青裸々日記 Aorara Diary

真面目で一生懸命な人に寄り添うブログです(^^/
あったかい未来が、きっと待っています。

認めなければ怖くない。

2013年03月09日 23時50分26秒 | 青裸々日記。
梅の花(東京都墨田区)

 こんにちは。
 今日も皆様、ありがとうございます。



 心ない言葉に、傷つく人は多いと思います。
 それはそうです。
 まさか、嫌なことを言われてもへっちゃらだという人がいたら、
 そちらのほうが問題です。
 だいたい、傷つかないなら傷つかないで、
 今度は人に対して平気で嫌なことをやってしまうことだってないとは言い切れませんよね。
 だから、嫌なことを言われて傷つくのは当たり前だし、そんな自分を情けなく思う必要もないわけです。



 ただし、です。

 やっぱり、傷つくようなことはないに越したことはないし、
 嫌なことがあったにしろ、その傷自体は浅く済んで欲しいのもまた、誰もが望むことでしょう。
 そうだとしたら、やっぱり、ダメージを減らす方法を考えてみる価値はあるのではないかと思うのですね。


 さて、皆さんが、ある難しいテストで100点満点を取ったとしましょう。
 そこへ、意地の悪い人が来て、「やーい、バカヤロー」と言われたら、どういう気持ちになりますか。
 …きっと、「ああ、この人はかわいそうな人なんだなぁ」としか思えないはずです。
 なぜなら、自分に対して、どこも「バカヤロー」とは思ういわれがないからです。
 ところが、同じテストで、平均点を下回ってしまった場合、
 同じように「バカヤロー」と言われたら、嫌な気持ちにもなるでしょう。
 自分の至らないと思っていると、悪く言われる根拠を探してしまうようになるのです
 そして、「悪い」とされる根拠があればそれがコンプレックスになり、
 根拠がなかったらなかったで、自分に対して悪い方向から見る癖がどんどん付いてしまいますから、
 別な言葉で悪く言われた時、耐えられなくなってしまうのです。
 難しく言えば、自分を悪く思っただけ、嫌な言葉を受け入れる土壌が、心にできてしまうのです。



 とは言っても、完璧な人間なんていません。
 でも、大切なのは、完璧になることではなく、人と上手くやって、幸せになっていくことではないでしょうか

 だから、完璧でない自分を責める必要なんて本当はどこにもないし、
 むしろ、そんな労力があるなら、どうしたらダメージを減らせるか、自分を認める意義や大切さを考えるほうが、
 どれだけ良いかと思うのです。


 もし、自分を責めたくなったら、そのダメージについても考えること。
 そういう小休止が、自分を守るのです。

あぐりパーク嵯峨山苑から

2013年03月09日 05時38分14秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆様、ありがとうございます。



 先日、神奈川県・松田町の、「あぐりパーク嵯峨山苑」に行ってきました。


 一面の菜の花に、咲き出した河津桜。
 眼下に広がる松田町の風景もあいまって、見ていて飽きませんでした。

 いつまでも写真を撮っていたかったです(*^_^*)

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