最近の自分のウラテーマ、かな。
このギョーカイ(インフラ)に棲息していると(フリーという立場で)、ギモンに思うことだらけだ。
だから、楽しくはない。生活のために仕事してる。
小僧の頃はこのギョーカイの体質的なものに対してギモンには思っていなかった。
そんな余裕はなかった。
んで、小僧の頃はギモンを持つべきではないと思う。
たとえば、1万回ぐらい単調作業、ルーティンを繰り返して、自分の血肉にすべきだと思う。ギモンなど感じるヒマもないぐらいに。。
で、歳を取ってくると。。
ギモンを感じる職業に就き続けることは、もしかしたら「負け組」なんじゃないか? という思いがアタマをよぎる。
ギモンを感じてかつ日給8000円だったら完全に負け組だよな。しかも、年寄りでさ。
翻って己自身の現況を鑑みるに~(「ガストロンジャー」風に)現在はかろうじて、家族を養えるぐらいのカネはもらっているが。。
でも、オイラは「精神的負け組」なんじゃねーか? というギモンは払拭できない。
それも「ギモン」か。。 体質そのものにギモンを感じているギョーカイで働くこと自分対するギモン。。 なんだか、よくわからないな。
今の自分があるのは、小僧の頃にギモンを持たずに、わき目もふらずに働いてきたからなんだよね。
今考えれば劣悪な労働環境でさ。。
だから今こそはギモンを感じる資格はあるだろう、というか。
このハナシは「あと10年20年は子育てをしなくちゃならない」というハナシにつながってゆくなあ。。
ギモンの源泉はそこだもんな。
ここで、企業の策略にノせられて完全燃焼してしまうわけにはいかない、ということに気付いてしまったということ。
それが是か非か。それが吉と出るか凶とでるか。
ただ。。残念なことに、というか、ギモンを感じようが感じまいが、IT土方仕事は待っちゃくれねーんだ、これが。
たとえば八百屋にいって魚をくれといえば「なんでオレなんだよ!」といわれて当然、そして八百屋にはそれを言う権利がある。「ウチは便利屋じゃねんだよ!」と。
でも八百屋にいってダイコンがなかったら「ダイコンねーじゃねーか!」と文句をいう権利はあるわな、こっちに。八百屋も、売れ筋の品を切らしちまったということで反省しなきゃならん。次の日には、文句言った客にサービスしちゃったりして。。 「クレーム」に媚び売ってさ。
今までパプリカを置いてなくて、客から「今度からパプリカ置いてくんない?」「毎週買うからさ!」という要望があがったら「喜んで!」と、対応すべきだ。いや、八百屋は八百屋のプライドにかけてパプリカを置いてみなければならないと思うよ。
だって、それは八百屋がおくべき品だもん。
たとえが飛躍しすぎたかな。。
顧客やSIerがIT土方に求めるもの、顧客がSIerに求めるもの、それはどんどん、「オールラウンダー」的になってきてるわけね。
顧客がSIerに「もっと提案してこいや!」と文句言うのもそう。IT土方が「受身体質からの脱却!」「柔軟性!」とプレッシャーをかけられるのもそう。
それはつまり、八百屋に「スーパーになれよ!」あるいは「コンビニになれ」といってるようなもんなんだよ。
そこで、「こちとら八百屋でい!」と客に正面切っていえるか、あるいは顧客の要望にこびへつらって、なんだかよくわからん日用品も置くようになって、逆にスーパーよりもハンパな品揃えになって、専門の八百屋のほうもなおざりになる。。
というふうになってゆくか。
八百屋がスーパーに変わるのはムズカしいんだよ。。
で、オイラの場合、最初っから専門の八百屋ですらない。無許可で八百屋やってたモグリだ。(八百屋に免許があると仮定して、ね)「こちとら八百屋でい!」なんていえるわきゃない。
モグリがバレるのがイヤだからスーパーに転身しただけなんだよ。
