逝きし世の面影

政治、経済、社会、宗教などを脈絡無く語る

一神教的世界観と共産党

2010年08月31日 | 共産党

よく指摘される共産党のマイナスイメージの中でカルト宗教と共通していそうな要素を箇条書きしてみるとどうでしょう。
・独善的、独尊的
・閉鎖的
・排他的
・不寛容
・狂信的
・教条主義
・画一的(多様性がない、*一括回答する)
(*市民運動をやってる人なんかは体験している人が多いと思いますが、全議員に何かのアンケート調査を求めたりすると、共産党だけなぜか一括回答してくる。国政だけでなく地方議会議員相手でもそう。公明党でもそんなことはしない。)
といったところでしょうかね。それぞれ別個に存在しているようでもありますし、関連しているようでもあります。
『共産党の問題点と共産党の組成が関係』
特に、次の3つの要因が怪しい。
・まず、共産党は「秘密結社」としてスタートせざるを得なかった。(軍事と政治は一体不可分のもので、そもそも政治結社とは軍事組織の性格が有ったのです)
・途中から学歴崇拝を始めた。(1世紀前の結党当時から参加者の大部分は一部知識階級層中心であった)
・途中からマルクス主義が付加価値を帯びた。(これも途中からではなく多分結党当時からの現象でしょう)

『宗教と共産党と科学と』

宗教と共産党と科学と、全く別々のジャンルの三題話的な題名であるのですが、、実はこの三者には密接な切っても切れない一体不可分の関連性があるのですよ。
これ、正反対の別々の話題ではなく、そもそもが『部分』と『全体』あるいは親子の関係であるのです。
近代科学を生んだものは西欧社会のキリスト教のルネッサンスと関連があるのは誰でもが知っていることですが、それなら少し見方を変えればキリスト教を母親として生まれた子供が『近代科学』であると言えるのです。
そして社会科学として共産主義が生まれるのも誰でもが知っているのですが、それならキリスト教と科学と共産党は姻戚関係があるのですよ。
共産党の直接の生みの親が『科学』であり、その偏屈な爺さんが『キリスト教』なのです。
それで幾ら自分自身が否定しても共産党の中にキリスト教的な悪しきDNAが脈脈と生き続けているので時々騒動を起こすのです。
高学歴の謹厳実直な真面目な社会人が、普段は理性で押さえていても酔っ払ったら本能が丸出しになり恥ずかしい行いをする日本の迷惑な酔っ払いを連想する話ですね。

『すべては「一神教的な世界観」に集約出来る』

そして日本の一神教信者(キリスト教)は1%程度の少なさで例外的ですし、世界三大宗教の一つのイスラム教などはもっと例外的で皆無と言ってよい。
何故世界では主流であるキリスト教やイスラム教が人々に受け入れられ無いかの理由ですが、その価値観が日本人には受け入れられないのです。
日本国で唯一、一神教教的な創価学会は日本の宗教とか党派の中では一番嫌われているのです。
これも矢張りその一神教的な価値観が一般市民の怒りを買い、到底受け入れられないのです。
ところが『一神教教的な世界観度数』と言う物差しで計れば、日本国内の全ての組織党派教団などの中では、そもそもの一神教のキリスト教教団を押しのけて、断トツに日本共産党の一神教度数の数値が高いのですよ。
日本の『仏教』は古来からの土着宗教や神道と癒合して進化して、それ以外の世界の『仏教』からは遥かに遠い到達地点にあるのですが、
これと同じことが日本のキリスト教教会にも言えて、世界基準の欧米的な純粋な一神教的では無いのですよ。
今の日本人では9割以上の圧倒的多数がキリスト教式の結婚式あげるのですが、一神教世界では『結婚式』とは、もっとも大事な宗教儀式なので他の宗派の信者の結婚式を行うなどは唯一神の冒涜(棄教)で許されるはずが無いのです。
(一神教教徒にとっては棄教は最大最高の犯罪行為)
日本では一神教であるはずのキリスト教会さえも変質してしまい、今では日本的な多重な価値観の一神教モドキに変質しているのですよ。
今では完璧に『日本的価値観』を受け入れているキリスト教ですが、名前は同じキリスト教ですが幕末から明治大正期には今とは全く違っていた。
当時は欧米一神教世界からの本場直輸入だったので戦闘的で排他的で独善的で不寛容で狂信的でもちろん教条的だったのですよ。
当時は宣教師が街頭に立ってキリスト教の辻説法をしていたのですよ。
こんな方法で仏教徒が悔い改めて、キリスト教信者が増えると思っていたのですよ。
あまりに馬鹿馬鹿しすぎる。
自分達の信じる教義は『絶対に正しい』ので誰でもが、一度でも説教を聞きさえすれば受け入れられると信じていたのです。
日本にキリスト教徒がいない原因は『神の言葉』を一回も聞いたことが無いからだとの信念ですね。
この信念は丸っきり、そっくりそのまま今の日本共産党幹部にも当てはまるのですよ。
有権者が共産党を支持しない理由は『未だ共産党の掲げる政策を知らないからだ』と思っていて、『有権者が共産党の正しく政策を知れば必ず支持する』ので、『共産党を宣伝すれば、共産党は支持される』と、心底思っていて何一つも疑っていないのです。
心底、溜め息が出ます。
今の共産党の持っている特殊性ですが、・独善的、独尊的・閉鎖的・排他的・不寛容・狂信的・教条主義
これ、困ったことにすべて単に『一神教的な世界観』の一言で説明が付くのですよ。
そしてこの態度は大正期までのキリスト教の特徴でもあったのですが、日本共産党が創設されたのは88年前で、これ等と同じ時期であるのです。
そして共産党ですが、一度決めたことは(当時は)『間違っていない(正しい)』のだから変えるのは間違いである。
『原理原則を守ることは正義である』などの官僚顔負けの不思議な官僚的な(政治的でない)発想が批判されること無く生き続けているのです。

