新人戦の県大会予選がやってきました。
場所は、神川中学です。予選は8チームです。児玉郡本庄市を合わせてもそれだけの中学数でした。その中から1チームだけ県大会に出られます。ということは、とにかく優勝しなければなりません。
我々は、当然それを目標にしました。3年生のチームでは、本庄西に負けて県大会に行けなかったのです。その意味で、リベンジでした。
組み合わせを見ると、強敵と思われた上里が本庄西のブロックに入っています。ホーと思いました。心の中では、ラッキーという感じです。県北大会の様子を見ていて、もしかしたら上里が一番強いのではないかと思ったくらいですから、もし、本庄西が負けて上里が上がって来ても、当たるのは決勝です。準決勝で、本庄西と上里がぶつかれば、どちらも疲れて、楽々勝ちあがる我々にとっては、体力的にも消耗がなくて有利だと思いました。それと、もしかして、上里が上がってきた場合でも、上里は県大会の経験がありません。だから、いざとなったらプレッシャーもかかるはずだと思いました。
我々は、そういう意味では、楽な気持ちで、試合に臨みました。
ーーーー
一回戦が始まりました。そこでおかしなことが起こりました。
始まったら、直ぐに先生がどこかに行ってしまったのです。
審判は、監督がいなくていいのですかと言っていました。私も、「えーー」と思いました。そうしたら、「大丈夫だよ、見てなくても楽勝だから」と言っていたというのです。そういうのは、いいのでしょうか?先生はどんな用事があったのでしょう。今考えると、そういうことはあり得ない話です。審判に叱られます。何かの反則になるのではないでしょうか。なのに、先生は余裕を見せているのか、平然といなくなりました。
私は正直言って、不安になりました。試合とは監督の指示に従って戦うのです。まずい展開になれば、タイムアウトを取って、発破をかけたり、指示を出したりするのです。それが、先生は全く心配ないというのか、いなくなりました。
確かに、負ける気はしないし、先生がいなくても戦うのは私たちですから、問題ありません。先生は素人ですから、勝ち方は我々の方がよくわかっています。コーチもまだ来ていませんでした。だから、信じられないことですが、ベンチに監督、コーチなしで試合が始まりました。
試合は、先生の予想どおり、先生がいない内に大差がつきました。そして先生は余裕を持って、戻ってきました。それからは、相手チームには悪いのですが、どんどんメンバーチェンジをして一年生まで出させる形で、終わりました。
次は、準決勝です。相手は神川中学でした。会場校ということもあり、応援はたくさん来ました。しかし、これも大差で勝ちました。この神川中学のキャプテンはO君と言いますが、後に高校時代に一緒になります。高校2年と3年で同じクラスになりました。彼との縁はここから始まりました。ただ、彼は何を勘違いしたのか、私がそうとうな不良だと思ったそうです。試合中にすごいファールを受けた時、「ふざけんなこの野郎」と言ってしまったのです。それは、本来なら暴言でしょう。しかし、審判にはとがめられませんでした。その時の目つきなどから、彼はその後ずっと私が不良の親分くらいに感じていたらしいのです。高校に行ってからずっと言われました。まあ、キャプテンでもあったし、まるで先生のように振舞っていて、親分的に見えたかもしれません。
その暴言は、相手があまりにバスケットの動きを知らないので、来る筈もないところへぶつかられて、私が痛い思いをさせられたのです。それは酷いファールでした。とても敵わないと思った時に、相手のエースを潰せということがありますが、こんなことをされては、怪我をしてしまうというものでした。だから怒った私を審判が咎めなかったのかもしれません。
とにかく、我々は、楽勝で決勝に進みました。
ーーーー
反対のブロックを見ていると、準決勝で上里と本庄西が戦っています。私の予想通り、なかなかの接戦で、やはり上里が思ったより強いと思いました。だから、もしかしたら上里が勝って上がって来るかもしれないとも思いました。
その時の本庄西の印象は、キャプテンの(やはりO君と言いますが)髪型でした。
長い髪をなびかせてとまでは言いませんが、少し長めの髪を7-3に分けて、黒髪をかき上げます。シュートを決める度に、中指と薬指の間に前髪を挟んで、正面から左上にかきあげるのです。それが実にかっこいいのです。顔もいいので、女の子がキャーキャーいうような感じでした。
我々と言えば、坊主頭です。かき上げる髪の毛がありません。だから、それを見ていて、カッコいいなあと思いながら、「チキショウ、かっこつけやがって」と苦々しく思っていました。マンガで言えば、星飛雄馬に対して、花形満が出て来たような感じでしょうか?それとも柔道一直線の一条直也に対する、あれ??ピアノを足で引くかっこいい男は誰でしたっけ?(近藤正臣かな?)
