にゃんこと黒ラブ

猫達と黒ラブラドール、チワックスとの生活、ラーメン探索、日常について語ります

塩らーめん『ひるがお』@東京都中央区人形町

2021-06-19 19:43:00 | ラーメン探索

 「わかい」さんの味噌らーめん食べたくて、たぶん今日もお休みだろうなと思いながら来た。予定調和で「ひるがお」へ。道路挟んで斜め前の「兎屋」はまだお昼前だというのに雨の中を並んでいる。

 4回目くらいの訪問。ここは塩ラーメン専門店として3年前くらいオープン。「せたがや」の二毛作?セカンドブランドなるお店。

 東京駅、大岡山にも「ひるがお」はあるみたいだ。他店は行ったことないが、ここ人形町のひるがおはいつもすぐ座れる。清潔感ある綺麗なお店だし、どうしてお客さんが溢れていないのか不思議だ。

 











 塩ラーメンもいいが、私の好みは醤油ラーメン。スープの動物系は鶏メインに、昆布、貝柱、宗田節などを上手く使っているあっさりすっきりした美味しスープ。

 あっさりし過ぎているのだろうか?私の評価は高いが、世間の評価はそれほど高くない。麺は少し変わった特徴ある。細麺なのに時間経っても伸びない、しなやかさが強い細麺だ。

 見た目は濃く見えるが塩加減の按配もちょうど良い。正統派の醤油ラーメンだと思う。











 ご馳走さまでした。
ひょっとして店名のネーミングが悪い?
それはないだろうと思いながらも、お店の名前を付けた時期と例のドラマが流行った時期とどちらが先なのだろうか。

 明日で緊急事態宣言が最終日。緊急事態だと認識してる人はどれだけいるだろうか?東京オリンピックの準備が猛烈に加速して動いている。東京はどんな夏になるのだろうか?




 


東京背脂醤油らーめん『弁慶』@東京都台東区浅草

2021-06-18 17:31:00 | ラーメン探索

 東京は日差しが強い昼間だった。少し時間取れたので浅草までランチで足を伸ばす。浅草はまだ人出が少ない。

 東京の背脂醤油らーめんを昭和の時代から提供し続ける老舗ラーメン屋である。江戸っ子ラーメンとでも言おうか、いつか行こうと思いながら、背脂の響きにいつも躊躇していた。

 すするTVで最近『弁慶』門前仲町店を紹介してくれたので背中を押してくれた。すする君は、雪のような背脂らーめんを食べていたが、私は少なめでオーダー。













 私が求めるラーメンのいくつも満たしてくれて、非常に美味しかった。どうしてもっと早く訪れなかったのだろう。20年もかかってしまった。

 一つ、豪快であるがスープは繊細でスッキリ熱く完飲できること。
 二つ、麺はがっつりとかためで量が多いこと。
 三つ、具材がスープの邪魔をしないで美味しくいただけること。

 初め中盛りオーダーしようとしたが、食券の自販機にランチタイムはライスサービスと紙が貼ってあった。らーめん普通をオーダー。

 結果的に、ここのらーめんの麺量は普通で他店の1.5倍はある量で、ライスも盛りが良かった。













 ネギともやしの量がうれしいほど入っていて、スープ冷めないでとても美味しく食べられた。

 肝心のスープは豚骨メインのスープであるが、とてもさっぱりしていて単なる豚骨醤油ラーメンではない。豚骨をライトに煮込んで、和の食材で出汁を採っている。

 背脂も少しもしつこくなくてまろやかにスープに馴染んでいた。隣の人が後から来て味噌らーめんを食べていたが、薄めにみえる味噌スープで美味しそうだった。

 ご馳走さまでした。百聞は一見に如かずでした。お腹いっぱい美味しく食べられた。近いうちに味噌らーめん食べにまたきます。





台湾まぜそば『麺屋こころ』@東京都江戸川区小岩

2021-06-17 20:16:00 | ラーメン探索

 先週末に行ったほぼ地元の小岩で、昨年までは豚骨一燈があった店舗。いつのまにか台湾まぜそばのチェーン店に代わっていた。

 豚骨一燈が新小岩の麺屋一燈グループなのかどうか知らないが、閉店しても驚きはない。麺屋一燈とは明らかに異なるコンセプトや店舗経営の感じがした。

 つけ麺や濃厚ラーメンを食べたが、大味で繊細さがない。勢いで作った濃厚豚骨スープは、やはり長くリピートされなかったのだろう。

 












 都内のあちこちで見たような気がして、ネット検索してみたら、都内中心に関東エリアでもう30店舗は超えるチェーン店みたいだ。

 油そばの東京油そば総本舗も同様に急拡大したチェーン店だ。いずれにも共通する部分がある。それは一人前の量が少なく、その割に客単価が高めの設定である。

 味も始めは美味しく感じるが、何度か通ううちに飽きやすくなる点である。特に、まぜそばや油そばは、美味しいのだが味が単調になりやすい。

 具材の工夫や変化と中華料理のチャーハンに付くようなスープができないだろうか。あっさりした卵スープ、ワカメスープみたいなものが少しあるだけで、程よい味変になると思う。









 ご馳走さまでした。台湾まぜそば大盛りをオーダー(970円)したのだが、量が物足りなかった。麺を食べた後、追いごはんと称して、ほんの少しのご飯を丼に入れてくれる。

 挽き肉などの具材を残しておいて、そのご飯と混ぜて食べる。確かに美味しいのですが、量的に少な過ぎました。還暦を過ぎたオヤジが少ないと思うのですから、若者には全然足りないでしょう。





