東京大神宮(東京都千代田区)
こんにちは。
今日もありがとうございます。
恋人がいれば楽しい。
恋人がいなければ淋しい。
一見、理屈が通っているように見えます。
しかし、この考え方こそが、底無しの不幸への入り口なのです。
☆ ☆ ☆
「気持ちを分かってほしい」
「愛してほしい」
恋愛が上手くいかないと、つい「〇〇してほしい」という考えになりがちです。
しかし、「クレクレさん」はどこに行っても嫌われるのが、
この世の道理です。
人間、本当は誰しも「クレクレさん」や「構ってちゃん」だからです。
誰しもただでさえ少し甘えたい部分があるのに、
他人のことまで構うなんて、「おんぶに抱っこ」だからです。
「しっかりせい!」と自分の面倒を見なければいけないのに、
「他人の面倒まで見なきゃいかんのか、…めんどくさっ!!」となるのが、
私達のホンネではないでしょうか。
しかし人間、そう悪い部分ばかりではなく、
きちんとよい部分も持っています。
人間は自分から愛情を与えることに喜びを感じる生き物でもあります。
愛情というのは本来、
他人になんとかねだって満たすのではなく、
自発的にまず自分から出していくことで満たされるものです。
どんなに暖かい空気も、冷たい空気と一緒になれば、ぬるく冷たくなっていきます。
人間の心にも、それが言えるのではないでしょうか。
自分の心は自分で暖めましょう。
自分の心が冷たいままで誰かと一緒になっても、
相手の暖かさを吸い取り、一緒に落ちていく関係にしかなれません。
恋愛に限らず、誰かと関わるなら、
自分の心に愛情を持つことが不可欠です。
無私の心、愛情、優しさ、こんなものの心地好さがわかっていればこそ、
求めることがなくなり、人に好かれるというもの。
まず自分が満たされていれば、
他人に求めることもなくなります。
この順序を間違えると、あたかも誰かがいないと満たされないような気分になり、
それがまた孤独を引き寄せてしまう、
こんな悪循環になってしまうのです。
人に求めて、それで満たされるなら簡単です。
誰かへの要求がそのまま通るなら、誰も苦しみません。
でも。
苦しいんですよね、人に求めていると。
想いをわかってくれないとか、
コミュニケーションが上手くいかないとか、
なんかドキドキしないとか、
相手も人間ですから、どうしたって完全な形で満たしてくれるとは限りません。
でも、それを満たされない理由にしてはいけないんです。
ここで立ち止まって、考え直していただきたいのです。
人に求めれば求めるほど、自分の中にそれがないことが明らかになってしまいます。
愛情も例外ではありません。
求めれば求めるほど、なぜか心は空っぽになってしまいます。
それを避けるためには、どうすればよいのでしょうか。
なんのことはない、私達は自分から愛情を与え、
そのことで心が満たされ、気持ちが良くなる生き物なのだと、
思い出せばよいのです。
それでも淋しさや不足感、不満が顕れてしまうなら、
そっと胸に手を当てて、
自分の中からこんこんと湧き出る、
他人をいつくしむ気持ちを感じてみていただきたいのです。
正直、こんな考えや行為がこっぱずかしい、という人もいるハズですが、
もはや他人に求めるのが無駄でしかない以上、
どうしても「自分から」というところに意識がいかない限り、
これしか方法がないのです。
心のどこかに繋がりの欠乏を感じて、
異性を求めて回る。
しかし、最終的に欲しいものが「心」や「愛情」であるなら、
取っ替え引っ替えに、物理的にくっついたり離れたり、というのは、
もはや意味をなさないのです。
見返りを求める気持ちなんて、宇宙の彼方に捨て去ってしまえばよい。
もちろん好意の押し売りは相手を傷つけるので絶対やってはいけませんが、
自分がグラグラとしていて、どうやって求めるしか出来ない自分から抜け出せると言うのでしょうか。
心ひとつ、満たされていればいい。
その満たされた心で、無私の気持ちを行動に換えていけばいい。
そうすれば、他人に期待することも、繋がりを求めることも、
さらには報われるかどうかという不安すらも、
問題ではなくなります。
ここをわかっているか否かが、