とにかく、そんな感じでした。そのOくんは、自分がモテることを自覚しているかのように、声援に笑顔で答えるのでした。
結局、僅差ではありましたが、本庄西が勝って、決勝に上がってきました。
ーーーーーー
そして、とうとう決勝戦が始まりました。
我々は、準決勝までは、ゾーンディフェンスでしたが、この決勝だけは、マンツーマンにしました。ここ一番という勝負のときだけ、使うディフェンスです。本庄西は、そのディフェンスに戸惑いました。本来はマンツーマンディフェンスは当たり前の戦法なのですが、その頃の私たちは、体力がありません。いつもそれを使っていると、疲れて体力が続きません。だから、できればゾーンディフェンスで行って、ここが勝負というときに使う方法なのです。それを、決勝では初めから終わりまで使いました。
それに対して、相手はゾーンディフェンスです。我々は、どちらかと言えば、攻めるときに休めました。相手もマンツーマンで来たら、きっと体力が続かなかったでしょう。
戦いは、ほとんど五分五分でしたが、後半から差が出て来て、最終的には、10点以上差がついて、我々が勝ちました。最後の方は、私も調子づいて、入らないようなとんでもないシュートが入ったりして、周りを驚かせました。
後で聞いた感想では、あんな凄い奴がいるんじゃあ、児玉にはとても勝てないと噂が広がったということでした。高校になってからその時の様子を見ていた友達に聞く度にそのように言われました。もし、MVPというものがあれば、あの時はおそらく私がもらっていただろうと思います。
私は、試合が終わった時、ヤッターと思いました。先輩たちが果たせなかった県大会出場を決めたぞ!と誇らしい気持ちでした。同時に女子も優勝したので、こういうのをアベック優勝というんだなと思って、更にいい気分でした。しかし、優勝しても涙は出なかったように思います。さも当然という顔をしていたような気がするのですが、どうだったでしょうか。
勝って泣くことは、もう県北大会の一回戦で全てやってしまいました。だから、その後の大会で勝っても泣くことはなかったような気がします。
ーーー
しかし、私はこの後、とんでもない失敗をします。
それは、風邪を引いてしまったのです。なぜ、風邪を引いたのかはよくわかっています。勝ったという安堵感から、気を抜いたのです。試合が終わって、着換えるとき背中がゾクゾクとしました。やった!勝ったんだと勝利をしみじみと味わった後、もうどうやっても勝ちは勝ちだと思い、そう言えばいろいろな場面でゲン担ぎをしていたなあと思いました。だから気を抜いたら勝てないということも含まれていて、勝ったのでもう気を抜いても大丈夫だと思いました。実はいろいろなゲン担ぎをしていたのです。スポーツ選手には、そういう人がたくさんいますね。勝ち続けている内は髭を剃らないという人の話はよく聞きます。
私たちは中学生ですから、髭はありませんが、それでもいろいろなことに勝ち負けの理由をつけました。しかし、もう勝ったんだ、何をどうしてももう勝ちは変わらないと思った瞬間に、あーっと気が抜けました。いままで気を張っていたのです。
キャプテンとしての責任も感じていました。だからそれが果たせて、ほっとしたのです。それが、いけませんでした。
本当にとんでもない大風邪でした。一週間くらい学校を休んだと思います。そのために、私は結局、県大会に行けませんでした。ええーー??でしょ。