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22 コメント

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宗教を認める必要がある (ニケ)
2010-08-31 14:49:02
ご無沙汰してます。

芥川 竜之介の「神神の微笑」にありますね、「他国の宗教も日本国では同化してしまうだろう」と。

<引用>
「しかし泥烏須(デウス)は勝つ筈です。」
 オルガンティノは剛情に、もう一度同じ事を云い放った。が、老人はそれが聞えないように、こうゆっくり話し続けた。
「私(わたし)はつい四五日前(まえ)、西国(さいこく)の海辺(うみべ)に上陸した、希臘(ギリシャ)の船乗りに遇(あ)いました。その男は神ではありません。ただの人間に過ぎないのです。私はその船乗と、月夜の岩の上に坐りながら、いろいろの話を聞いて来ました。目一つの神につかまった話だの、人を豕(いのこ)にする女神(めがみ)の話だの、声の美しい人魚(にんぎょ)の話だの、――あなたはその男の名を知っていますか? その男は私に遇(あ)った時から、この国の土人に変りました。今では百合若(ゆりわか)と名乗っているそうです。ですからあなたも御気をつけなさい。泥烏須(デウス)も必ず勝つとは云われません。天主教(てんしゅきょう)はいくら弘(ひろ)まっても、必ず勝つとは云われません。」
 老人はだんだん小声になった。
「事によると泥烏須(デウス)自身も、この国の土人に変るでしょう。支那や印度も変ったのです。西洋も変らなければなりません。我々は木々の中にもいます。浅い水の流れにもいます。薔薇(ばら)の花を渡る風にもいます。寺の壁に残る夕明(ゆうあか)りにもいます。どこにでも、またいつでもいます。御気をつけなさい。御気をつけなさい。………」
<引用おわり>

共産党も、日本に「同化」しない限り未来が無さそうです。

宗教否定の共産主義ではこの日本に通用しない。キリスト教国で生まれた宗教否定論は捨てて、この日本では逆にすべての宗教を大事にするほうがいいのではないだろうか?
返信する
宗教否定とはまた別では? (宗純)
2010-08-31 15:30:02
ニケさん、コメント有難う御座います。

つい最近のニュースでは、マンションに共産党のビラを配っていて住居不法侵入で逮捕された共産党員のお寺の住職がいたのですから、共産党が宗教を否定していると言うのは間違いで有るようですよ。
この記事の趣旨ですが、宗教論議ではなくて、
『88年前の、出来た時の時代の面影を伝える共産党』であるとか、
『一度決まったことを、自分自身ではなかなか変えられない共産党』などの不思議な困った話なのですよ。
一言でいうと、このブログタイトルと同じで共産党版『逝きし世の面影』なのですよ。
返信する
失礼しました。 (ニケ)
2010-08-31 16:00:51
なるほど、私の先入観による誤解ですね。諸外国の共産主義らしき組織が、権力を握ったら宗教弾圧を行なうニュースなどにより、潜在的に「日本共産党も同じだろう」と無知から失礼なことを書きました。お詫びいたします。

その上で付け加えますが、もっと積極的に宗教への理解者・擁護者というのがみられればと思います。もちろんカルトなどには徹底的に反対してもらうのは当然です。が、一般に受け入れられている宗教に対してのアピールが少ないように思います。

>この記事の趣旨ですが、宗教論議ではなくて、

ということなので、これで私のコメントは終わらせていただきます。失礼いたしました。ではまた~^^
返信する
文化大革命時の紅衛兵 (宗純)
2010-08-31 17:11:52
>『諸外国の共産主義らしき組織が、権力を握ったら宗教弾圧を行なうニュース』とは、文革当時の中国の毛沢東の紅衛兵が行った日本の廃仏毀釈と同じ文化の破壊行為では無いでしょうか。?
廃仏毀釈ですが、
この事実は不思議なこと日本国内では極小さなこととして教えられているのですが、実はとんでもなく大きな仏教などの文化破壊活動であったらしいのですよ。
ところが行った連中が国家神道の神官や御用国学者などで、その後に大日本帝国を実質的に支配するのですから、自分の悪事を出来る限り小さく描いているのです。だから記録が少ししかないのです。
今日本で有名であるのはダライ・ラマの言い分そのままの中国共産党がラマ教を弾圧したとのデマ宣伝ですが、これは善悪を正反対に描いたとんでもない話ですよ。
中国革命以前のチベットですが、政教一致の神聖政治を行っていて人口の4分の一は僧侶であったのですよ。僧侶と言っても仏教を学ぶには授業料が必要なので貧乏人は学僧にはなれません。なれるのは壮士坊主と言う比叡山の僧兵のような無給の下働きの下級僧侶で実質は農奴以下の半奴隷的な存在です。
そして、この大量のラマ教の僧兵集団ですが実質的に中国軍よりもインド軍よりも断然強かったらしいのですよ。
イギリスに植民地化される以前のインドとチベットの国境線は、今のようにヒマラヤ山脈の稜線ではなくもっと南の山の麓であったのです。山は全部がチベットの領有だったのです。インド兵はチベットの僧兵に到底勝てなかったのですよ。ところがインドを植民地化したイギリスが強引に国境線を山の頂上の稜線や峠に引き直すのですが、これが1960年代の中印国境紛争に繋がるのです。
この国境紛争時にはインド軍は一方的に中国軍に負けるのですが、4000メートルの高地では平地の兵のインド軍は行軍するだけでばたばたと肺水腫などの高山病で死んだので勝負になら無かったのですが、大昔でも矢張り事情は同じで平地の中国軍は一度も高地のチベットの僧兵に勝てないのですね。
返信する
秘密結社と閉鎖性 (Runner)
2010-08-31 18:13:36
下の記事のコメント欄が長くなり過ぎたようですね。
こちらに移行せよということのようなので、こちらに続きを書きます。

