【改題】ひとり公論(IT公論)

アラフィフとなりIT土方卒業したのでタイトル変更しました
こちらはどちらかといえば再録中心

■ひとり公論・30代男子成長記録(30~40代大卒男性向けメールマガジン)vol.240

2008-10-15 05:56:48 | メルマガ移行
混んでいるエレベータで、途中階で後ろの客が降りるときに自分も一旦外に出る、という行為をふつうにしますが、月に2回ぐらいは、再度乗り込もうとするとドアが閉まり始めてあわてる、ということがあります。
あわてるならまだしも、「ガン!」とドアが僕の肩にぶつかったりする。これが、けっこうイタい。

そういうときはホンキで腹が立ちます。エレベータパネルを操作しているアカの他人をにらみつけます。

まだまだ修行が足りないのでしょうか。。





-無題(20070816)

「祭り」に対する違和感の延長で、花火大会というのは好きではありません。ヒトは花火に、何を求めているのだろう? あれも祭りの一種でしょうが。。

「キレイだからに決まってんじゃん」という即・切り返しをしてくるようなヒト、そこから先へ進めないヒトとは、今現在話は合いませんので。。

アレはホントに、比喩としての「花火」の意味もあるわけですね。非日常のイベントとして「花火」をぶちあげる。非日常に飢えている大衆はそれに扇動され、ついてくる、と。


でも、このクソ暑いときに、祭り気分で浴衣に身を包んだイイオトナたちが、ヒトの迷惑考えずに道路を占拠してアスファルトに座り込んで、ビール空けてつまみを散らかして、あえて「もっとも低いところ」(浮浪者の位置)から口をあんぐり空けて花火を見上げて、いちいち上がるごとに「おー」と歓声を上げて、花火についてのテレビから仕入れただけの上っ面だけのウンチクを語って。。

その非日常には何か意味があるのだろうか? ホントに、それを年に一度の楽しみとして待ち焦がれているのだろうか?

「楽しければいーじゃん」の思考から、対極にいたいわけですね、自分は。。

(後日注)
神宮外苑花火大会における、路上を占拠した人ゴミ(そして、ある種不思議な「客層」)をみたときの、違和感を通り越した「キモチワルさ」をなんとか書きあらわしたかったのですね、このときは。