恋愛を毒にも薬にもするのです。
こんにちは。
今日もありがとうございます。
恋人がいれば楽しい。
恋人がいなければ淋しい。
一見、理屈が通っているように見えます。
しかし、この考え方こそが、底無しの不幸への入り口なのです。
☆ ☆ ☆
「気持ちを分かってほしい」
「愛してほしい」
恋愛が上手くいかないと、つい「〇〇してほしい」という考えになりがちです。
しかし、「クレクレさん」はどこに行っても嫌われるのが、
この世の道理です。
人間、本当は誰しも「クレクレさん」や「構ってちゃん」だからです。
誰しもただでさえ少し甘えたい部分があるのに、
他人のことまで構うなんて、「おんぶに抱っこ」だからです。
「しっかりせい!」と自分の面倒を見なければいけないのに、
「他人の面倒まで見なきゃいかんのか、…めんどくさっ!!」となるのが、
私達のホンネではないでしょうか。
しかし人間、そう悪い部分ばかりではなく、
きちんとよい部分も持っています。
人間は自分から愛情を与えることに喜びを感じる生き物でもあります。
愛情というのは本来、
他人になんとかねだって満たすのではなく、
自発的にまず自分から出していくことで満たされるものです。
どんなに暖かい空気も、冷たい空気と一緒になれば、ぬるく冷たくなっていきます。
人間の心にも、それが言えるのではないでしょうか。
自分の心は自分で暖めましょう。
自分の心が冷たいままで誰かと一緒になっても、
相手の暖かさを吸い取り、一緒に落ちていく関係にしかなれません。
恋愛に限らず、誰かと関わるなら、
自分の心に愛情を持つことが不可欠です。
無私の心、愛情、優しさ、こんなものの心地好さがわかっていればこそ、
求めることがなくなり、人に好かれるというもの。
まず自分が満たされていれば、
他人に求めることもなくなります。
この順序を間違えると、あたかも誰かがいないと満たされないような気分になり、
それがまた孤独を引き寄せてしまう、
こんな悪循環になってしまうのです。
人に求めて、それで満たされるなら簡単です。
誰かへの要求がそのまま通るなら、誰も苦しみません。
でも。
苦しいんですよね、人に求めていると。
想いをわかってくれないとか、
コミュニケーションが上手くいかないとか、
なんかドキドキしないとか、
相手も人間ですから、どうしたって完全な形で満たしてくれるとは限りません。
でも、それを満たされない理由にしてはいけないんです。
ここで立ち止まって、考え直していただきたいのです。
人に求めれば求めるほど、自分の中にそれがないことが明らかになってしまいます。
愛情も例外ではありません。
求めれば求めるほど、なぜか心は空っぽになってしまいます。
それを避けるためには、どうすればよいのでしょうか。
なんのことはない、私達は自分から愛情を与え、
そのことで心が満たされ、気持ちが良くなる生き物なのだと、
思い出せばよいのです。
それでも淋しさや不足感、不満が顕れてしまうなら、
そっと胸に手を当てて、
自分の中からこんこんと湧き出る、
他人をいつくしむ気持ちを感じてみていただきたいのです。
正直、こんな考えや行為がこっぱずかしい、という人もいるハズですが、
もはや他人に求めるのが無駄でしかない以上、
どうしても「自分から」というところに意識がいかない限り、
これしか方法がないのです。
心のどこかに繋がりの欠乏を感じて、
異性を求めて回る。
しかし、最終的に欲しいものが「心」や「愛情」であるなら、
取っ替え引っ替えに、物理的にくっついたり離れたり、というのは、
もはや意味をなさないのです。
見返りを求める気持ちなんて、宇宙の彼方に捨て去ってしまえばよい。
もちろん好意の押し売りは相手を傷つけるので絶対やってはいけませんが、
自分がグラグラとしていて、どうやって求めるしか出来ない自分から抜け出せると言うのでしょうか。
心ひとつ、満たされていればいい。
その満たされた心で、無私の気持ちを行動に換えていけばいい。
そうすれば、他人に期待することも、繋がりを求めることも、
さらには報われるかどうかという不安すらも、
問題ではなくなります。
ここをわかっているか否かが、
恋愛を毒にも薬にもするのです。