松田町桜まつりから(神奈川県松田町)
こんにちは。
今日も皆様、ありがとうございます。
何事も、「正しい」に越したことはありません。
まさか、わざわざ間違えた方法や考え方をする必要はないし、
何事も、まかり間違ったまま進んだりしてしまうと、たいていは不利を強いられたり、無理が出たりもしてしまうもの。
だから、正しいことは、積極的に選んでいくに越したことはないのです。
しかし、です。
「それじゃあ、正しければなんでもいいんですか?」と言えば、そうでもないのが現実だったりもするのです。
たとえば、待ち合わせの時間に遅れてしまった人がいるとします。
待ち合わせは、まさか破ったほうが正しい…なんて、バカなことはありませんよね。
きちんと間に合わせるから、折り目正しく事が進むのです。
しかし、「いかに自分が正しいか」を主張することは、「いかに相手や周りが間違っているか」を主張することと全く同じなのですね。
いくら落ち度があれど、自分が正しくないということをわざわざ言われて、いい気分がする人がいるわけがありません。
だから、待ち合わせに遅れてしまった人に「いかに待ち合わせを守らないことが好ましくないか」を説いたり、罰を与えたとしても、
その場の空気が良くなるわけではないし、増して、そこで人間関係が改善していく可能性も少ないのです。
それならば、多少は待つことが嫌だったとしても、
つまらないことで自分を曲げないことで、そこにある関係をもっと嫌なしてしまうより、
何倍もいいと思いませんか。
相手に悪気がないなら、尚更です。
正しさにこだわりたいなら、そうすればいい。
でも、正しさを守ることで得られるものって、一体なんなのでしょうか?
それに、間違えなりを決めることは、急ぐばかりが全てではないとも思いませんか。
正しさを守ることは大切ですし、人の落ち度を責めるのは簡単です。
しかし、それで失われるものがないかといえば、そうでもないのですね。
人間関係は、どこに視点を当てるかが肝要です。
「正しい決まりごと」なら誰にでもわかりますが、
「正しい人間関係」=「楽しい感情が沸き上がる関係」というのが、現実のところでなのではないでしょうか。
それに、いくら正しくたって、納得しないまま、頭でっかちで嫌々でやっても、
そこにある関係は、良くはならない気がするのです。
楽しむことは、悪いことではありません。
むしろ、楽しまないことのほうが、悪くなることもあるのです。
こんにちは。
今日も皆様、ありがとうございます。
何事も、「正しい」に越したことはありません。
まさか、わざわざ間違えた方法や考え方をする必要はないし、
何事も、まかり間違ったまま進んだりしてしまうと、たいていは不利を強いられたり、無理が出たりもしてしまうもの。
だから、正しいことは、積極的に選んでいくに越したことはないのです。
しかし、です。
「それじゃあ、正しければなんでもいいんですか?」と言えば、そうでもないのが現実だったりもするのです。
たとえば、待ち合わせの時間に遅れてしまった人がいるとします。
待ち合わせは、まさか破ったほうが正しい…なんて、バカなことはありませんよね。
きちんと間に合わせるから、折り目正しく事が進むのです。
しかし、「いかに自分が正しいか」を主張することは、「いかに相手や周りが間違っているか」を主張することと全く同じなのですね。
いくら落ち度があれど、自分が正しくないということをわざわざ言われて、いい気分がする人がいるわけがありません。
だから、待ち合わせに遅れてしまった人に「いかに待ち合わせを守らないことが好ましくないか」を説いたり、罰を与えたとしても、
その場の空気が良くなるわけではないし、増して、そこで人間関係が改善していく可能性も少ないのです。
それならば、多少は待つことが嫌だったとしても、
つまらないことで自分を曲げないことで、そこにある関係をもっと嫌なしてしまうより、
何倍もいいと思いませんか。
相手に悪気がないなら、尚更です。
正しさにこだわりたいなら、そうすればいい。
でも、正しさを守ることで得られるものって、一体なんなのでしょうか?
それに、間違えなりを決めることは、急ぐばかりが全てではないとも思いませんか。
正しさを守ることは大切ですし、人の落ち度を責めるのは簡単です。
しかし、それで失われるものがないかといえば、そうでもないのですね。
人間関係は、どこに視点を当てるかが肝要です。
「正しい決まりごと」なら誰にでもわかりますが、
「正しい人間関係」=「楽しい感情が沸き上がる関係」というのが、現実のところでなのではないでしょうか。
それに、いくら正しくたって、納得しないまま、頭でっかちで嫌々でやっても、
そこにある関係は、良くはならない気がするのです。
楽しむことは、悪いことではありません。
むしろ、楽しまないことのほうが、悪くなることもあるのです。