このギョーカイ(インフラ)に棲息していると(フリーという立場で)、ギモンに思うことだらけだ。
だから、楽しくはない。生活のために仕事してる。
小僧の頃はこのギョーカイの体質的なものに対してギモンには思っていなかった。
そんな余裕はなかった。
んで、小僧の頃はギモンを持つべきではないと思う。
たとえば、1万回ぐらい単調作業、ルーティンを繰り返して、自分の血肉にすべきだと思う。ギモンなど感じるヒマもないぐらいに。。
で、歳を取ってくると。。
ギモンを感じる職業に就き続けることは、もしかしたら「負け組」なんじゃないか? という思いがアタマをよぎる。
ギモンを感じてかつ日給8000円だったら完全に負け組だよな。しかも、年寄りでさ。
翻って己自身の現況を鑑みるに~(「ガストロンジャー」風に)現在はかろうじて、家族を養えるぐらいのカネはもらっているが。。
でも、オイラは「精神的負け組」なんじゃねーか? というギモンは払拭できない。
それも「ギモン」か。。 体質そのものにギモンを感じているギョーカイで働くこと自分対するギモン。。 なんだか、よくわからないな。
今の自分があるのは、小僧の頃にギモンを持たずに、わき目もふらずに働いてきたからなんだよね。
今考えれば劣悪な労働環境でさ。。
だから今こそはギモンを感じる資格はあるだろう、というか。
このハナシは「あと10年20年は子育てをしなくちゃならない」というハナシにつながってゆくなあ。。
ギモンの源泉はそこだもんな。
ここで、企業の策略にノせられて完全燃焼してしまうわけにはいかない、ということに気付いてしまったということ。
それが是か非か。それが吉と出るか凶とでるか。
ただ。。残念なことに、というか、ギモンを感じようが感じまいが、IT土方仕事は待っちゃくれねーんだ、これが。
たとえば八百屋にいって魚をくれといえば「なんでオレなんだよ!」といわれて当然、そして八百屋にはそれを言う権利がある。「ウチは便利屋じゃねんだよ!」と。
でも八百屋にいってダイコンがなかったら「ダイコンねーじゃねーか!」と文句をいう権利はあるわな、こっちに。八百屋も、売れ筋の品を切らしちまったということで反省しなきゃならん。次の日には、文句言った客にサービスしちゃったりして。。 「クレーム」に媚び売ってさ。
今までパプリカを置いてなくて、客から「今度からパプリカ置いてくんない?」「毎週買うからさ!」という要望があがったら「喜んで!」と、対応すべきだ。いや、八百屋は八百屋のプライドにかけてパプリカを置いてみなければならないと思うよ。
だって、それは八百屋がおくべき品だもん。
たとえが飛躍しすぎたかな。。
顧客やSIerがIT土方に求めるもの、顧客がSIerに求めるもの、それはどんどん、「オールラウンダー」的になってきてるわけね。
顧客がSIerに「もっと提案してこいや!」と文句言うのもそう。IT土方が「受身体質からの脱却!」「柔軟性!」とプレッシャーをかけられるのもそう。
それはつまり、八百屋に「スーパーになれよ!」あるいは「コンビニになれ」といってるようなもんなんだよ。
そこで、「こちとら八百屋でい!」と客に正面切っていえるか、あるいは顧客の要望にこびへつらって、なんだかよくわからん日用品も置くようになって、逆にスーパーよりもハンパな品揃えになって、専門の八百屋のほうもなおざりになる。。
というふうになってゆくか。
八百屋がスーパーに変わるのはムズカしいんだよ。。
で、オイラの場合、最初っから専門の八百屋ですらない。無許可で八百屋やってたモグリだ。(八百屋に免許があると仮定して、ね)「こちとら八百屋でい!」なんていえるわきゃない。
モグリがバレるのがイヤだからスーパーに転身しただけなんだよ。