昨日は、さわらび展の最終日でした。
ご覧いただいた皆様に感謝申し上げます。
展覧会は、思わぬ人に会える機会でもありますが、昨日は、本当に何十年ぶりという人に会いました。
井田くんという高校時代の美術部の後輩です。二年下なので、私が三年生の時の一年生です。
初め誰だか分からず、顔はなんとなくわかるけれど、どこでどういう関係だったかすぐには思い出せませんでした。
名前を聞いて、そうだ井田君だとわかりました。
そして、開口一番、「菅野さん、いい仕事を残しましたね」と彼が言いました。
私はその一言で嬉しくなりました。それと同時に、そのように言える彼が只者ではないと感じました。
それで「ほう、そんな風に言えるのは、大したものだね」と返しました。
人のやっていることを、そんな歴史的見方というのでしょうか、そういう目で捕えられるということが
他の人と違うと思ったのです。
よくよく、聞いてみると、テレビ関係の仕事をしていて、いろいろな人を取材することが多いので、自然と人の一生とか、人生という見方をするようになっているらしいです。
さわらび展を知っていて来たの?という問いには、曖昧な返事でした。
私が本庄第一高校で美術部を指導していることを知っていて来たのではないそうです。
来てみて、それを知って驚いたと言っていました。
ーーーーー
実は、今年彼は父親を亡くしたそうです。
父の関係のことをいろいろな人から聞いて知るたびに、父のすごさを感じて、益々父が生前どのような人たちと関わり、どんな人生を歩んだのかを知りたくなり、そんなところへさわらび展の案内状が届いたというのです。
きっと何年か前に、さわらび展を見て芳名帳に記載したために、案内状が届いたのでしょう。
父が見たさわらび展とはどういう展覧会だろうという興味から来たということでした。
そして、入口にある文章を読んで、この美術部は高校時代の先輩が築いたものだと知って驚いたというのです。
そして、彼は、私に会えて感激してくれたのですが、「これは、父が会わせてくれたのだ」と言っていました。
お父さんという人は、特攻隊の生き残りだと言っていました。
体は丈夫で、つい最近まで、いろんなところで開かれるマラソン大会に参加するほど元気で、年齢は88歳だったそうですが、MRI検査などをしても異常がなく、これは十分100歳まで生きられると言われていたほどの人だったそうです。しかし、最近急速に衰えて、死因は老衰ということでした。
そんなことがあるのだろうかというくらい意外なことだったようです。
88歳なら長生きだと思われますが、それでもあの元気だった父がこんな風に弱ってしまうなんてと、もう亡くなって半年経つのに、まだ思い出して涙ぐんでしまうと語りました。いくつになっても父親というものは掛け替えのない偉大なものです。それと同時に彼は優しいんだなと思いました。
ーーーー
展覧会は、普段会えないいろいろな人に会わせてくれます。
ある人の遺作展に行ったとき、その場で出会った人が、亡くなったその画家さんが私たちを会わせてくれたんだわと言っているのを聞いたことがあります。
展覧会というのは、そういう要素も含んでいるんだなと思います。
私にとっても、今回井田君に会えたのは、彼のお父さんのお蔭なのです。
謹んでご冥福をお祈りいたします。
ご覧いただいた皆様に感謝申し上げます。
展覧会は、思わぬ人に会える機会でもありますが、昨日は、本当に何十年ぶりという人に会いました。
井田くんという高校時代の美術部の後輩です。二年下なので、私が三年生の時の一年生です。
初め誰だか分からず、顔はなんとなくわかるけれど、どこでどういう関係だったかすぐには思い出せませんでした。
名前を聞いて、そうだ井田君だとわかりました。
そして、開口一番、「菅野さん、いい仕事を残しましたね」と彼が言いました。
私はその一言で嬉しくなりました。それと同時に、そのように言える彼が只者ではないと感じました。
それで「ほう、そんな風に言えるのは、大したものだね」と返しました。
人のやっていることを、そんな歴史的見方というのでしょうか、そういう目で捕えられるということが
他の人と違うと思ったのです。
よくよく、聞いてみると、テレビ関係の仕事をしていて、いろいろな人を取材することが多いので、自然と人の一生とか、人生という見方をするようになっているらしいです。
さわらび展を知っていて来たの?という問いには、曖昧な返事でした。
私が本庄第一高校で美術部を指導していることを知っていて来たのではないそうです。
来てみて、それを知って驚いたと言っていました。
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実は、今年彼は父親を亡くしたそうです。
父の関係のことをいろいろな人から聞いて知るたびに、父のすごさを感じて、益々父が生前どのような人たちと関わり、どんな人生を歩んだのかを知りたくなり、そんなところへさわらび展の案内状が届いたというのです。
きっと何年か前に、さわらび展を見て芳名帳に記載したために、案内状が届いたのでしょう。
父が見たさわらび展とはどういう展覧会だろうという興味から来たということでした。
そして、入口にある文章を読んで、この美術部は高校時代の先輩が築いたものだと知って驚いたというのです。
そして、彼は、私に会えて感激してくれたのですが、「これは、父が会わせてくれたのだ」と言っていました。
お父さんという人は、特攻隊の生き残りだと言っていました。
体は丈夫で、つい最近まで、いろんなところで開かれるマラソン大会に参加するほど元気で、年齢は88歳だったそうですが、MRI検査などをしても異常がなく、これは十分100歳まで生きられると言われていたほどの人だったそうです。しかし、最近急速に衰えて、死因は老衰ということでした。
そんなことがあるのだろうかというくらい意外なことだったようです。
88歳なら長生きだと思われますが、それでもあの元気だった父がこんな風に弱ってしまうなんてと、もう亡くなって半年経つのに、まだ思い出して涙ぐんでしまうと語りました。いくつになっても父親というものは掛け替えのない偉大なものです。それと同時に彼は優しいんだなと思いました。
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展覧会は、普段会えないいろいろな人に会わせてくれます。
ある人の遺作展に行ったとき、その場で出会った人が、亡くなったその画家さんが私たちを会わせてくれたんだわと言っているのを聞いたことがあります。
展覧会というのは、そういう要素も含んでいるんだなと思います。
私にとっても、今回井田君に会えたのは、彼のお父さんのお蔭なのです。
謹んでご冥福をお祈りいたします。
来年は、絶対に行きます。
先生、甲状腺の手術大変でしたね。
来年こそ、お会いしたいです。
いつまでも、元気でいてください。
甲状腺の手術は三年前ですが、その前に会って、その後会ってない人みたいですね。
甲状腺の手術の事は、このブログてわかりました。
来年こそ、さわらび展に行きます。
また、コメントします。
書く張り合いになります。