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デルフトの眺望(フェルメール)

2005-06-06 | 【アート】美術館・ギャラリー・レビュー
フェルメールの数少ない絵の中で(生涯全部で20枚くらい?)、一番好きな絵です。

デルフトの眺望(1660~1661ころ)

一生をデルフトから出なかったフェルメール。そういえばうちのじいちゃんもほとんど四国から出たことないらしいなぁ……
…話がそれました。
彼の目に映る故郷&生活の場はこんな風景です。

雲は重く、似たような色合いの建物が並びます。
絵の奥の方は、空も明るく、建物にも陽があたっています。
どっちからどっちに動くかはわからないけど、このまま時間が流れて雲も動き、手前の建物にも陽が当たりはじめるような気がしてきます。

カメラオブスクーラを使って見えたままを描いたと言われ、画面の中心に視線がぎゅっと集まり、周辺が少しぼやけて広がっているように見えます。
使われている色は 空と水のくすんだ青・雲の黄色っぽい白・レンガの赤茶・地面の黄土色・影や人の服の黒 ぐらい。シンプルっす。

やっぱいいなぁ、この絵。
本物見たいなぁ。。。

フェルメール

2005-06-06 | 【アート】美術館・ギャラリー・レビュー
高校のころはまってはまって大好きだった画家(今でも好きっす)。
記念すべき?1回目は、これでいこう。

フェルメール     ☆☆オランダ・デルフト(1632-1675)

絹織・宿屋経営・美術商を営む家に生まれる。3つの職業をいっぺんにやってた親父の名はレイニ-ル。どうやら借金がたっぷりあった模様。苦労してます。
そんなお家のフェルメールがどう絵を学んだのか謎だけど……とりあえずレイニ-ルの顧客は裕福なブルジョア層。フェルメール自身も、若い頃から芸術家と交流はあった…らしい。

1653年 近所のカタリ-ナ・ボルネスと結婚。
宗派の違いで反対に会い(フェルメールはプロテスタント、カタリ-ナはカトリック)、もめにもめて結婚にこぎつけた、とか。その後カタリ-ナとの間には、15人の子どもをもうけました。カタリ-ナ、頑張った。

肝心のフェルメールの芸術活動?と言えば、ほとんど人に知られていませんでした。今は大人気なのになぁ。本人の生きてる間は、評価されず。
フェルメールは父と同じように美術商として、他人の絵を鑑定したり売ったりすることで生活費を得ておりました。以外だわ。

1672年頃~ 借金が深刻化
1675年 妻と11人の子どもを残して 死去


フェルメールの好きなところは、静まり返ったような雰囲気です。
人物が描かれていても、余計な物音や喋り声やは全くないような気がします。
しーん…
としてるような気がするんですよ。