花虎ノ尾(神奈川県横須賀市)
こんにちは。
今日もありがとうございます。
ずっと読んできていただいている方はご存じかもしれませんが、
知らない方も、過去ログをたどっていたたければ、
私がいかに痛々しい投稿を続けてきたか、お分かりになると思うんです。
私なりにプライベートでいろいろあったので、
その時の感情が色濃く出てしまっている投稿もまた、どれとは言いませんがあるわけです。
…と、このブログへの思い入れを語ったところで煮ても焼いても食べられない話にしかならないので、
そろそろ本題に入ります。
よい表現でいえば「成長」とも呼べますが、
ともすれば過去を痛々しく思えて、目も当てられなくなってしまうことって、
誰しもあると思うんです。
先に「成長」と書きましたが、
当時の「痛々しさ」を隠すか隠さないか、
本当に成長出来たかは、この一点にかかっているのだと、私は思うわけです。
たとえば、3歳の頃。
子供ですから、簡単に「絶交」したり「恋人」になったりするわけです。
しかし、それを思い出すことでいちいち恥ずかしさを覚える人なんて、
大人であれば、ほとんどいないと思うんですね。
なぜなら、もはや「痛々しさ」なんて感じる術もないし、
痛々しく見えたって、所詮は当時のこと、つまり半ば別な人格と思えていればこそ、
「見える」だけで「感じる」ということはないのです。
翻って、大人になってからの「痛々しさ」。
これはまだ実際に痛々しく感じられることも、いくつかは出てくるわけです。
これは当時の自分を「別な人格」として消化し切れていない、
つまり、感じ切れていない、学び切れていないことがあるが故に、
「痛々しさ」として胸を突いてくるわけです。
もはや感情を消化していれば、
裏にどんな気持ちがあろうとも「そんなこともあったのね」程度に捉えられるわけです。
…というわけで。
「痛々しさ」が残っていると感じられるものに対して、
注意深く自分の感情を観察してみましょう。
それが本当の意味での「成長」に繋がるのではないでしょうか。
ちなみに。
私は基本的に過去ログは消さない方針でいます。
痛々しさを知るバロメータがあればこそ、
また、自分の過去の至らなさを知っていただければこそ、
安心して読みやすくなるし、
自分にとっても成長の手掛かりになるからです。