運命と出会う瞬間

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冬至とクリスマスの奇跡

2010年12月28日 18時21分34秒 | Weblog


本当の奇跡っていうのは、突然の赦しの訪れをいうのかもしれない。

そんな体験をした今年の冬至からクリスマスだった。


繰り返し思い出して支えにしていた
おととしの夏に見た夢がある。

そうだ、あの夢の数週間後にことは勃発したけれど
見た時にはまだ、なんにも知らずにいた不思議。

私は、大切な人と向かい合って立っていた。
でも、それは、まるで別人の丸顔の外国人なのだけれど、紛れもなく彼なのだった。

「ねえ、人が人に、そんなひどいことをできるわけないよね」
必死に、祈りを込めて懇願して、返事を待った。
「俺たちは、何回も生まれ変わって、変わりばんこにこうしてきてるからいいんだ」
そう、彼は言って立ち去った。
泣き崩れ、体中の力がなくなって道をみつめているとき

きゅうに、向かい側のとおりをはさんで
寒い冬空の早朝にもかかわらず、真っ白い地に黄色と緑の大きな格子模様の入ったエプロンをつけて
洗車ブラシとバケツをもって
平たいグリーンの車を洗っている老婦人がいることに気がついた

私が近寄っていくと
その方は
「おはよう、どうかしたー?」と明るい声をかけてこられた
「・・・いつも、そうやって、こんな寒い日も洗車するんですか?」
「そうよー、自分の車だものね」

そこから流れ出した涙は、もうかなしいからではなくて
なんともいえない暖かな、体中から立ち上る気づきと感謝のような涙だった。
「もういいんです、だいじょうぶです、私のなんて、全然苦労でもなんでもないんです」

目が覚めても泣いていた。
リビングの窓辺に立つと、ちょうど朝の5時、えもいわれぬ綺麗な朝焼けが始まっていた。
なんだか、尊い神様に会ったような気持ちだった。

・・・あの夢の直後に起きたことも、それからの日々も
クリーニングだ、洗車だ、洗っていればいい
そう思い続けてきたけれど
せっかく、事前にあんなサインを置いておいていただいたのに
なかなかに収束しないうちに
ネガティブな思いにもとらわれたし
正直言って、あまりの理不尽と、感謝して洗ってばかりはいられない自分がいた。

けれど、それは不意に、やってきた。
この冬至の光と、そして、クリスマスに続く新しい陽光。

あの夢で、彼が言っていた言葉をあらためて思い出した。
『繰り返し、生まれ変わりながらかわりばんこにこうしている』
もしも本当に、遠い遠い過去から、そんなことを続けていたのだとしたら
今回こそ、それを終わらせる、解消するためにまた会ったのかもしれない。

だとしたら
今度こそ、ちゃんと、赦すということを遂げて、輪を閉じて終わらせなくちゃ。

深いところから、その切望がやってきた。

たとえ、相手にはわからなくても
より愛が深いほうからそれをすればいい
先に赦したもん勝ちだ。
通じなくても、わかられなくても、執着も頓着もいらない。
そこから、本当の自由がはじまる。

すべてのものが軽くなった
真の赦しとは、自分が苦しみから解放されて赦される事だと
知っているつもりでいたことを
さんざん読んだり、書いたりもしたことを
身をもって、「ほんとうに」味わった。

ってことは、わかったつもりでいても
わかっていなかったってことだ。
体験こそ命だ。

冬至の奇跡、クリスマスの奇跡
わたしたちは、誰もみな、大いなるものからゆるされている存在だ。
せかいじゅうが、奇跡にあふれますように…アリガトウ☆
 



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