 


明日、世界が滅びるとしても

2021-06-16 17:54:00 | 日常

 世界が混迷を極めたとき、自分を見失わずに生きるためには、どうすればいいだろうか。

 作家の開高健(1930〜89)の座右の銘を思い出した。開高は、色紙を頼まれると、「明日、世界が滅びるとしても、今日、あなたはリンゴの木を植える」と書いた。

 宗教改革のマルチンルターの名言といわれる。どうやらルター本人の発言ではない。ルーマニアの作家、コンスタンチン・ビルゲル・ゲオルギウ(1916〜92)の『第二のチャンス』の作中人物としてのルターの言葉らしい。

 オリジナルは「どんな時でも人間のなさねばならないことは、喩え世界の終末が明日であっても、自分は今日リンゴの木を植える」である。

 私たちは、未来の希望が現在の努力を支えると考える。しかし、年をとっても努力する人はいる。明日どうなるかわからないから、今日を頑張る。

 評論家の山崎正和は、この「無常観を覚えながら自暴自棄にならず、逆に今日を深く味わう生き方」を「積極的無常観」と呼んだ。どんな苦境にあっても、前向きに生きる考え方である。

 老若男女問わず、身につければ、大きなアドバンテージになるのではないか。実際に、そういう考え方をして、偉大な道を歩んだ人がいる。

 スティーブ・ジョブズ(1955〜2011)のスタンフォード大学卒業式のスピーチ(2005)が想起される。17歳のとき、「毎日を人生最後の日だと思って生きていれば、いつか必ずひとかどの人物になれる」という箴言(しんげん)と出会ってから、毎日「もし今日が人生最後の日だとしたら、私は今日これからやろうとしていることを本当にやるか」と自問する。

 残念だが、彼の膵臓癌の経験(2003)は、その思考習慣を確信にする。彼は癌を受け入れて最後の1日まで前向きに生を全うする。彼が亡くなってから、息子がスタンフォード大学の医学部に進学し癌治療の研究に没頭する。何という繋がりある運命なのだろうか。

 命削るような無理はいらない。明日はないと思い今日できることを悔いなくやり切る。その毎日の積み重ねがリンゴの木を植えるということなのだろう。















『ファーストペンギンでいこう!』再掲載

2021-06-14 19:05:00 | 日常

   英語圏に「最初のペンギン」(first penguin)という言葉がある。
餌の魚をとるため、氷上から最初に飛び込むペンギンだ。

 海には魚もいるけど天敵もいる。彼が無事なら、他のペンギンも安心して飛び込む。勘違いでも早とちりでも、とにかく最初に飛び込む人が必要だ。

 誰か1人が、その決意を固めれば、1人、2人‥‥「あいつがやるなら」と感じる人が現れる。「みんながやるなら」も駆けつける。

 失敗のパターンは千差万別だけれど、成功のパターンはいつも同じパターンだ。
「みんながやるなら」という考えにも一理ある。

 ヌーの群れを知っているだろうか。アフリカに棲む牛の一種だ。乾季になると餌を求め大群を作って移動する。そのメリットは2つ。どちらも渡河のときである。

   ヌーの旅は、雨季を迎え濁流と化した河を渡ることになる。1つ目は天敵対策でワニが獲物を狙っている。シマウマは数頭が間隔を空けて渡るので餌食になりやすいが、ヌーの場合は大群が間隔を詰めて渡るため狙いを絞りにくく捕食される確率が低くなる。

 2つ目は対岸の地形。上がりやすい岸辺ばかりとは限らない。1メートル程度の崖でも巨体のヌーはすぐに登れない。しくじれば濁流にのまれる。ところが、大群で押し寄せると誰かが登りやすい場所に辿り着く。それを見て他の個体もそこに集中する。岸が崩れさらに上がりやすくなる。

 殺到する。崩れる。道ができる。ヌーにもファーストペンギンがいる。最初に河に入る個体である。NHKの番組では、年長の牝♀に背中を押され、落とされるように飛び込む若い牡♂が映っていた。それを合図に大群が殺到する。

   脳科学の茂木健一郎が、陸上100メートルの活躍の価値に言及して、
「科学の世界でも、ひとりがなにかやると『あ、できる』と思える。陸上では100メートル、アジアの選手は10秒の壁を切れないとなっていた。しかし、誰かが切った瞬間に何人も切りはじめた。人間ってそれくらい固定観念にとらわれていて、脳のリミッターを外すのがいちばん難しい」と説明していた。

 1人のブレークスルーが、みんなの可能性へと拡大再生産される。ということだろう。せっかちでもおっちょこちょいでもいい。ファーストペンギンの勇気がみんなに伝染する。求められるのは才能でも知力でもない。誰かひとりが固定観念のリミッターを外し、「私はやる」と決めることだ。

   ファーストペンギンになろうという気概は今でも持ち続けている。人が嫌がる仕事や創造性のいる仕事に直面するとよし一丁やってやろうじゃないかとなる。

 そういう仕事は結果より過程が面白い。仕事を仕事だと思っていない。結果が容易に予測できないほうが結果を気にせずやれる。いい結果は出なくても次に繋がる。











 海の向こうのアメリカで、大谷君がとんでもなく話題になっている。誰もがやらないファーストペンギンやチャレンジが大好きなアメリカ人である。 

 子どもから大人まで敵地でさえ、大谷君を一目見たいとブーイングでない大歓迎の声援が球場全体に響き渡る。どこまで突き進めるのか、とにかく健康体で怪我のないことを祈るばかりだ。