【改題】ひとり公論(IT公論)

アラフィフとなりIT土方卒業したのでタイトル変更しました
こちらはどちらかといえば再録中心

定性的大キライ。(2)

2008-07-19 06:08:52 | メルマガ移行
このブログ、全然システム屋っぽくないじゃん、ただのふつーのブログじゃん、という指摘を知人より受け。。(ごもっともです)

でも、おちゃらけた文章の中にも実はけっこう大事なことを書いてると思うんだけどな。「このギョーカイで生き抜くための!」みたいな。

だから、あくまで「僭越ながら」なんだけど、僕と同世代でこのギョーカイにへばりついてガンバってるヒトたち、それと、このギョーカイに入りたてぐらいの若い世代のヒトたちにはヒマなときにでも読んでいただきたいと思う。

このブログのタイトルどおり、「最底辺層」からの視点にすぎないけど、どの領域、どの工程、どのレイヤで活躍してるヒトにも参考程度にはなると思っている。(あくまで「参考程度」です)

でもね、いずれはこのCNETブログに登場する方々みたいに、カッコよく、アーキテクチャ云々について論じてみせるよ!(知人への私信です、すみません)

 
さて、前回の続き。
僕は、このギョーカイのすべての仕事は定量化され、数値で評価されるべきだと思っている。
そうすりゃ、余力を残して定時で上がろうが、やることさえやってりゃ「ヒマなんじゃね?」と思われることもない。ポーズだけ「忙しい」「帰れない」の演技してるヤツも定量的評価によりサボってるのが一目瞭然になる。
会社の足を引っ張ってるヤツはどんどんあぶりだしたほうがいい。

残業がすべて悪いっていってるんじゃなくて、超過勤務により(力技で)定量的な実績を出すというスタイルの働き方もあってよい。
ただしそれを続けていると、生産性向上を怠るようになるし、それはビジネスマンとしては致命的かもしれない。
そのときは付け焼刃的に定量的評価基準をクリアしていても、やがて客観的査定の評価は下がってゆく。なぜかというと。。

アタリマエのハナシだけど、アンタが生産性向上を怠っているそのときに、この国のビジネス・シーンではアンタの3倍ガンバッているヒトたちがいる。
「ガンバっている」とは、「毎日終電で帰ってます!」ではなくって、自身が生産性を上げるためにはどうしたらよいか? を自問自答しながら、実際生産性を上げてゆくことだ。
そのためにはある程度の力技も必要なんだけど、それだけじゃゼンゼンダメで、インテリジェンスが必須要件になってくる。

これを読んで、「生産性向上」っつったて実際どうすりゃいいんだよ!? と疑問に思ったヒトは、良い機会だから、属している組織の中で「何をすればよいのか?」をもっと突き詰めて考えるとよいと思う。すぐに誰かに聞いたり、検索したりするのではなく。

生産性の向上とは、「結果的に」単位時間あたりの仕事の「質」を向上させることだ。では「質」とは何か?
を、じっくりとあせることなく、かつ、立ち止まることなく、仕事をしながら考える。

 
会社単位だけじゃなくて、転職市場全体を俯瞰してみれば、アンタが努力を怠れば相対的評価が下がるのは当然なんだ。

まァ、サービス残業が常態化してる会社なんざ、全社を上げて生産性向上を怠ってるんだろうからさ、周りがみんなそうなんだから、自分が努力を怠ったところで「抜かれている」感じは起きないだろうけどね。まさに「井の中の蛙」状態。

そもそもそういう会社自体が危うい。会社に従属している蛙たちは、ゆっくりゆっくりゆで上げられているときに自分が死に至らしめられていることを気付かない。

幸いにも会社が危ういと気付き、飛び出そうとしても、生産性向上を怠っていたのだから、同じレベル、あるいはそれ以上の会社に転職するのはムズカしい。
ヒトの入れ替わりが、これほどまでに流動的になってきてるんだから、ひとつの会社に安住してあぐらをかいているわけにはいかない。

 
もひとつ問題なのは、残業や休出がキツくなってくるとどうしてもライフスタイルを仕事中心に回さざるを得ないので、自分の人生が仕事により犠牲になっている感がでてきてしまう。そうするとモチベーションは低下する。その結果生産性はますます上がらない。それは当然。

でも、もっと長いスパンでみれば、人生のある一期間に、がーっと集中して、かつ時間も割いて、がっつり働く期間は必要だと思うけどね。あくまで期間限定という条件付きで。

 
仕事により自分の人生を犠牲にすることが「オトナになること」だと、間違った諦観を持っているヤツは多い。
それは、ただの「洗脳」にすぎないし、このことについてはいずれ書くかもしれない。

若い時分に一生懸命働いていると、この「熱病」にかかってしまうことが多い。通過儀礼としては必要なんだけど。。
20代後半ぐらいの、けっこうガンバっちゃってるビジネスマンの飲み会とかで、それぞれの仕事感についてアツくカタってるのを聞くと、なんだかムズかゆくなってくる。

不快感はそれほど感じない。ガンバるのはいいことだ。自信を持つのもいいことだ。でも、その後誰かがその自信を叩きツブしてくれなければ、そのヒトの仕事人生は不幸になる。

 
別に、その仕事が「天職」であれば、それでいいんだけど。。
それならばゼッタイに「犠牲になっている感」は発生しないんだから。
でもこのギョーカイが「天職」ってのもなあ。。イマイチイケてないような気も。。

 
うーん、果たしてここまで書いてきて、本題に突入しているのだろうか?
それすらもわからなくなってきたけど、書きたいことを書ききった感がないので、おそらく続きます。