さて、秘密結社というものが組織防衛という観点から閉鎖的になるのは、ごく普通のことだと思います。
戦後、それを克服するチャンスが来たのですが、また、米国による弾圧が始まってしまったので、結局、そのままずるずると体質を引きずってしまっているように思います。

こんな話があります。
若いノンポリの自衛隊員たちが休日に「制服」を着て散歩していたら、公園で祭をやっていたそうです。
「楽しそうだな」と思って入って行ったら、「自衛隊は帰れ!」と石を投げられたのだそうです。共産党の祭だったのです。
この若い隊員たちは、たいへんショックを受けたそうです。
まあ、制服を着て入って行く隊員もアレなんですが、かのダボ神閣下にならともかく、そんな若い隊員に石を投げてどうするんでしょう。
ここで、若い隊員たちに共産党を宣伝しようなどという発想がその祭の主催者たちには全くないのです。
鶴見俊輔さんがイラク派兵時に、自衛隊員と家族のための駆け込み寺を開設して相談に乗っていましたが、そういう発想がないのです。
支持者を増やすべく熱心に布教活動をしていながら、その一方では警戒心というか敵愾心というか、旺盛なので無用に敵を作ってしまうわけです。
カルト宗教もまた熱心に勧誘している一方で、いろんな理由で増えてもらっては困るという矛盾した面を抱えています。
返信する
穏健で常識的な日本共産党 (宗純)
2010-09-01 08:34:40
Runnerさん、制服の自衛官が追い返されたとの逸話ですが、何時の話であるのでしょうか。?
それは秘密結社云々とは何の関係も無いと思いますよ。
共産党は党員名簿を公開していませんがアメリカのように民主党や共和党の党員名簿を一般公開して誰でもが閲覧可能などは特殊すぎる例で世界には例が無いのですよ。
アメリカの制度ですがあれは民主共和両党は政府の一機関として公的な特権が与えられているからで、何処の国でも一般公務員の名簿は公表しているのです。

今回のコメントですが、護憲左派のRunnerさんの意見とは思えないですね。
共産党云々の話ではなくて、それは当然であると思いますよ。
その話は正反対に、共産党は左翼の癖に穏健であるとの逆の話であるのですよ。
東大ポポロ事件を失念しているのではありませんか。?
大学当局にも認められている正式な公認学生団体『ポポロ劇団』が政府や米軍の謀略事件である松川事件を題材にした演劇発表会の会場に私服警察官4人が密かに入っていたのを発見される。
内3人を学生が取り押さえて謝罪文を書かせるわけです。
警官が学生運動のつるし上げにあうわけですが、これを警察は『暴行罪』で逮捕、起訴するのですが地裁、高裁共に『学生の行為が大学の自治を守るためのものであるゆえに正当である』として無罪になるのですが、この後が何時ものお決まりの筋書きで最高裁で差し戻しとなるのですよ。
高裁ではなく、地裁に差し戻され地裁の平目裁判官はもちろん有罪で上告した高裁でもや張り有罪で最高裁は当たり前ですが有罪だったのですが、日本国は三審制ではなくて、何と驚くことに5審制だったという。
日本では基本的に逮捕された段階で被疑者は有罪で裁判が始まったら被告が有罪になるまで裁判は終わらない恐ろしい仕組みがあるのですよ。
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人文ということば (ましま)
2010-09-01 11:18:23
「人文科学」という言葉、自然科学の対極に置いた言葉としか意識していませんでした。

それが、西洋のルネッサンスとしわれる時期、神学論争、神権政治などに対して、「人」の立場に立った「人文主義」そして人文科学が認められるようになった、ということをある本で知り、本文を興味深く読ませていただきました。

共産党については、とある住民運動に最初は熱心に参加していた党員が、ある日突然手のひらをかえすように引き上げてしまったことを覚えています。

だからといって、反共にはくみしませんが、支持するにしても消極的なものになってしまいまました。
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「人文科学」とは言わないのでは? (宗純)
2010-09-01 14:01:52
ましまさん、コメント有難う御座います。

神学とか哲学などの『人文学』は「人文科学」とは普通は呼ばないのではありませんか。?
科学とは客観的な第三者の『検証』で物事の正誤を判定するものですが、検証作業が基本的に不可能である神学などの人文学は『学問』ではあるでしょうが『科学』といえないと思います。
その意味でアメリカで一時大流行したフロイトやユングの精神分析学なども『第三者の検証』が不可能か、あるいは極めて困難であるので学問ではあるが科学ではない。
その為に『偽科学である』と断じる自然科学者も大勢いるようですし、向神経薬の進歩で今では以前のような勢いは無いようですっかり寂れ果てています。
科学と人文学との違いは、この客観的な検証が可能かどうかの違い以外にも、
科学は物事の正誤を論じるだけで基本的に善悪には関心を示さないのですが、
人文学がこの反対で『善悪』の方に重きを置いているらしいのですよ。
それで、日本の『新しい歴史教科書を作る会』の面々ですが、面白いことに会員の中には正式な歴史学者がいなくて教育学者が『歴史の教科書』を作っているのです。
歴史学は基本的に物事の正誤だけを問題としているし客観的的な第三者の検証も可能です。だから間違いなく社会科学の一分野です。
ところがこの作る会の教育学者ですが、正誤にはそれ程の関心は無くて『善悪』にえらく拘るのです。
しかも第三者の客観的な検証作業を嫌うのですね。だからこの『教育学』とは社会科学としての『教育学』では無くて、別のジャンルの『人文学』としての学問なのです。
自然科学ですが、物事の正誤を調べる手法は、対象物を徹底的に細分化していき小さなミクロな存在にして解明する顕微鏡的なやり方が主で、
その正反対な大きな対象を大きなままでマクロに監察する手法の生態学とか気象学などは歴史も浅くまだまだ未発達で発展途上段階です。
そして数千年の歴史がある自然科学よりも高々長く見積もっても数百年ていどの歴史しか無い社会科学は、もっと発展途上であるのです。
対象物が社会なので、自然科学の得意の手法である細分化とか分類、顕微鏡的な観察が出来ないのと、気象学と同じで検証作業がとんでもなく長い時間がかかる困難があるので発展が遅れているのです。
今の共産党の色々な問題点も矢張りこの検証作業の困難さが理由ですね。
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>穏健で常識的な日本共産党 (宗純) (Runner)
2010-09-01 20:53:13
>制服の自衛官が追い返されたとの逸話ですが、何時の話であるのでしょうか。?