それでも、児玉中学は二回戦まで行きました。その二回戦でも、もしかしたら勝てそうな展開になったのだそうです。私のワンマンチームの筈が、私がいなくてもそんな勝ち方ができるくらい、他のメンバーもうまくなっていたのですね。
ーーー
試合当日、疲れているのに、先生が私の家まで来てくれて、試合の状況を報告してくれました。私は袢纏を着て先生の話を炬燵で聞きました。先生と正面で向き合って話すのは滅多にないので、緊張して目のやり場に困りました。しかし、仲間がとても頑張ってくれたんだなとわかりました。
この試合に勝って、次は菅野に出てもらうんだと気持ちを一つにして立ち向かったと聞きました。私はとてもうれしく思い、それと同時に仲間に済まないことをしたと感じました。
部活紹介では、マネージャーが1年生向けに話をしましたが、キャプテンが風邪を引いて行けなかったのに、二回戦まで進んだ。もしかしたら勝てるかもしれないところまで、相手を追い込んだ、だから、もし菅野が行っていれば、優勝したかもしれないとまで、大げさに紹介したそうです。
それは、無理でしょうね。県北大会で大原にとんでもない目にあっていますし、それ以上に大男のいる深谷が強かったのですから。
しかし、そんな風に言われたことを思い出しました。
ーーーーー
後日談になりますが、その相手というのは、小川東中学でした。
我々は、練習試合を申し込みました。そして、楽勝しました。実は、県大会の時はキャプテンがいなかったんだ。だから負けたんだ、本当はこんなに強いんだぞと示した形になりました。だから、本当に悔しいのです。私が行けていたら、どこまで勝ち進めていたのか、それを知りたかったですね。
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場所は、神川中学です。予選は8チームです。児玉郡本庄市を合わせてもそれだけの中学数でした。その中から1チームだけ県大会に出られます。ということは、とにかく優勝しなければなりません。
我々は、当然それを目標にしました。3年生のチームでは、本庄西に負けて県大会に行けなかったのです。その意味で、リベンジでした。
組み合わせを見ると、強敵と思われた上里が本庄西のブロックに入っています。ホーと思いました。心の中では、ラッキーという感じです。県北大会の様子を見ていて、もしかしたら上里が一番強いのではないかと思ったくらいですから、もし、本庄西が負けて上里が上がって来ても、当たるのは決勝です。準決勝で、本庄西と上里がぶつかれば、どちらも疲れて、楽々勝ちあがる我々にとっては、体力的にも消耗がなくて有利だと思いました。それと、もしかして、上里が上がってきた場合でも、上里は県大会の経験がありません。だから、いざとなったらプレッシャーもかかるはずだと思いました。
我々は、そういう意味では、楽な気持ちで、試合に臨みました。
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一回戦が始まりました。そこでおかしなことが起こりました。
始まったら、直ぐに先生がどこかに行ってしまったのです。
審判は、監督がいなくていいのですかと言っていました。私も、「えーー」と思いました。そうしたら、「大丈夫だよ、見てなくても楽勝だから」と言っていたというのです。そういうのは、いいのでしょうか?先生はどんな用事があったのでしょう。今考えると、そういうことはあり得ない話です。審判に叱られます。何かの反則になるのではないでしょうか。なのに、先生は余裕を見せているのか、平然といなくなりました。
