絵画指導 菅野公夫のブログ

大好きな絵とともに生きてます

バスケットの思い出 余話2

2009-12-06 | 思い出
高校になって、本庄西のキャプテンと副キャプテンと同級生になりました。

そして、一緒にバスケット部に入ってプレーをしましたが、中学時代の話になった時、副キャプテンのN君が、決勝の時、後半は俺たちもマンツーマンをやればよかったんだと言いました。そうすれば、前半の得点差があるから、後半にいい勝負になれば、勝つチャンスもあったんだと言っていました。
確かにそうだなと思いました。なぜなら、本庄西がゾーンだったので、ダブルローポストの秘策が使えたからです。あのスクーリーンプレーは、マンツーマンでは使えませんでした。それは、ベンチワークの違いで、児玉が勝ったのです。

戦っているのは選手なのに、その戦略で勝敗が大きく左右するということを学びました。ボックスワンによって、我々が負けました。マンツーマンではいい勝負でした。ゾーンプレスで脅かして、スクリーンプレーで我々が勝ちました。こう考えてくると、バスケットは頭のスポーツだなと思います。

ーーーーーー
私がジャンプシュートを覚えたのは、一年生の後半だったと思います。教えてくれたのは、Tコーチです。その頃、二年生の先輩たちは誰もジャンプシュートができませんでした。ジャンプシュートは腹筋がないとできないと言っていました。また、背がないと駄目だとか言っていました。そして、無理にやるならと言って、顔の下辺りから、やってみせてくれたことがありました。
そのときは、へええ、そんなものかな?と思っていましたが、私はやってみたらできました。背が低いとできない。腹筋が強くないとできない。この二つが理由で、先輩たちは、最後までジャンプシュートをしませんでした。

それは、後になると、なんと愚かなことかと分かります。それを考えた時、指導者がいなかったんだなと思いました。私も先輩の言うことですから、一々反論はしません。尤も、軍隊のようでしたから、言えるわけがありません。もし、共和中なら、私は言っていたでしょう。そんなことはないよと。
ジャンプシュートは身長に関わらずだれでもできます。きちんと指導されたらできない人はいません。まして、背の高さは関係ありません。腹筋も使いますが、強い弱いに関係ありません。だから、その当時は、Tコーチは私にだけ教えたのです。
まだ、完全にTコーチも我々のコーチではなかったんですね。どちらかと言えば、共和のコーチでした。U先生と親しかったからです。
だから、Tコーチが本格的に統合中学を教え出したときも、どちらかと言えば、女子ばかり教えて、男子はついでに見てくれるというものでした。男子が本格的に見てもらうようになったのは、私たちより下の学年になってからでした。

ただ、私だけが個人練習を一人でしているものだから、いろいろ教えてもらえたのだと思います。そのために、私は先輩を追い抜いてしまったのだろうと思います。

ーーーーーー
女子の顧問のU先生は、審判の資格を取って、先生方に審判の方法を指導する立場になりました。そのため、県大会でも、審判がどうであるかを審査するくらいの立場になったのです。そうなると、児玉が試合をするときは有利です。試合が終わってから、今のジャッジはどうだったでしょうかと審判がU先生に尋ねるのですから、場合によると、どっちだかわからないボールは、みんな児玉に来てしまいます。ボールがコートから出た時に、どっちが最後に触って出たかで、どちらのボールになるかが決まります。そんなとき、わからないことがかなりあるのです。
そのたびに、マイボールになれば試合はずっと有利になります。極端なことを言えば、審判で試合がひっくり返ることがあるのです。
だから、場合によると、審判がU先生にゴマをすることさえあるのでしょう。それは、いけないことです。しかし、現実にはそういう心理は働くものです。だから、顧問の先生が顧問間の関係をどのようにしているかで、チームが有利になったりもするのだということを後でお聞きしました。
Tコーチが、「U先生が県に行って、他の顧問の先生方と仲良くなってきてくれるので、助かるよ」と言っていたことがありました。



コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 小平の紅葉 | トップ | 日曜デッサン会 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

思い出」カテゴリの最新記事