作家が絵本に走るのと同じ位相で、歌手が「みんなのうた」に走るのは違和感があるなあ。
タレントが教育テレビに走ること全体と同じように。
これは、目的は「イメージアップ」。
作家が絵本に走るのは、「末永く、どの世代にも売れる」(細く長い印税ゲット)
歌手が「みんなのうた」に走るのも、イメージアップと、「末永い名曲を残したい」という目論見。。
「コドモ心」を商売に利用している、ってところね。ポイントは。
たとえば絵本っていうのは、文書は平易でも、内容は深い。
「それをオマエがかけんのか?」(長州力の「それがオマエのやりかたか?」の言い方で)と言いたいのだ。
「技術」がないといっているのではなくて、そのヨコシマな動機で純粋な絵本、つまりコドモ向け本を書けるわけがねーだろ、まずその商業主義的戦略を捨てやがれ、といいたいのね。
ちょっと前までは、そういう「戦略」は看過できたんだけど。。最近そういう一次的なフェイクにも再び目くじらをたてるようになってしまっているなー
そういう時期か。。
タレントが教育テレビに走ること全体と同じように。
これは、目的は「イメージアップ」。
作家が絵本に走るのは、「末永く、どの世代にも売れる」(細く長い印税ゲット)
歌手が「みんなのうた」に走るのも、イメージアップと、「末永い名曲を残したい」という目論見。。
「コドモ心」を商売に利用している、ってところね。ポイントは。
たとえば絵本っていうのは、文書は平易でも、内容は深い。
「それをオマエがかけんのか?」(長州力の「それがオマエのやりかたか?」の言い方で)と言いたいのだ。
「技術」がないといっているのではなくて、そのヨコシマな動機で純粋な絵本、つまりコドモ向け本を書けるわけがねーだろ、まずその商業主義的戦略を捨てやがれ、といいたいのね。
ちょっと前までは、そういう「戦略」は看過できたんだけど。。最近そういう一次的なフェイクにも再び目くじらをたてるようになってしまっているなー
そういう時期か。。