワいヒトたちをなぎ倒して、女性を助ける、というパターン。

これだけで女性の目はもうハートマークです。

こういうシーンを見て、「オトコは、コワいヒト(しかも複数)に対しても、立ち向かわなければ
ならないのか…」(この「・・・」が大事)と、思ったのがひとつ。


次に、キャンプとか野外活動とかで、自分がブキッチョであるがゆえに何度も感じた絶望的無力感。
学校の中ではけっこうイケてるのに、なぜ外ではこうもダメなのか、という。。


あとひとつは。。
これはけっこう最近ですが、碇シンジくんの「逃げちゃダメだ!」の連呼です。

あの連呼はけっこう、効きましたね。

とはいっても個人的には、カンペキな人間であったはずなのに、グズでノロマなシンジに
結果で負けることにより何かが崩れてゆく、という惣流・アスカ・ラングレーのほうに
どっぷり肩入れしていましたが。。これは余談です。


この3つのきっかけは、自分の中では何ら関係はなかったはずなのですが、実は現在に
近い自分に密接に絡み合って影響しているのかな、と考えたりもします。


で、本題に戻ると、

「サバイバル」について今、考えるのは、「逃げちゃダメか?」ということですよね。

なぜ、凶器を持っているかもしれない暴漢に素手で立ち向かわなければならないのか。。 それは、テレビがつくった偶像でしょう。

自分の妻子がそういう状況に仮に陥ったら、警察に通報すればいいのではないか?

あるいは立ち向かうのではなくて土下座のひとつでもすればいいのではないのか?

そういう選択肢は否定されるのか?

そもそも、そんなことを考える前に、そういう状況を回避しておくのが、真のサバイバルであり、
「男らしい」ではないのか? と。

以前は、ヒネクレてそういうことを考えていましたが、今はこれが絶対的に正しいのではないかと
確信していますね。

どう考えても「逃げるが勝ち」いや、「逃げるが価値」なのです。

サバイバルを夢想する前に、我々はこの現代社会を生き抜いているわけですよね。
様々な責任に押しつぶされそうになりながら。

それ以上何を望む? みたいな。。 この「コンクリート・ジャングル」自体がサバイバルでは
ないですか。この世界で必要なのは、凶器ではなく「マネー」でしょう?

現代社会を生き抜くことで精神的にも疲弊している状態で、なぜアウトドアでも同じような
ことをやらされなければならないのか?

もしかして、私以外のヒトたちは、現代社会を「サバイバル」しているという感じすら
ないのでしょうか?

いや、ないのでしょうね。安穏とした平和の中で暮らしているから、その原罪を払拭するために、
大自然で「プチ」不自然なアウトドア・ライフを「期間限定」で行っているのでしょう。

意味のない。。