ごく最近の話ですよ。
この手の話はよく聞きます。
つまり、ここで言いたいことはましまさんが体験されたように、

>とある住民運動に最初は熱心に参加していた党員が、
>ある日突然手のひらをかえすように引き上げてしまったことを覚えています。

というのと同種の話です。
支持者を増やそうとしているようで、その一方で、???という行動が見られるのです。
ここでは共産党の閉鎖性というテーマで紹介していますので、また、別のエピソードも明日紹介します。
返信する
学歴信仰と独尊性 (Runner)
2010-09-01 20:54:36
徳田球一が獄中にいた頃、姪の大学進学について相談された際、激怒して、こんな返事をしたそうです。
「大学になんか行ったらろくな人間にならない。それよりも、社会に出て苦労させた方がよほどよい人間になる」
徳球さんにとって、大学とは、体制側が作った価値観がうごめくいかがわしい空間だったのでしょう。

ところが、そんな共産党が今や高学歴を売りにする政党になっています。
東大を出なければ党首になれないとまで言われています。
こういう、言わば「学歴エリート」集団が独善性や独尊性といった性格的傾向を持つことはある意味当然ではないでしょうか。
つまり、元々、そういう性格的傾向を持った人を集めたから、党の問題点となってしまったように思います。

この国の教育体系が歪んでいること、その歪みの中心に東大があることは、「問題意識」を持つ人なら、もはや、説明の必要はないでしょう。
かつて田中角栄元首相は、この歪みを是正すべくフランスのバカロレア方式を導入しようとしましたが、当時の文部官僚たちの猛反対にあって頓挫してしまいました。
結局、歪みは放置され、その後さらにひどくなっています。
この国で、いわゆる「一流大学」と呼ばれる所へ入学した者は大なり小なりある種の精神病理を抱え込んでしまう。
この場合、学歴は「外的根拠」となるためです。
「外的根拠」なしにその種の精神病理を抱える者は、本格的に「精神病」とみなされ笑われるのですが、「外的根拠」がある場合は世間的にはスルーされるし、本人も批判精神を損ねてしまう。
「いや~、○○さんちの○○ちゃん、東大に合格したの。偉いわね~」などと近所中のオバチャンに誉められると、誰でも簡単に木に登ってしまうものです。
しかも、共産党はすすんで、そういう者を集めて幹部にしているのですから、ここで「集団心理」というものも発生してしまう。
似た者同士が集まると相互に正当性を確認し合うので、外的根拠が増幅強化され、批判精神はさらに失われる。

そもそも、人は何のために東大に行くのでしょう?
家の近所にあって通学に便利だったからでしょうか?
学びたい学科が東大にしかなかったからでしょうか?
敬愛する学者が現在東大に勤務していたからでしょうか?

逆に、この国の教育体系に疑問を感じて「東大にだけは行きたくない」と言う者もいる。入れるかどうかは別にして。
ピーターさんや河島英五さんのように、エリート高校に通いながら大学に進学しなかった者もいる。
尾崎豊くんにいたっては、高校も中退してしまった。

果たして、左翼精神を持った者が東大に進学するのだろうか。
そう考えると、そもそも東大出の者に反体制がつとまるのか、左翼がつとまるのか、共産党がつとまるのか。
といった疑問もわいてきます。

余談ですが、似たような理由で、「巨人ファンの共産党員」というのも私的には怪しげです。
返信する
変質する自衛隊 (宗純)
2010-09-02 09:34:55
Runnerさんコメント有難う御座います。

>『制服の自衛官が・・・・・・ごく最近の話ですよ。』<
では無いかと推測していましたが矢張りそうでしたか。
以前の自衛隊員は、制服で街中をに出歩くことは無かったのですよ。
かっての自衛隊員は軍服を着ることの意味を知っていて、外出時は必ず私服に着替えていたのですよ。
自衛隊員の制服(軍服)姿ですが、あれは自衛隊上層部の方針であるのですよ。
この方針は日本が右傾化しだした辺りから徐々に進行していて今では街中で見かけても驚くことも無くなったですが、以前は驚愕の出来事であったのです。
4年ほど前だと思うのですが幹線道路を陸上自衛隊の装甲車が砲手が砲塔に座った状態で機関砲の砲身を丸出しにして一般車両に混じって走っているのを見て心底驚きましたが『世の中は確実に変わった』と実感させる出来事でした。
自衛隊幹部は砲身にカバーをかけるとの心遣いを放棄しているのですよ。
少し昔の日本では、戦闘車両が一般道路を走ることや軍人が街中を制服で歩く事は悪いことであるとのコンセンサスがあったのです。
同じ制服でも警察官と自衛隊員の軍服では意味が全く違うのですよ。
憲法9条のお蔭で護憲派を含む日本人全部が軍隊と警察の違いが分かっていない。
これは65年前に記憶が薄れて行った結果でしょう。
野中拡務や後藤田正晴などの『軍隊は絶対に、間違っても街中には出してはいけない』との常識が右翼も左翼も無くなっていることは嘆かわしいことですね。
日本人のみんなが今では忘れはてていますが『軍隊を基地の中から出さない』というのが『シビリアンコントロール』の基本中の基本で一番大事な約束事であるのですよ。

