運命と出会う瞬間

映画・小説・音楽・・なんでもありの気ままな感想

託されたもの

2013年02月02日 00時33分57秒 | Weblog

伊勢にお住まいで
長年、青少年の育成と
伊勢神宮のために真を捧げてこられた方が
初めて、本を出された。
現在では、神さまのお役目をされるために
肉眼がご不自由になられたので
もちろん口述筆記だけれど
遅すぎるくらい、待たれていた一冊だ。

謙虚にもほどがある?というくらい
私の言葉なんて残らんでいいのです、という姿勢でこられながら
ときおりふっと詠まれる歌は
どれだけ多くの人の指針となり
いいもわるいも決して裁かずやわらかい懐は
人々の気持を救ってこられたろう。
本来の伊勢、やまと、トのをしえを
姿で表してくださっているかのような方である。
そして、奥様がまた、素晴らしい。
相応なので、これはお二人あわせての伊勢のお姿で
お二人合わせての出版なのだと、
こちらの喜びもひとしおだ。

その、先生に、初めてお目にかかってから
何度目のときだろう
家族でお伺いしているときに
ふと、先生が、私の手をとっておっしゃられた。
『ああ、いままでわからなかったけれど
 いま、はじめてわかりました、そうだったんですね。』
??いったい、何をおっしゃろうと?
『ご主人の、亡くなられた奥様はあなたのお姉さんだった人なんですね
 あなたたちは姉妹だった』
『先生??いえー、違います』
『いや、ちがわないんだ、あなたは昔、その方の妹だった』
・・・あらあら、これはまるで江原さんのオーラの泉とかのようなことを
先生までおっしゃるというのかしら
つまり、そんなご縁だから、一緒になって、せいぜい大事になさいよとおっしゃる?
そう、苦笑して拝聴していたら
先生は、いたって真面目なお顔で
畳に指で丸を描くしぐさをなさりながら続けた。
『いいですか、これが、亡くなられた方ね
 そして、これがご主人、
 そして、これが〇〇君、
そしてこれが、あなたです。
 亡くなられたこの人は、この、ご主人に頼もうとしたけれどだめで
 こっちの〇〇君に頼もうとしたけれどだめで
 それで、昔妹だった、この、あなたに託しました。』
・・・・・・・・・
『あなたに頼みを託しました』
ドキ☆いったい、、、そ、それは息子のことでしょう。
そう思うから、はい、一生懸命、わが子と思い
というか、わが子とかそうでないとか
もともと隔てを感じることはないし
どんなときでも、
この子のために本当によかれと、いつも心がいっぱいです。
あれ?でも、待てよ、
この子にも頼もうとしたけれどだめだったとな?
この子の世話を本人に頼んだりはしない
では、いったい・・・
『そうか、供養ですか?供養は怠らずさせていただいています』
『いや、そうではありません』
『はああああ、では、いったい、何を託されたんでしょう、先生教えて下さいよ』
『。。。私にも、わかりません、ただ、いま、ぴんと、きゅうにそう感じて、
 頼んだってことだけがわかったんです』
『そんなああ』
 謎の宿題を残されて、ずっと心にひっかかっていたけれどわからないまま
 或るとき、友人にその話をしたら
『猫じゃないですかねー』
「え?」
奥さんの猫が4匹いるでしょ、猫を頼んだんじゃ。。
えー??そうかしら、確かに4匹は可愛くても大変だ
何度掃除機をかけても家中毛だらけになるし、食べたものはしょっちゅうはいてしまうし
みんな巨漢だから、存在感もハンパではない
だけど、、
「主人も子どもも猫は大好きで
その猫たちのことは頼まれなくたって猫かわいがりしているから
彼らに頼んでもだめだった、というのでは違う。」
「でも、ただ、かわいがるのと本当に日々世話するのは別でしょ」
自身も猫を6匹も飼っている彼女の言葉に
そうかなあと、半信半疑でうなずき、
なんとなく、それで忘れてしまった宿題の答。

あれから、託されていたはずが
時が変わり、子どもが小さいあいだは頼もしかった姉さん女房は
人生をまたまた方向転換したいとの彼からの申し出から
御用済みと相成ったので
いったいあの7年の年月は何だったろうと
心の底からぬぐえない謎がずーっと残ってしまっていたけれど
ふと、気がついた。

私に託されたものは
彼の心の成長、魂の成長、気づき、のためのお役だったのかもと。
亡くなった方もふくめて
それまでの、彼がたくさんつきあってきた女性や友人
入れ込むときは凄く入れ込むけれど、
ある日突然、「違う」と思ってしまうと
ばっさり切ってしまうことを繰り返してしまうという
もったいない癖のため
当時いつも、僕には友達がいないんだ
あなたには友人がたくさんいてうらやましいと
いつも言っていた人に
深い因縁なのか、そういう星回りなのか、
何もかも見えすぎてしまう相手との
ウソの通らない初めての体験をすることで
それまでのようにただ強引にまくしたてるだけで
ごまかしたり、ねじ伏せたり、蓋をして、
逃げ切れてしまえないこともあるのだと
気づいてほしかったのでは、
成長してほしかったのでは
生前に気づいてもらえなかった自分の思いもわかってほしかったのではと
思うようになった。

