青裸々日記 Aorara Diary

真面目で一生懸命な人に寄り添うブログです(^^/
あったかい未来が、きっと待っています。

問題意識。

2013年03月06日 23時16分52秒 | 青裸々日記。
亀戸天満宮の梅の花(東京都江東区)

 こんにちは。
 今日も皆様、ありがとうございます。



 「問題意識を持ちなさい」と、様々なところで言われます。
 では、「問題意識」とは、一体なんなのでしょうか?


 「問題意識」とは、簡単に言うと「問題点」を見出だすベクトルで、物事を色々考える意識のことです。
 たとえば、文章力を付けたい!という場合。
 なんにも考えず、漫然と文章を打ってるだけでは、
 どこをどう変えればいいか、どう伸ばせばいいかがわからないままです。
 あるいは漫然と書くやり方でたとえ文章力が伸びたとしても、
 成長は遅く、また、膨大な時間や労力が無駄になってしまうことにもなりますよね。


 そこで、問題点を明らかにすることが、改善や成長のために、大切になってくるのです。
 具体的には、自分を顧みること、客観的に考えること、場合によっては批判的に見ていくことが、
 問題点を洗い出すことに繋がっていくのです。


 人間にとって、成長することは、人生の楽しみや醍醐味の一つになってくるものです。
 ということは、「問題意識は成長に繋がるのだから、あったほうがいい」という話になってきます。

 しかし、です。


 先程、問題点を見つける方法として、「客観的に考える、場合によっては批判的に見ていく」とお話ししました。
 しかし、客観的に考えるのは労力が要りますし、自分を批判的に見るのは、なかなかつらい作業です。
 つまり、「成長することは楽しいはずなのに、成長する=問題点を見つけることは辛い」ということで、
 「問題意識を持つ」というのは、ある種のジレンマを抱える危うさと隣り合わせだったりもするのです。


 これ、自分の場合に限りません。
 人を批判して、相手がそれで素直に受け入れてくれるかといえば、
 だいたい苦虫を噛み潰したような顔をされて、しかも実際にやってくれるかもあやしい…というのが、現実ですよね。
 じゃあ、どうしたら聞き従ってくれるかといえば、
 それは、相手への尊敬や肯定がベースにあることが不可欠になってきます。
 たとえば、「器の大きいあなただから言うんだけど…」などと、あくまで得点方式で肯定的に言うから、
 「否定されたわけじゃない」と、話を聞き入れてくれるようになるのです。


 お分かりになったでしょうか。

 どんなに問題点があるにせよ、スタート地点は「肯定」です
 「ダメだから改善する」は、理屈では通っても、現実には気分が悪くなるばかりというのが、大方の感じ方でしょう
 同じ「改善」なら、「より良くするため」などと、否定のニュアンスが入らず、むしろ未来への希望が込められたもののほうが、
 やりやすく、成果も出るのではないでしょうか
!?



 問題意識を持つことは、素晴らしい。
 でも、問題意識を滑らかに使っていけると、もっと素晴らしいのですよね。

ペンギン

2013年03月06日 05時39分27秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆様、ありがとうございます。



 Suicaで有名な、ペンギンの写真です(笑)


 南極のイメージがあるのですが、この日は全く池で泳いでませんでした。
 人間と一緒なんですかね(*^.^*)

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「心を鍛える」!?

2013年03月06日 03時32分39秒 | 青裸々日記。
亀戸天満宮の梅の花(東京都江東区)

 こんにちは。
 今日も皆様、ありがとうございます。



 「心」は、果たして鍛えれば必ず強くなるものなのでしょうか!?

 私は、心は必ずしも強くなるものとは限らないと思うのですね。
 なぜなら、「鍛える→必ず強くなる」とわかりきっているのなら、誰だってメンタルトレーニングをやっているはずです。
 しかし、現実には、「心そのものが強くなる」のではなく、「姿勢や感じ方が変わった結果、心の在り方も変わった」という場合がほとんどな気がするのですね。


 それに、「心が強くなる」って、結局はどういうことを指すのでしょうか。
 たとえば、鈍感になることが強くなるというのなら、それは、引き換えに、細やかな感性を犠牲にすることにはなりませんか。
 あるいは、人を傷つける力を強く持つのなら、それは、人に嫌われる要素を色濃くするだけで、
 「強くなる」意義はさほどないものと思われても、仕方がない気がしませんか。
 「意志を貫徹する」という、一見好ましそうな場合ですら、ややもすれば、「他を受け入れたり、広い視野を持つ柔軟性をなくす」とも言えたりするわけです。


 そうです。

 世間一般に言われる「強い」状態でも、見方を変えれば「弱く」なっている部分があるわけです。
 理想的な状態を目指すことは否定しませんが、
 強くなりたいとして、じゃあ、どれくらい強くなりたいのか、どういう風な強さが必要なのかを考えると、
 実は、超人的なレベルを目指しているという場合がほとんどではないかと思うのですね


 そしてまた、そもそも、心はそんなに簡単に強くはならない場合だって、本当は多々あるのが現実なのです。

 どんなに心が強そうに見える人でも、ふとした仕種や一言に傷ついてしまうことはあります。
 あるいは、それまで頑張っていたとしても、ふとした風向きで傷つきやすくなってしまうことだってあるでしょう。



 では、どうすればしなやかに生きられるか。

 心の感じ方、つまり受け取り方を変えればいいのです。



 どんなに体が強い人でも、柔道で投げられたら、受け身を取りますよね。
 まさかそのまま投げられては、一たまりもないでしょう。
 それと同じなんです。


 心を強く持っていきたくなるのはわかります。
 しかし、現実には、強くしたところでどうしようもないことのほうが多いのです。
 それならば、考え方や感じ方、受け取り方を工夫したほうが早い
 そうでなくとも、「強く」なるデメリットがあることにも、きちんと目を向けたほうがよいのです。



 繰り返します。
 心は、強くはならないのですよ。
 もし言うのなら、丸腰で自然体であるのが、一番強い状態なのかもしれません。

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