ましまさんが体験された>『ある日突然手のひらをかえすように引き上げてしまった』<
の方はこの話とは性格が別で、多分いわゆる『民主集中制』の一番悪い側面が出たのではないでしょうか。?
何かの上からの『決定』(判断)が出された場合には『何かが可笑しい』『間違っているかも知れない』と思っても、決定を覆して自分の判断に従うとの行動が出来ないのですよ。
上の決定と自分の判断とが真正面から対立した場合に、最悪離党とか除名覚悟で無いと自己の信念を貫けない悪しき数々の前例があるのですから、普通は間違いなく決定は実行されます。
それが『民主集中制』の弊害なのですが逆の見方からすれば、これほど幹部に都合が良い(やりやすい)制度も無いのですよ。
だから本来の意味が完全に無くなったにもかかわらず今でも堅持されているのです。
返信する
官僚養成機関としての東大 (宗純)
2010-09-02 10:05:28
そもそも東京大学の設立目的がはキャリア官僚の養成所で、別に欧米のハーバードやオックスフォード大学のような学問の最高権威とは違った性格をもっていたのです。
日本も受賞者が大勢に増えたので、今でこそ東大でのノーベル賞受賞者も出ているが昔は京大が独占していて以前は0であったのです。
科学的真理の探究なんか、そもそも目的にはしていないのですよ。
日本でよく言われる文系優先ですが、これも哲学とか古典文学なんかではなくて単に『法学部』のことなのですが、『法学部』とは基本的に慣例重視の前提踏襲で秩序の維持が最大の使命でまさしくキャリア官僚の最大の資質であるのです。
それに、そもそもが教育などというものは本来美しい仕事ではなくてギリシャ神話で英雄ヘラクレスに退治される山賊のプロクルステスと同じ事をしているのですよ
このプロクルステスは宿屋と営んでおり旅人を自分の寝台に無理やり寝かせて旅人の身長を寝台の長さに合わせて切り落としたり、短ければ引き伸ばしたりして正しい規格に合うようにするのです。

では何故共産党幹部に高偏差値の東大出が多いかの理由ですが、政治家が一人もいなくて党組織を守ることが使命の実務家集団の党官僚ばかりだからでしょうね。
返信する
閉鎖性その2 (Runner)
2010-09-02 21:26:00
ロック・タレントのDAIGOくんのおじいちゃんとしての方が今や有名になってしまった竹下登元首相ですが、首相時代に、なんと共産党支持者の栗原小巻さんを自民党大会に招いて、「自民党について語ってくれ」と依頼しました。小巻さんはご要望通りきっちり自民党の批判をして帰りました。
聞くところによると、竹下元首相は昔から小巻さんの熱烈なファンだったのだそうです。

さて、これと同じことが共産党にできるでしょうか。
自民党支持者の人物を党大会に招いて共産党について語ってもらうなんてことができるでしょうか。
「いや、志位さんはファンなどという個人的な理由で誰かに依頼したりはしない」などと正論を言ってお茶を濁して逃げるというのが現状でしょう。

赤旗まつりなどのイベントは、共産党員だけが楽しむ目的で行われているのでしょうか?
もちろん、違いますよね。共産党に親しみを持ってもらうために、一般公開して行われているはずです。まさに、「開かれた共産党」のイメージを宣伝するための企画なはずです。
しかし、いざそこへ、自衛隊員が現れてしまうと、そういうことになってしまったということです。
その自衛隊員は「楽しそうだ」と思ったそうですから、まさに、企画がヒットしたわけなんですが。

まさか、自衛隊員が全員右翼思想の持ち主で、それが理由で自衛隊に入っているなんて思っていないでしょうし、近隣に自衛隊の基地があることくらい主催者は当然知っているでしょうから、もしかしたら自衛隊員も遊びに来るかも知れないという想定もあったでしょう。
しかし、何せ共産党の祭りなんだから向こうも都合が悪いだろうし、その場合は当然私服だろうと思ってたんじゃないでしょうか。
それが制服で現れたので、「これは挑戦ではないか」などと余計なことを考えてしまう。
確かにそうかもしれないが、違うかもしれない。
ノンポリの隊員かもしれないし、たまたま、通りすがったのであれば制服であっても不思議ではない。しかし、そうは考えなかった。

ジョン・レノンら反戦歌手たちがよく軍服を着て反戦歌を歌っていますが、あれは、兵士たちにも呼びかけて、軍隊の中にも反戦運動を起こそうとの狙いからですね。そして、実際に成功している。
しかし、残念ながら、日本では、護憲運動や反戦運動に自衛隊員も取り込もうという発想が希薄です。
という私も、実は鶴見さんの企てを聞くまでは、そういう発想がなかったので、あまり偉そうなことも言えないんですが。(^^;
返信する
何か、話が合っていいるようで混乱しているような (宗純)
2010-09-03 15:53:17
Runnerさん、憲法9条がある日本と9条が無い外国とを同時に論じては・・・それは駄目ですよ。