気に入ったものや人の考えや言葉を
上手に組み合わせて取り込んでしまうことのできる器用さ、賢さを、
みずからの体験と、本当の自分と向かい合う機会で裏打ちできるよう
人様の前で話したり書いたりもはじまった彼の
話す言葉と実際とが分離し過ぎて、手遅れにならないよう。。手遅れにならないうちに。

そうか、それも愛だね
あっちにいってまで
伴侶だった人にホンモノになってほしかったんだ
でも、わかる
私も同じに想うから。
そうか、姉妹だったから似ているのかもね。
いまでは、人生ではじめて
たくさんの支持者や友人と持続した関係を作り
また新しい相手もも見つけて幸せになってくれているのは
きっと、奮起して、意識してがんばったからではと思うと
体験は無駄ではなかったのじゃないかなっておもう。
だとしたら、託されたことは無駄ではなかったね。


先生、忘れかけていた
先生からの宿題の答えが
ようやく時を経て、私にもわかってきた気がいたします。
初出版の寿ぎ。
『すべては今のためにあったこと』
人生に無駄なんて、本当に何ひとつないです。
弥栄!

春や来ぬらん

2013年01月20日 03時21分31秒 | Weblog
  

もうずっと、冬至からあと
  新年になってますます
  わくわく 嬉しくてならない

  雪解けがはじまっているような
  春が目に見える勢いでやってきている感じが
  空の色からも
  ヒカリからも
  空気に舞う粒子からも
  朝、起きるたびごとに強まっていて
  ときおり嬉すぎて途方に暮れそうになる。
  
  日常茶飯事な偶然の出会いも
  ただただ、さらりと自然でいることで
  すべてが成り立っていくことにも
  もう、以前とは違うんだよって
  サインなんだって感じる。

  雪解けで、その下に埋もれていた
  きれいなものもそうでないものも
  みんな平等に
  地面に現れだしている
  そう、地球に春が来てしまっているって
  夢みた世界が現実になってきている不思議

  それは決して劇的なことでも
  意図的なことでもなくて
  じわじわと いつのまにか
  世界を変えているだけなのだけれど
  でも、誰にもとめられない

  雪解けが進めば
  一回や二回は、雪崩とか、雪解け水の洪水とかも
  もしかしたらあるのかもしれないけれど

  そういう事象とは別の次元で
  私たちの思いや考えや意識までもが
  大切なことを思い出していき
  本当のことがわかるようになり
  それこそが
 
  花咲く御世の春や来ぬらん
 
  そのときまで
  せいいっぱい
  「あわのうた」
  イノチをいただいて
  ここにいること
  どのイノチとも調和することが
  喜びだって体感して、喜んで
  感謝して、
  また
  アモトに還る、ユキキのミチ
  
 
  

宙の約束5周年と明治神宮

2012年12月26日 23時40分58秒 | Weblog
山本加津子さんこと
かっこちゃんを知り、
彼女の言葉と写真の個展で
実物と出会い
・・・あれから、みんなにいろんなことがあった
「宙の約束」という般若心経の、彼女なりの新訳に感動して
そのパタパタミニ本をどれだけのひとたちに差し上げただろう
最近、五周年のイベントがあった。
私は会場には行けなかったけれど
当時の手作りの写真集などを見ながら感慨深かった。
時は不思議だ。。。すべては、やはり大きなところで決まり
その本当のからくりは
わたしたちには、いつかのいい日まで、知らされることないのだなと。
懐かしい、3,4年前にミクシイに書いた日記を紐解いてみた。
かっこちゃんの言葉と、明治神宮の楠のことを書いたもの。
昨日も、神宮の空はいちだんと澄んで高く美しかったのでした。
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明治神宮が好き。

鳥居の前に立つだけで、東京にあってくれることを感謝してしまう。
右側にある杜のカフェも好き。
ゆったりした音楽を聞きながら、鳥居の周りの光をみながらお茶をいただく。。

そして、正拝殿の前にある大きな夫婦楠。

夫と二人感動しながら頭を垂れ、深呼吸しながら、手をつないだ。

一生、僕がまもってあげるよ。。なんて滅多に言わないことまで言ってくれたりして、お互いに感謝し合った。
そして、絵馬には三人の息子たちの幸せを願って書いてつるした。

さあ、そして明治神宮の、パワースポット。
東京の真名井とも呼ばれる清正の井・・丸い小さな湧水の井戸は、次々と小さな星が生まれ出てくる宇宙のような不思議さ。
よくみれば、それはひとつひとつが小さな小さな渦。