私は正直言って、不安になりました。試合とは監督の指示に従って戦うのです。まずい展開になれば、タイムアウトを取って、発破をかけたり、指示を出したりするのです。それが、先生は全く心配ないというのか、いなくなりました。
確かに、負ける気はしないし、先生がいなくても戦うのは私たちですから、問題ありません。先生は素人ですから、勝ち方は我々の方がよくわかっています。コーチもまだ来ていませんでした。だから、信じられないことですが、ベンチに監督、コーチなしで試合が始まりました。
試合は、先生の予想どおり、先生がいない内に大差がつきました。そして先生は余裕を持って、戻ってきました。それからは、相手チームには悪いのですが、どんどんメンバーチェンジをして一年生まで出させる形で、終わりました。
次は、準決勝です。相手は神川中学でした。会場校ということもあり、応援はたくさん来ました。しかし、これも大差で勝ちました。この神川中学のキャプテンはO君と言いますが、後に高校時代に一緒になります。高校2年と3年で同じクラスになりました。彼との縁はここから始まりました。ただ、彼は何を勘違いしたのか、私がそうとうな不良だと思ったそうです。試合中にすごいファールを受けた時、「ふざけんなこの野郎」と言ってしまったのです。それは、本来なら暴言でしょう。しかし、審判にはとがめられませんでした。その時の目つきなどから、彼はその後ずっと私が不良の親分くらいに感じていたらしいのです。高校に行ってからずっと言われました。まあ、キャプテンでもあったし、まるで先生のように振舞っていて、親分的に見えたかもしれません。
その暴言は、相手があまりにバスケットの動きを知らないので、来る筈もないところへぶつかられて、私が痛い思いをさせられたのです。それは酷いファールでした。とても敵わないと思った時に、相手のエースを潰せということがありますが、こんなことをされては、怪我をしてしまうというものでした。だから怒った私を審判が咎めなかったのかもしれません。
とにかく、我々は、楽勝で決勝に進みました。
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反対のブロックを見ていると、準決勝で上里と本庄西が戦っています。私の予想通り、なかなかの接戦で、やはり上里が思ったより強いと思いました。だから、もしかしたら上里が勝って上がって来るかもしれないとも思いました。
その時の本庄西の印象は、キャプテンの(やはりO君と言いますが)髪型でした。
長い髪をなびかせてとまでは言いませんが、少し長めの髪を7-3に分けて、黒髪をかき上げます。シュートを決める度に、中指と薬指の間に前髪を挟んで、正面から左上にかきあげるのです。それが実にかっこいいのです。顔もいいので、女の子がキャーキャーいうような感じでした。
我々と言えば、坊主頭です。かき上げる髪の毛がありません。だから、それを見ていて、カッコいいなあと思いながら、「チキショウ、かっこつけやがって」と苦々しく思っていました。マンガで言えば、星飛雄馬に対して、花形満が出て来たような感じでしょうか?それとも柔道一直線の一条直也に対する、あれ??ピアノを足で引くかっこいい男は誰でしたっけ?(近藤正臣かな?)