特に問題なのは一般ノンポリ隊員を見方につけるとの発想ですが、・・・これはもっと問題で自衛隊を無くする方向で話が進んでいるとはいえませんし、そもそも共産党の軍隊との接触に一番神経を尖らしているのは自衛隊組織自体なのですよ。
ですからそれは絶対にやってはいけないのです。
これには十分な理由があり、何故ロシア革命が成功したかにまで遡る根源的な話であるのです。
様は軍事と政治は同じもので、ヨーロッパの辺境で社会的に成熟していたわけでもないロシアが一番最初に社会主義革命が成功した理由とは、
巨大な陸軍国が敗戦して武装解除されることなくそもまま軍事部隊が本国に帰還するのです。
マルクスは『国家とは軍隊などの暴力装置の事である』といてるし毛沢東は『鉄砲から国家が生まれる』のですが、軍隊=国家なのですね。
指揮命令系統から外れた軍隊が本国に武器を持ったまま帰還したのですよ。
これがロシア革命の真の姿であるのですが、『国家とは何か』との根本的な命題に気付かせる話ですね。
栗原小巻ですが昔『忍ぶ川』が映画化され多時に一瞬だけヌード姿が見れると大評判になり、熱狂的なファンなので半日潰して3回も同じ映画館で頑張った若い友人がいましたよ。懐かしいですね。

返信する
付加価値と偽善 (Runner)
2010-09-05 17:08:35
空いてしまいましたが、続きです。

誰かが意図的にやったのか、自然とそうなったのかはわかりませんが、ある時期から、マルクス主義は「知的権威」であるということになりました。つまり、付加価値を帯びたわけです。
これによって、仮面ライダースナックに仮面ライダーカードというおまけが付いてバカ売れしたように、付加価値目当てにマルクス主義者になる者が増えたのではないでしょうか?
自身を知的権威と位置付ける人、あるいは、知的権威にあこがれる人などの言わば「知的ナルシシスト」と呼ぶべき人たちが流入してきたとすれば、それは、学歴信仰によって持ち込まれた病理だけでなく、二重にその手の病理を抱え込むことになっているはずです。

ただでさえ、「正義」の旗の下には「偽善者」と呼ばれる種類の人たちも集まってしまうものです。
その手の人たちの目的は微妙にズレていて、正義を変質させてしまうということは昔からよくあることです。
下の記事にある日本における死刑廃止運動もその傾向が出ているように思いますよ。
そういった人たちが参加してくることは、ある意味防ぎようのないことでしょうが、組織や運動に影響を与えないようにすることは可能なはずです。
果たして、共産党はそういう問題意識を持ち、何か、対策を打ってきたのでしょうか?
返信する
ネットウヨと相似形の無残なネット共産党 (宗純)
2010-09-06 14:57:43
今回のRunnerさんの話はインターネット空間に蔓延るネットウヨやそのコインの裏側であるネット共産党にピッタリと当てはまる。共産党の弱点でこれ以上無い適切な指摘ですね。
どちらも社会に対して害毒を垂れ流して自分を取り巻く社会と自分自身の双方を傷つけている迷惑な存在で誰一人徳をするものが無い.

>『ある時期から、マルクス主義は「知的権威」であるということになりました。』<

これはもう、88年前の共産党の創成時からであり、もっと言えばマルクスエンゲルスの共産党宣言の150年前にまで遡る根源的な話であるのですが、これは良く考えてみれば『当たり前』であるのですよ。
共産主義とは社会科学の重要な一部であり、政治や経済に限ればもっとも主要な構成部分で、共産党流に述べれば『社会科学の最高峰』であるのですから、どんな分野の科学でも『最新の理論の最高峰』などと言う物は『絶対的な付加価値』があるのです。
それが何の分野であれ『最高峰の最新理論』なら、これはもう誰でもが憧れるし自分も『あやかりたい』と思うものですよ。
しかも理論物理学量子力学やアインシュタインの相対性理論なんかは高等数学の基礎知識が絶対必要であるので、この『誰でもが』が元々無理であるのですが、共産主義には程度に因るが理解する為の『最低限の基礎知識』のハードルが理論物理学なんかよりも低くて、
すべての科学全般に言える『知的好奇心』と『健全な懐疑心』さえあれば誰にでも理解できる(参加できる)のですね。

>『自身を知的権威と位置付ける人』

これは例えば聖職者や大学教授、色々な学術団体の幹部とか主要メンバー、何かの運動の指導的幹部などですね。
しかしですね。
程度の差があるだけで共産党に限らず全ての政党とは『自分自身が知的権威』であると思っているものなのです。
阿呆が指導者になったのではメンバーは大迷惑するのですよ。
あるいは『知的権威』のある人だけが政治家になるべきであり政党の幹部になれるのです。
あくまで政治や社会、経済に限定されるが、これは全ての政党でも幹部は間違いなくこの範疇に入るのですが、困ったことに自分達が『知的権威である』との自覚が無い人が保守や右翼や一部は左翼の政治家にいるのですよ。
安倍晋三首相のように『後世の歴史が判断する』なんて堂々と言い放つ政治家までが現れる末世の世の中ですが、そもそも政治家の仕事の一部は間違いなく『自分自身が知的権威』なのですね。
ところが自分自身が『知的権威』でもあることを知らなかったかそれとも徹底的な責任逃れで、『歴史判断や政治信念を明らかにしない』のでしょう。
ですから、
>『自身を知的権威と位置付ける人、あるいは、知的権威にあこがれる人などの言わば「知的ナルシシスト」と呼ぶべき人たちが流入してきたとすれば・・・
これは少し間違いで、
本来の本当に知識を持っている『知的権威』は科学の分野では何ものにも優先する大事な事柄なのですよ。昨今の優れた知識や経験を軽んじる傾向は嘆かわしい事ですよ。
この部分は科学的に正しくて何ら間違いではなく、むしろ奨励すべき大事なことなのですが、
後半の、
『知的権威にあこがれる人』=『学歴信仰』が共産党の問題であるのは事実ですが、実は共産党に限定しなくとも学歴信仰だけなら一部を除けば日本人全部ですよ。
知的水準は判断力に致命的な欠陥があり、しかも科学の基本的な構造も知らない人たちでも『来る者拒ます』の組織である『共産党』に入っていると言うだけで『自身を知的権威と位置付ける』とんでもない勘違いしてしまい、『正義の旗』を振り回して徹底的な偽善を行ってしまうので、共産党の権威と正義を傷つけて信用を失わしてしまっているのが現状ですね。
様はネットウヨなどと全く同じで、現実世界での自分の癒しがたいコンプレックスを手っ取り早く解消する為に何かの『正義の旗』とか『知的権威』にすがりつき仮想優越感を得ているのです。
しかし長い時間と大変な努力と他者の客観的評価で得られるホンモノの優越感とは大違いで、この促成の優越感(仮想的有能感)はもろく壊れやすい。
優越感が傷つく時に感じるのは『悲しみ』ですが、仮想有能感が何かの弾みで壊れる時に感じるのは外部や他者に対する『怒り』だけなのです。
優越感は簡単には得られないがその代わりに容易には壊れないし、傷ついても怒ることはない。
これと正反対なのが、『仮想的有能感』のネットウヨやネット共産党の人たちで『他人を軽視することで自分を肯定する』あるいは『他者を貶めることで相対的に自分を高める』と言う手法で得られるので傷つきやすく脆いのです。
この人たちが何故か常時怒り狂っているのは当たり前なのです。
特に問題なのはネットコン(ネット共産党)とでも呼ぶべき何とも不思議な理解できない人々ですね。(何故自分に似つかわしい創価学会やエホバの証人にならないのでしょう)
これ等の可哀想な人たちは共産党の権威が乗り移って憑依しているので『共産党の権威』=『自分自身の権威』で基本的に自己の人格が消滅してしまって要るので理性的な会話が無理であるのですね。
狐つきであるとか恐山のイタコや沖縄のユタと同じような憑依現象であるので、確かにその人物が喋っているのですが、人格が変異しているので内容的にはその人物の智的水準とか判断力、経験とかには何の関係も無いのです。
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続けてよいのやら (Runner)
2010-09-07 21:31:19
なんか、だんだん関心が下火になってきたようなので、このまま続けてよいものやら…。(^^;
一応、残っている「画一的」と「教条主義的」に対する考察もあるんですが、どうしましょう?

