古い話だが、中学校の担任の先生を尊敬していた。
年齢は、40代。豪快なお話しをされる方で、思春期に大きな影響を受けた。
何人かの友人と、真剣に日本のことを話し合ったりした。
もう40年以上前のことだから、当時70年安保に重なっていたのかもしれない。
でも、その先生は、右寄りの考え方だった。
思想的なことへの指導はなかったが、気持ちは戦前の国粋主義者へと傾いたように感じた。
非常に熱く語る先生で、抑揚のついた話し方、口角泡を飛ばす、激しい主張。
思春期の僕達は、酔い知れていたのだろう。
それから2,3年して、その先生は、詐欺罪で警察に捕まった。
生徒の父兄に金を無心して、返さなかったという、詐欺罪だったようだ。
言葉巧みな誘導で、なかなか立件まで時間が掛かったと聞く。
その時、私は、既に関東の方に転校しており、
噂で、その話を聞いた。
そんなことがトラウマになっているのかどうか、、、それはよく分からないが、
今でも、口の上手い人、弁の立つ人を警戒する気持ちが人一倍強い。
人が、やり遂げてきたことを順序立てて、聞いていけばその人の人となりが分かってくると思うのだが、
最近の人の成果も、その人なりに脚色されていたりして、なかなか額面通りには受け取りにくい。
そうなると、心地いい、耳触りのよいお話しや、甘い誘いのお話しに、
グッと我慢することに重きを置いて聞くことに尽きてしまう。
実際の生活では、数年以上のお付き合いがその証明になっていくような気がする。
ビジネスだったら、そんなに掛けず、もっとドライな関係で時を過ごしながら進んでいけるが、
家庭、家族の関係ならより慎重になってくる。
そんな自分の生い立ちや、トラウマを思いながら、
この度の民主党党首選、自民党総裁選、日本維新の会結党の演説を見ていた。
何をかいわんや。なにも言えない・・・。
・・・・はて、我に帰ると、
ほとんど詐欺師の言葉の様な気がしたのは、私だけなのだろうか・・・・。
しかし、それのみに限らず、
今の世の中、
口の達者な人、言葉巧みな人が、ホントに増えたもんだ。
『有言実行』が持て囃され、『不言実行』とか、謙虚さなんかは、死語に近くなってきた。
目立ってなんぼ、パフォーマンスを高めることへの努力は半端ない。
実際に何年かお付き合いできる中なら、相手のことも理解できるけど、
何回か話を聞くだけで、判断しなくてはならないケースも多い。
そんなときは、その人の口調に終始して聞くことに決めている。
つまり、口の上手い、弁の立つ人の言うことは信じない・・・ことに^^