亀戸天満宮の梅(東京都江東区)
こんにちは。
今日も皆様、ありがとうございます。
「プライド」という言葉、ありますよね。
辞書的に言えば「自分や物、能力などに対する強いこだわり」ということになります。
ただし、こだわりは、あったほうがいいとは限らないこと、
皆さん、よく経験したりはしないでしょう。
こだわり強すぎるがために、格好や成り行きが気に入らないと、
せっかくの幸せを逃してしまったり、成功したにしても、上手くいく度合いを自分から下げにいってしまいがちです。
しかし、もちろん、「秘伝の品質」というものがあるように、こだわればこそのものもあります。
そうすると、この「プライド」というのは、薬なのか毒なのか、味方なのか敵なのか、
よくわかりませんよね。
そこで、この「プライド」というものとの付き合い方について、一緒に考えてみましょう。
さて。
先程、「プライド」とは「こだわり」のこととお話ししました。
ただしこれ、正確に言えば、「こだわりたい気持ち」のことで、「こだわった結果」についての話ではないのですね。
つまり、実力や実態のあるなしにかかわらず、「いやいや、自分はこれこれこうだから」という態度でいることが、
「プライドを守る」ということになります。
ということは、お分かりになるでしょうか。
たとえば、歌を歌う場合、「自分は日本一のボーカリストだから」と思って歌う(=プライドを持って歌う)のは、いくらやったって自由なわけです。
しかし、実態や実力がなければないほど、
本人は現実とのギャップに苦痛を覚え、周りも不相応な態度だということで、敬遠していくのが関の山ではないでしょうか。
人間、少し上を目指して頑張るのは、とても楽しいことです。
それに、ちょっと位、自分の器量を水増しして、自分に酔ってみたくなるのもまた、人情ではないかと思うのです。
そしてまた、ちょっと自分に酔っている位が、フットワークも軽く意欲的になれるし、
頑張り甲斐も出てくるものですよね。
だから、プライドそのものは、あったほうがいいのです。
お分かりになったでしょうか。
プライドには、実態がなくてよい以上、多少は実像と違っていてもいいし、
そのギャップこそが、幸せや自信、成長の源になることも多々あります。
しかし、どこかで実態や実像がわかっていないと、
プライドと現実のギャップが、かえって自分を苦しめ、人からも疎まれる要因となる、
つまり、味方であるはずのプライドが「敵」となってしまうのです。
プライドは、味方にするためにあるのです。
最後に。
「男はプライドの生き物」と言われますが、裏を返せば、男性は、実像に下駄を履かせてモノを見がちということかもしれません。
あくまで傾向の話ですが、他山の石として、努めて学びたいところですよね。
こんにちは。
今日も皆様、ありがとうございます。
「プライド」という言葉、ありますよね。
辞書的に言えば「自分や物、能力などに対する強いこだわり」ということになります。
ただし、こだわりは、あったほうがいいとは限らないこと、
皆さん、よく経験したりはしないでしょう。
こだわり強すぎるがために、格好や成り行きが気に入らないと、
せっかくの幸せを逃してしまったり、成功したにしても、上手くいく度合いを自分から下げにいってしまいがちです。
しかし、もちろん、「秘伝の品質」というものがあるように、こだわればこそのものもあります。
そうすると、この「プライド」というのは、薬なのか毒なのか、味方なのか敵なのか、
よくわかりませんよね。
そこで、この「プライド」というものとの付き合い方について、一緒に考えてみましょう。
さて。
先程、「プライド」とは「こだわり」のこととお話ししました。
ただしこれ、正確に言えば、「こだわりたい気持ち」のことで、「こだわった結果」についての話ではないのですね。
つまり、実力や実態のあるなしにかかわらず、「いやいや、自分はこれこれこうだから」という態度でいることが、
「プライドを守る」ということになります。
ということは、お分かりになるでしょうか。
たとえば、歌を歌う場合、「自分は日本一のボーカリストだから」と思って歌う(=プライドを持って歌う)のは、いくらやったって自由なわけです。
しかし、実態や実力がなければないほど、
本人は現実とのギャップに苦痛を覚え、周りも不相応な態度だということで、敬遠していくのが関の山ではないでしょうか。
人間、少し上を目指して頑張るのは、とても楽しいことです。
それに、ちょっと位、自分の器量を水増しして、自分に酔ってみたくなるのもまた、人情ではないかと思うのです。
そしてまた、ちょっと自分に酔っている位が、フットワークも軽く意欲的になれるし、
頑張り甲斐も出てくるものですよね。
だから、プライドそのものは、あったほうがいいのです。
お分かりになったでしょうか。
プライドには、実態がなくてよい以上、多少は実像と違っていてもいいし、
そのギャップこそが、幸せや自信、成長の源になることも多々あります。
しかし、どこかで実態や実像がわかっていないと、
プライドと現実のギャップが、かえって自分を苦しめ、人からも疎まれる要因となる、
つまり、味方であるはずのプライドが「敵」となってしまうのです。
プライドは、味方にするためにあるのです。
最後に。
「男はプライドの生き物」と言われますが、裏を返せば、男性は、実像に下駄を履かせてモノを見がちということかもしれません。
あくまで傾向の話ですが、他山の石として、努めて学びたいところですよね。