>実は共産党に限定しなくとも学歴信仰だけなら一部を除けば日本人全部ですよ。

そこは、私も結論として言いたいことだったんですが、少なくとも、私自身の体験としては、共産党よりも極左の方にはるかに「狂気」を感じました。
ただ、この手の話はどうしても個人の体験に基く話になってしまって、これといった客観的なデータがないところが困ったもんです。
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異なる二つは分けて論じるべきでは (宗純)
2010-09-08 11:41:04
Runnerさん、コメント有難う御座います。

ネット空間に蔓延る悪質で低級なネットウヨの鏡像としての仮想空間のネット共産党と、
それとは正反対の現実世界の日本共産党とは何の関係も無いのですよ。
前者は極少数の取るに足らない単なる塵で語る値打ちは全く無いのですが、
後者は護憲左派の最大勢力で共産党の勝敗は自動的に日本国憲法9条のこれからの命運を握っているのですから大問題であるのです。
ただネットで語ると玉石混交どころか、どうしてもこの塵が混じってしまうので話が混乱するのです。何しろネット世界の共産党は9割がたは塵で読む価値が全く無いのです。
何でもそうですが、何かの『権威』とは誰にでもなれるのではなくて高い知性と教養、経験が必要であるのですが、悲しいかな書いている本人に能力が無いので赤旗丸写しなので「画一的」で「教条主義的」に自動的になるのです。
(ですから、ネットと現実社会の共産党は別に論じないと話が混乱します)

この、最後に残っているのが>『「画一的」と「教条主義的」に対する考察』<

なのですが、これは共産党の民主集中制の問題点の『一言』に収斂するのです。
ところが、この話は実は『魔法なんかインチキだ』という『オズの魔法使い的おとしまえ』に行き付くのですが、・・・・何故かこの問題は意味無く紛糾するのですよ。何とも不思議な話であるのです。
その実体は何も無いのだか、これがとんでもなく大きな問題点を孕んでいるのですよ。
今の共産党の数々の問題点を突き詰めていくと必ずこの中身が何にも無いのに、この、殆ど大日本帝国の『天皇の統帥権』の呪縛みたいに絶大な威力を発揮する『民主集中制』に行き付くのですよ。
逆から考えると、この問題を指摘するととんでもない反発が返ってくるから不思議なのです。まさに大日本帝国での『統帥権』と同じなのですね。
何か問題があるのは判るのだか、『天皇の統帥権の干犯』の一言で誰も彼もが黙ってしまうのですが、だからといて天皇ヒロヒトに本当に『統帥権』があったのかというと如何も怪しいのですよ。
多分無かったのです。
実体は何も無いのだが、その一言で誰もが恐れおののき皆が黙ると言う化け物(幽霊)的な代物であるのですよ。
ですからこれは別の『民主集中制』だけの記事にするべきでしょうね。
このオズの魔法使いの解明には、科学的懐疑心のある人なら一目で判るし、その逆では絶対に辿り着けないのですが、大事な問題点であるので時間をかけて論じるべきでしょう。
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正義の恐怖 (Runner)
2010-09-12 23:24:02
「画一性」や「教条主義」へいたる道は複数存在しているので、どれが共産党に該当しているのか、また、今度にしましょう。

ところで、ブログ主さん再三ご指摘のネットでの共産党支持者ですが、ネットだから正体はわからないわけですが、まあ、普通に考えたら若い連中なんでしょう。
問題はそれがネットだけの現象なのか、それとも、新世代の共産党員全般の傾向なのか。
どうも私は後者のような気がするんですがね。

一般に日本人は「偽善」に対する問題意識が希薄です。
共産党も同様に問題意識が希薄であれば、どんどん人材が劣化していくのは当然だと思いますよ。
暴力団などの悪人は、自分が悪人でやっていることが犯罪であるとの自覚があるので、ある意味歯止めもかかるのですが、偽善者はそれがないのでどこまでも暴走してしまいます。悪人以上に危険な側面があるということです。
「正義の恐怖」ってやつですね。
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異端審問 (一休宗純)
2010-09-13 08:56:09
Runnerさん、コメント有難う御座います。

