【改題】ひとり公論(IT公論)

アラフィフとなりIT土方卒業したのでタイトル変更しました
こちらはどちらかといえば再録中心

中間管理職

2007-11-05 00:47:48 | サラリーマン愛憎
**会社シリーズ
-中間管理職
なぜヒトが中間管理職を目指す(あるいは、過去に目指した)かといえば、そのさらに上がみえていたからですね。中間管理職で苦労することが目に見えていたとしても、そこを耐え忍ぶことで、時間さえ経過すればさらに上に突き抜けることができる。(「専務」とか。。)突き抜ければ、相当大きな権限が与えられ、社会的地位もゲットでき、ギャーギャーうるさい末端の相手を次の中間管理職に丸投げでき。。もちろん、給料も上がりますし、銀行からお金も借りやすくなる。
とにかく、バラ色の未来なわけです。

学生時代の体育会系の序列と何ら、変わらない。体育会系の学生らの多くは、上級生になって同じように下級生をイジメる。そのために下級生のとき、必死に耐え忍んでいたわけですからね。
(余談:体育会系というのは世間が考えているよりも陰湿です)


サラリーマンは皆、「責任」を誰かに押し付けたがり、その責任はなぜか社長に集約されてゆくのではなくて、上からも下からも中間管理職に押し付けられるのですね。ですから、中間管理職には自殺が多い。。

でも、年功序列的にそのバラ色の「上」が見えているのであれば、耐え忍ぶことはできるはずなのです。中間管理職が自殺するもっとも多いケースは、昇進の道が、不祥事などで閉ざされたときですね。
退職すれば逃げられるのに、自殺してしまう。。会社組織から逃げるだけで事足りるかもしれないのに、人生というメインステージからも逃げ出してしまう。。
それを批判したいわけではなくて、そこまで追い詰められてしまうということです。


現代の中間管理職は、上が、見えなくなってしまいましたね。年功序列が崩壊して。ですから、責任を押し付けられて耐え忍ぶ意味、理由といったものは、瓦解しました。そこから昇進して、親の敵とばかりに次の中間管理職をイジメる、そういった目標のために頑張る、というモチベーションがなくなってしまったのですから。

では、現代の中間管理職のモチベーションとは、何でしょうか。
すずめの涙ほどの管理職手当ての代わりに残業もカットされ、「ヒラ」よりも時給換算では少ない、というハナシも聞きます。

私は、会社組織に属していない立場から、現代の中間管理職こそ会社の奴隷なのではないか? と問題提起をせざるを得ないのです。

中間管理職をやることによる「ウマみ」が、外野からはまったく見えてこない。

特に昨今、「下」が、なんだかわけのわからない「ゆとり教育」とやらを通過し、最初から「サラリーマン不適格者」の可能性を秘めているわけで。。
(指示に対して常に「なぜ(自分がやらなければならないのか?)」を考えないと「気がすまない」人材というのは、最初からサラリーマン不適格者に一歩足を突っ込んでいます)

部下が言うことも聞かない、チームとしての生産性が上がらない中で成果は上げなければならず、そのノルマは年々キツくなってゆく、という。。 自分ひとりの範囲であれば、なんとかなったり、納得感もあるのでしょうが、はなっから「つかえない」部下を確信犯的に配属され、それで成果は上げろ、さらに「つかえない」部下も育てろ、と会社にいわれ。。

自分と同じ世代のうち、多くのヒトたちが、そういう状況で苦しんでいるのだとすれば、なんというか複雑な感情がわいてきます。同情とも違いますし、激励というわけでもない何か。

家庭を抱えているヒトに対して「やめちゃえば?」と軽く言うことすらできない。

会社では中間管理職として苦しみ、さらに家庭でも問題を抱えているのだとしたら、そのヒトの人生における楽しみは何だろうか? と聞いてみたい。そこから脱出せよ、とアジるのではないのです。どのように精神的に折り合いをつけているのか、その手法を参考にしたいのです。


ところで。。
中間管理職と同じかもしれませんが、「チームリーダ」という存在は、単なる上下からの「インタフェース」にすぎないわけです。

リーダと中間管理職と何が違うかといえば(個人的見解)リーダというのはプロジェクト的、つまり、有限的です。中間管理職も実は有限ではあるのですが、私の中では固定的意味合いを持っています。

リーダは、プロジェクトが散開すればリーダではなくなる。寄せ集めのプロジェクトメンバ内でのリーダであって、とある会社のとある課の係長は、その人材はいずれいなくなったり昇進したりするのでしょうが、そのポストは受け継がれる、みたいな。。


まァ要するに「いいようにコキ使われる」ということですね。かつては、組織の末端の人間が、もっとも「いいようにコキ使われる」人材だったはずが、なまじっか末端の生産性が低下してきたために、ある程度勤労年数も長く、ビジネスマン的スキルも保有している人材をリーダに祭り上げてコキ使うという風潮がある。(ここ、【重要】です)


ところで。。「クラスの委員長」もなんだか似たような感じですね。。先生にとってみれば、まず、クラス代表としてのインタフェースですからね。コキ使える。