運命と出会う瞬間

映画・小説・音楽・・なんでもありの気ままな感想

麒麟の翼

2012年08月05日 22時22分22秒 | Weblog
機内での映画がいつからか
みんなでスクリーンを見上げるのではなく
一人ずつの席にモニターがついて選べるようになったものだから
目を開けていると
隣やら、斜めやら、前方やら、の人たちの見ている画面がどうしても目に入る。

なので、
血が出るものはいっさい見れなくて
刑事モノや、ホラー、病院モノはけっして選ばない私なのだが
いたるところにチラチラしている
阿部寛の姿に(デビューの時からなぜか好きなのだ)
いちいち気をとられてしまうのに観念して
私もついに『麒麟の翼』とやらにダイヤルを合わせた。

うーーーん、阿部ちゃんの姿は堪能したが
これまたその巧さが好きな中井貴一のせつな過ぎる真面目さの父親の最後に
血が見れないということもあるけれど
画面はほとんど指の隙間からしか見れなかった。。。

麒麟の翼などという夢のあるタイトルとはまったくかけ離れているストーリーだった。

子供達の未来のためによかれと思って
かばいだてしたことから
本当のことと向かい合うという線路からはずれさせてしまう大人の責任について。
人生の早い時期に
正直、という線路から外れてしまうと、そのまま戻り方を忘れてしまうということ。
自力で、良心の重たさに気づくときにモノを言うのは
結局、親がウソをつけない良心の持ち主である、そのDNAだ。
親がいわゆる良心の呵責を持ち合わせていない場合はかなり難しいのではないかと思う。
中国なんか、国民的に日本よりそのへんがゆるいから
ニセモノやウソはさして呵責なく、いや、堂々と、社会ごとまかり通っている。
そう思うと日本人ってのは、生き下手で不器用だ。

だけど、だんだん、日本の良心のDNAも薄まってきているかもしれないと感じるこの頃。

償わねばならないことを封印したままの相手まで
ただ、盲信してしまうのは、愛のようにみえても
自らと向かい合うチャンスを奪うことになり、
かえって相手の魂の成長の仇になってしまうこともあると。

本当の愛は相手の魂の成長を願うこと。。。むずかしい。

ただ、思ったのは
もしも、たとえば、グループで
子供達がつい勢いで、何か、してはならないことをしでかしてしまったとき
その中の誰か一人が
良心の呵責に耐えかねて、申し出たり謝罪したりしたならば
その子の親は、自らの子育てと、自分の生き方が
まちがっていなかったことをあらためて信じてもよくて
他の子とその親たちは
その一人の子に、一生の大事な道を迷わずに導いてもらえたことを
感謝すると同時に、自らの生き方と子育てのあり方を
振り返ってあらためる機会だということ。

大人の場合は
小さいうちに良心の種を植えられているか
DNAに良心がちゃんと残っているか、が
自分だけは信じてあげるとか、無条件に信じてしまえば
相手は裏切れないというやりかたが
かえって相手の仇になってしまわないよう
見極める基準なのだろう。


後味はやるせなく、すっきりしない作品だったけれど
阿部寛の黒のスーツ姿を観るだけでも価値はあった、、、と思おう。