【改題】ひとり公論(IT公論)

アラフィフとなりIT土方卒業したのでタイトル変更しました
こちらはどちらかといえば再録中心

■ひとり公論・30代男子成長記録(30~40代大卒男性向けメールマガジン)vol.128

2007-11-05 05:48:38 | メルマガ移行



-(Non Title)

「皆勤賞」って、すごいですよね。。
なぜ、一日も休まず出勤なり登校なり、できるんだろうか?
それはつまり、おおよそ問題なくうまくいってる、ということの証左ですよね。
家庭も学校(会社)も。
とりあえず「行く」ということは。
休まないということは、ある程度よく食べ、よく寝ているということだろうし。
そういう人は、完全にそういう生活が「リズム」になっているということでしょうね。




2007年05月28日20:27 思想の転換(ムカシ話)
「思想の変遷」について

自分が塾の講師をやっていたとき、教え子の学校(私立中・高一貫校)は、帰り際、
正門で、お辞儀を強要していた。

学校に対して、いろいろ教えてもらったことに対する感謝の気持ちを表わせ、ということだ。

まあ、今考えれば、国旗に対峙するときに、胸に手をあてるような、儀式的なことなのだが。。
それに対して自分は、反抗期の生徒たちと同じように、過剰に反応していた。

学校では、ムカつくことだらけなのに、毎日帰り際に「教えてくれてありがとう」と
お礼しなければならないか?
腹が立つことがあったなら、礼をしない日があってもいいのではないか?
イジメられてもケンカしても、学校に対する感謝の気持ちを持てと?

自分はあからさまに、生徒には、ムカつくことがあったらお辞儀なんてしなくてもよい、と
明言していた。
それで先生にオコられたら、塾の先生がそういったと言え、と。
オレが学校の先生相手にしてやるから、と。

実際は、学校の先生からのクレームはなかったけど。。
生徒たちも、結局は反抗してそういう「反逆行為」はやっていなかったんだろう。

。。なぜかわからないけど、燃えてたなあ。。
とにかくそのときは、それがものすごく理不尽なことのように思えたんだよね。

あれは、今思えば、日の丸への敬礼を強要されて不快感を感じる日教組のセンセー
たちと同じ感覚なんだろうか。

でも、今考えると、全然アリだと思うね。その儀式は。
生徒は、カタにはめるべきだと思う。(こないだ読んだ「ドラゴン桜」のパクリ。。)


ただ何がいいたいかというと、自分の考え方というのは、年月が経過するとカンタンに
変わってしまうということ。

自分はこれでも、けっこう思想に一貫性はあるつもりなんだけど。。
独りよがりでそう思っているだけじゃなくて、他人からもそう見られている。

それでも、そんなヤツでも、長いスパンでみればコロッコロ考え方は変わるんだよね。

だから、あんまり他人の「転向」を批判するのもどうか、と思うんだ。他人の
過去の発言を詮索したりとか。


でも自分は、その「転向」は、マスコミの直接の影響は受けていない。(間接的な
影響は否定しない)

自分で考えた結果としての自分の思想が、ゆるやかに変わってゆく、ということだ。


これは、「転向」というよりは、「流れ」のようなものではないかな。




2007年05月28日20:31 反面教師:モノに囲まれて暮らす

「生活にうるおい」のためにモノで囲まれて暮らしたい、なんていうヤツは
ゼッタイに信用ならない。

好みのモノを置くことを否定はしないが、「囲まれる」必要は全くない。

身の回りのものは最低限に、シンプルにしてゆくのが、高度資本主義社会の
「高度」なライフスタイルだ。

だから、身の回りをシンプルにする手段としての「レンタルスペース」っていう考えは
アリだと思うね。

何か、ムカシ読んだ本とかが見たくなったときに、ちょっと電車とか車にのって
自分の遠隔の物置に取りに行く、っていうのはちょっと憧れるな。。

欲しいものが常に手に届くところにあるのが幸せとは限らんよ。