『人間は考える葦である』とのあまりに有名なフレーズのパスカルの遺稿集『パンセ』(宗教および他のいくつかの問題に関するの諸考察 )の中にある『人は、宗教的信念によって行なうときほど喜び勇んで、徹底的に悪を行なうことはない』という言葉がこれほどピッタリと当てはまる事例もないのではないかと思われますね。
日本共産党とは、日本では唯一のキリスト教的な道徳観で出来上がっているのですよ。
その理由は、そもそもが『科学』とはキリスト教的な世界観を土台として生まれているので、『科学的社会主義』でも普段は『科学』という名の理性で押さえているのですが、何かの弾みにこの悪しきDNAが時々は暴れだすことがある。
だから他党との違いも鮮明であるのですが、ところが日本社会では一神教とは1%程度の少数派で、これからも決して多数派にはなれないのです。ところが政党とは何時かは多数派になって政権を執る事が仕事なのですから、色々矛盾が出てくるのです。
ところが、今の共産党ですが自分の中にある『一神教的DNA』に、まったく気が付いていないのですよ。困ったことですね。
今起きている原因が分かっていいないのですから、これでは絶対に解決することは無いでしょうね。
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Unknown (Unknown)
2010-09-13 18:15:20
 上欄のURLの意味がわからないので記入しません。
 たまたまのぞいて見たら、難しそうな事がたくさん書かれています。最近、基督教と共産党の事を考えていたので、この討論とは関係なく書きたい事を書いて見ます。
 私の父は神の言葉に殉ずることを最高と考えていたキリスト教の伝道者でした。共産党は物質崇拝でうそつきで人格を重んじないといって毛嫌いし、ことあるごとに非難攻撃していました。共産党が伸びればキリスト教は消されてしまうと考えていたようです。
 かれの生きた時代は昭和の初めで、多くの青年が共産党に引かれ、主義に殉じて命を落としていきました。きっとそれが羨ましかったのでしょう。基督教に殉じる青年は少なくなっていましたから。共産党員の青年は主義に殉ずる、死に場所を知っている。それに比べてクリスチャンの青年は容易には殉じない。共産党には命を捨ててまで殉じさせる力を持っている事を見てきています。青年達がその魅力に取り付かれたら、腑抜けに成っている基督教などたちまち青年をさらわれてしまうと感じていたのでしょう。
 共産党の独善主義やら高学歴主義やら色々な条件が分析されていますが、それはそのとおりと思います。けれど最近の共産党が浸透しないのは、共産党がいいと考えたことに命を懸けてやろうとする青年がいなくなったことだと私は思います。鶴見さんのように命を掛けられる老人はたくさんいるのですが。(笑)
 私は共産党が目先の事だけにとらわれず、ある程度先をみていることに好感を持っています。しかし、アメリカや大企業の支配から抜け出すには50年100年の年月が必要だと思っています。香港は100年で中国に返されましたが、米軍基地は100年では無理でしょう。民主党政府も返してくれと言わないのですから。
 共産党に課せられているのは、生き甲斐、死に甲斐を明確にすることでしょうね。
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URLの意味はブログの住所です (一休宗純)
2010-09-14 11:53:55
当ブログでは読みに来て頂いている読者の皆さんの為に良好なブログ環境の維持の目的で、名前もタイトルも無いコメントは原則受け付けていません。
次回コメント時には、『通りすがり』や『名無し』などの個人を特定していないHNではなくて、何でも結構ですから個人を特定できる適当なHNでの投稿を御願い致します。

>『私の父は・・キリスト教の伝道者でした。共産党・・ことあるごとに非難攻撃して・・・かれの生きた時代は昭和の初めで・・

明治大正から昭和の始めくらいにはキリスト教の宣教師が街角で辻立ちして説教をしていたのですが、これを見つけると必ず無神論で唯物論哲学の私の父は哲学問答を吹っかけて困らしていたららしいのですよ。
まさかとは思いますが、ひょっとしてお互いの父親同士が街かどの辻説法で大論争していたかもしれませんね。
この無神論は徹底していて昔の日本では宗教は極近くにあり明治時代の日本には小さな町内にもいたる所に小さな祠や鳥居などの宗教施設があったのですが、わざわざ小便をかけて回ったらしいのですよ。(困ったやつですね)
第一次世界大戦末期に日本軍はソ連のシベリアに出兵するのですが、当時のシベリアの田舎町のロシア人農民はとんでもなく熱心な宗教信者であったのですが、運悪く占領軍兵士の私の父は徹底的な無神論者だったので取り合わせが悪すぎる。
田舎町の一つしかない十字路に差し掛かるとこれ等ロシア人達は必ず十字を切って神様に祈りをするのですよ。
大都会なら前に進めないが何しろとんでもない田舎町の話で、都会人の無心論者にとっては悪戯の恰好の標的なのです。
わざと見えるように地面に十字を書いてからつばを吐きかけたり足で踏みつけるなどの大人気ない振る舞いをするのですが、相手のロシア人は顔を真っ赤にして拳を握り締めて、怒りの為に手をぶるぶる震わせているのが面白いので何回もやったらしいのですよ。(とんでもなく悪いやつですね)
ですか考えてみれば武装した占領軍兵士は絶対的な存在なので誰も止められない。
これ、間違いなく今のアフガンやイラクで若い純真なキリスト教徒の米兵が現地のイスラム教徒に対して同じような悪戯を間違いなくやっていまよ。
しかしこれでは心底住民の怒りをかって、こんなことでは戦争は勝てるはずが無いのです。
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