とにかく、そんな感じでした。そのOくんは、自分がモテることを自覚しているかのように、声援に笑顔で答えるのでした。
結局、僅差ではありましたが、本庄西が勝って、決勝に上がってきました。
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そして、とうとう決勝戦が始まりました。
我々は、準決勝までは、ゾーンディフェンスでしたが、この決勝だけは、マンツーマンにしました。ここ一番という勝負のときだけ、使うディフェンスです。本庄西は、そのディフェンスに戸惑いました。本来はマンツーマンディフェンスは当たり前の戦法なのですが、その頃の私たちは、体力がありません。いつもそれを使っていると、疲れて体力が続きません。だから、できればゾーンディフェンスで行って、ここが勝負というときに使う方法なのです。それを、決勝では初めから終わりまで使いました。
それに対して、相手はゾーンディフェンスです。我々は、どちらかと言えば、攻めるときに休めました。相手もマンツーマンで来たら、きっと体力が続かなかったでしょう。
戦いは、ほとんど五分五分でしたが、後半から差が出て来て、最終的には、10点以上差がついて、我々が勝ちました。最後の方は、私も調子づいて、入らないようなとんでもないシュートが入ったりして、周りを驚かせました。
後で聞いた感想では、あんな凄い奴がいるんじゃあ、児玉にはとても勝てないと噂が広がったということでした。高校になってからその時の様子を見ていた友達に聞く度にそのように言われました。もし、MVPというものがあれば、あの時はおそらく私がもらっていただろうと思います。
私は、試合が終わった時、ヤッターと思いました。先輩たちが果たせなかった県大会出場を決めたぞ!と誇らしい気持ちでした。同時に女子も優勝したので、こういうのをアベック優勝というんだなと思って、更にいい気分でした。しかし、優勝しても涙は出なかったように思います。さも当然という顔をしていたような気がするのですが、どうだったでしょうか。
勝って泣くことは、もう県北大会の一回戦で全てやってしまいました。だから、その後の大会で勝っても泣くことはなかったような気がします。
ーーー
しかし、私はこの後、とんでもない失敗をします。
それは、風邪を引いてしまったのです。なぜ、風邪を引いたのかはよくわかっています。勝ったという安堵感から、気を抜いたのです。試合が終わって、着換えるとき背中がゾクゾクとしました。やった!勝ったんだと勝利をしみじみと味わった後、もうどうやっても勝ちは勝ちだと思い、そう言えばいろいろな場面でゲン担ぎをしていたなあと思いました。だから気を抜いたら勝てないということも含まれていて、勝ったのでもう気を抜いても大丈夫だと思いました。実はいろいろなゲン担ぎをしていたのです。スポーツ選手には、そういう人がたくさんいますね。勝ち続けている内は髭を剃らないという人の話はよく聞きます。
私たちは中学生ですから、髭はありませんが、それでもいろいろなことに勝ち負けの理由をつけました。しかし、もう勝ったんだ、何をどうしてももう勝ちは変わらないと思った瞬間に、あーっと気が抜けました。いままで気を張っていたのです。
キャプテンとしての責任も感じていました。だからそれが果たせて、ほっとしたのです。それが、いけませんでした。
本当にとんでもない大風邪でした。一週間くらい学校を休んだと思います。そのために、私は結局、県大会に行けませんでした。ええーー??でしょ。
それでも、児玉中学は二回戦まで行きました。その二回戦でも、もしかしたら勝てそうな展開になったのだそうです。私のワンマンチームの筈が、私がいなくてもそんな勝ち方ができるくらい、他のメンバーもうまくなっていたのですね。
ーーー
試合当日、疲れているのに、先生が私の家まで来てくれて、試合の状況を報告してくれました。私は袢纏を着て先生の話を炬燵で聞きました。先生と正面で向き合って話すのは滅多にないので、緊張して目のやり場に困りました。しかし、仲間がとても頑張ってくれたんだなとわかりました。
この試合に勝って、次は菅野に出てもらうんだと気持ちを一つにして立ち向かったと聞きました。私はとてもうれしく思い、それと同時に仲間に済まないことをしたと感じました。
部活紹介では、マネージャーが1年生向けに話をしましたが、キャプテンが風邪を引いて行けなかったのに、二回戦まで進んだ。もしかしたら勝てるかもしれないところまで、相手を追い込んだ、だから、もし菅野が行っていれば、優勝したかもしれないとまで、大げさに紹介したそうです。
それは、無理でしょうね。県北大会で大原にとんでもない目にあっていますし、それ以上に大男のいる深谷が強かったのですから。
しかし、そんな風に言われたことを思い出しました。
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後日談になりますが、その相手というのは、小川東中学でした。
我々は、練習試合を申し込みました。そして、楽勝しました。実は、県大会の時はキャプテンがいなかったんだ。だから負けたんだ、本当はこんなに強いんだぞと示した形になりました。だから、本当に悔しいのです。私が行けていたら、どこまで勝ち進めていたのか、それを知りたかったですね。
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