星のはじまりは渦なのかもしれない・・・。

そこにも二人でたって、小さく祈って、渦を呼んだ。
またずっと手をつないで歩いて帰った。
至福のときだった。

あの時、原宿の街路樹を見下ろして楽しい語らいをした、あのクエストの上の落ち着いた和食のお店は、いま、夏の緑を映している。

それでも、明治神宮は好き。
それでも、あの杜の木々は変わることはない。
それでも、人の言葉と真をまだ信じていたい。

それでも ちゃんと真面目に生きていれば、明るいほう、よきほうへ
     きっとすすんでいけると思っている。
すべてのことは、いつもいつも、いつかの、いい日のためにある。

大好きな、かっこちゃんの『宇宙の約束』

怖がらなくてもいいんだよ。
悲しまなくてもいいんだよ。
だってすべてがだいじょうぶ。
すべてがみんなだいじょうぶ。

鳥が飛ぶように 風が吹くように
海が歌うように あなたといたい

星があるように 山があるように
空があるように あなたといたい。

あわのうたのこと 

2012年12月17日 14時17分46秒 | Weblog
こんなペースで
「あわのうた」との出会いを全部書いていてはとってもまにあわない。

なにしろ、
この2012年の冬至には
567(みろく)の世のために
世界に残る古い部族と
あちらがわとこちらがわで
この、48音で構成されているあわのうたの音あわせをしなければならないのだから。

宇宙も、光も、私たちも
同じ原子たちから生まれている。
苦手だった、原子周期律表にあったように
水素からはじまりヘリウムまで
原子核のまわりを電子がまわるのがひとつの単位だとして
それが生命の成り立ちの秘密でもあり
エネルギーでもあることを
気が遠くなるほと昔から
私たちの祖先は知っていたこと
ようやく、子孫のわたしたちも
違うアプローチからそのことに辿りつきだしたいま

さあ、融合。
地上に満ちるあわのうた
誰もが知って、もはや特別なものじゃなくなるように。

誰かが特別な時代から
みんながひとつの時代にようやく戻る。
競いあうなんてもう終わり。
調和と共存、が生命と宇宙の本当の法則。

春が来たら
雪解けがとめられないように
草木が芽を出し、鳥達が歌い始めるように
あちこちで うたいはじめている
「あわのうた」






「あわのうた」のこと その2

2012年12月17日 13時36分59秒 | Weblog

いまでこそ

わからないこと、調べたいことは
検索をかければ何かしら出てくる

でも
あの頃はグーグルなんて
きっとあったのかもしれないけれど
私のところまでは普及してはいなかった

とっさに、ガイドブックの隙間に書き込んだ文字を
何度も眺めてもなんじゃこりゃ?で
不思議ーな後味だけを噛み締めながらも
バスにまにあわなければならないので
身支度をして
バス停まで見送りまでしてくださった宿のかたたちにも
こういうものがこのへんにありますか?
と、書き取った文字を見せた。
ほつまつたえ?ほつまつたいぇ?
さあああ・・
何か、このあたりにある場所では?
いやあ、そんなんはねえ・・・

お礼を述べながらも
私は心の中で、
きっとこの土地に関係するから聞いたんだ
こんなふうに来たのだから
これから行く先で見つかるんじゃないかと思っていた。

バスは、川沿いの道に姿を現し
いよいよ熊野本宮大社に行く期待でいっぱいになりながら
律儀にまだバス停から手を振ってくださる皆さんに
お辞儀をしたり手を振ったりしている私を乗せて走り出した。

熊野本宮大社前で降り
鳥居の前に立って
一瞬ひるむくらいに続いている昇りの石段を見上げた途端
あれはなんだったのか
不覚にも、胸がいっぱいになって泣いている私がいた。

やめてよー、いくら思い切って一人旅で
知らないところに来たからって、
そんなことで泣いたりする?と思いながら
それで泣いているというよりは
どうしても、もっと違う感情
「ようやく帰ってきた」みたいな「念願を果たした」みたいな
来る途中のポスターに、オレンジとかの格好をした男性たちが写っていたけれど
・・・いったい、昔、私はそんな山伏かなんかで修行でもしていたというの?
確かに、あんまり、女らしいタイプではないけれど。。。

恥ずかしいので、すれ違う人に顔を見られないよう
石段を登ると、大げさにも
「人生蘇る熊野詣」と、大きな布に書かれて垂れ下がっていた。
そして、ここでも、涙。。。
まあ、確かに少々、いろんなことが
他の主婦よりはあったこれまで
つらかった日々がなかったわけじゃないし
こどもの病気やらなんやら越える中で
人生の道が大きく変わったりもあったことがきゅうに思い出されてきた。
今度は、そんな万感も加わって、
ああ、やっぱり、来て良かったと泣いたのだ。

で、ほつまとやらは
この中にそういう塚でもあるのだろうか。
期待に胸が膨れた。