河津桜の花(神奈川県松田町)
こんにちは。
今日も皆様、ありがとうございます。
以前、不愉快な話をテレビで目にしました。
ある女優さんが、「男性を虜(とりこ)にする方法」を語っていたのですが、
それというのも、「まず、相手にどんどんダメ出しをする。そこで、自信を壊滅させた上で、「でも、私がいるから大丈夫だよ」と、最後に優しくする」んだそうです。
とんでもない話だと思いませんか。
これ、自分の都合で、人を操るわけです。
しかも、本来、一番大切にすべき恋人に対して、ある種の精神的な暴力を振るうわけですから、
こんなもの、まともな人間がやるものではありませんよね。
もちろん、テレビ番組ですから、ネタとして、しかも誇張を入れて話したほうが数字に繋がりやすいのも事実で、
どこまでが本当の話かはわかりません。
しかし、この「人を否定すること」に、いかに無茶苦茶な影響があるかを、如実に示す話ではないかと思うのですね。
人間、心細くなることもあれば、弱ったり不安定になることも、生きていればあるもの。
誰だってそうです。
ただ、一般に、弱っている時ほど、えてして悪意に付け込まれやすいのです。
足腰でも地面でも、不安定だと、なんらかの物につかまらないと、なかなか立つのは難しいですよね。
そこで、必要とされたいがために、わざと掴まるものが必要ない人を弱らせて、自分につかまってもらうよう仕向けるというのが、
さっきの「男の人を虜にする」人の寸法なのです。
だからこそ、です。
弱ってしまうのは仕方がないにせよ、
自分が不安定だと、どんな人にどう付け込まれる余地を残してしまうのかぐらいは、考えておいても悪くはないと思うのです。
自分に自信がないがために、人に自由を与えないばかりか利用してしまう人は、
無意識でやっているかもしれないにせよ、たくさんいるのです。
わざわざ人を弱らせないと必要としてもらえないというのは、
そもそもの魅力がないのと同じではありませんか。
本当に魅力があれば、人をコントロールする必要だってないはずです。
逆に、自分に自信があれば、人に利用されることもなければ、
同時に人を利用することもなくなる。
だから、自信は大切なのです。
くれぐれも、人にちょっかいを出すようなつまらない考え方には、関わらないようにしましょう。
「悪女」の例から入りましたが、人を道具にした時点で、その本人もまた、付け込まれる弱さを持っていることの裏返しにもなるのです。
正しく生きている本物の人が、結局は一番強いのです。
こんにちは。
今日も皆様、ありがとうございます。
以前、不愉快な話をテレビで目にしました。
ある女優さんが、「男性を虜(とりこ)にする方法」を語っていたのですが、
それというのも、「まず、相手にどんどんダメ出しをする。そこで、自信を壊滅させた上で、「でも、私がいるから大丈夫だよ」と、最後に優しくする」んだそうです。
とんでもない話だと思いませんか。
これ、自分の都合で、人を操るわけです。
しかも、本来、一番大切にすべき恋人に対して、ある種の精神的な暴力を振るうわけですから、
こんなもの、まともな人間がやるものではありませんよね。
もちろん、テレビ番組ですから、ネタとして、しかも誇張を入れて話したほうが数字に繋がりやすいのも事実で、
どこまでが本当の話かはわかりません。
しかし、この「人を否定すること」に、いかに無茶苦茶な影響があるかを、如実に示す話ではないかと思うのですね。
人間、心細くなることもあれば、弱ったり不安定になることも、生きていればあるもの。
誰だってそうです。
ただ、一般に、弱っている時ほど、えてして悪意に付け込まれやすいのです。
足腰でも地面でも、不安定だと、なんらかの物につかまらないと、なかなか立つのは難しいですよね。
そこで、必要とされたいがために、わざと掴まるものが必要ない人を弱らせて、自分につかまってもらうよう仕向けるというのが、
さっきの「男の人を虜にする」人の寸法なのです。
だからこそ、です。
弱ってしまうのは仕方がないにせよ、
自分が不安定だと、どんな人にどう付け込まれる余地を残してしまうのかぐらいは、考えておいても悪くはないと思うのです。
自分に自信がないがために、人に自由を与えないばかりか利用してしまう人は、
無意識でやっているかもしれないにせよ、たくさんいるのです。
わざわざ人を弱らせないと必要としてもらえないというのは、
そもそもの魅力がないのと同じではありませんか。
本当に魅力があれば、人をコントロールする必要だってないはずです。
逆に、自分に自信があれば、人に利用されることもなければ、
同時に人を利用することもなくなる。
だから、自信は大切なのです。
くれぐれも、人にちょっかいを出すようなつまらない考え方には、関わらないようにしましょう。
「悪女」の例から入りましたが、人を道具にした時点で、その本人もまた、付け込まれる弱さを持っていることの裏返しにもなるのです。
正しく生きている本物の人が、結局は一番強いのです。