我的網球日記

昨日の自分を越え、身近な幸せに感謝するための自叙伝!

春うらら

2012-03-23 | 日常思う事 (我的看法)
日本はそろそろ桜が花咲く季節でしょうか?

ここ東莞は先週末初夏のように暑くテニスで日焼け!もう鼻の皮が剥けました。相変わらずテニスの活動も盛んで、3/10に上海団体戦へ遠征。3/18に東莞チーム内でシングルス大会を行いました

テニスの人脈も拡がり、シングルス大会などイベントを企画できる幅も増えたかな。最近では、ここ華南地区も上海のようにダブルス団体戦を根付かせようと渉外活動する所です。上海団体戦では大学テニス部時代に戻ったような?緊張感と連帯感を味わえ熱く楽しく過ごせました。

仕事の範囲も拡がり、ベルト/財布/カバンからサンダルにも手を出すようになりました。サンダルのクッション材に使うEVAの厚みを「かかと」と「つま先」でずらし高低差を出し歩きやすくする。作るアイテムが違うと思わず「へぇ~」と発見する瞬間が多い日々です。

春は出会いと別れの季節。こちらでも駐在員が新に赴任したり日本に帰任したりします。そろそろ僕にも素敵な出会いが会って欲しいものですw いや「出会い」も自分でつくるものですね。

   

4/4は中国で清明節という祝日があります。万が一日本へ帰れるかも知れないので仕事頑張ります!

33

2012-02-03 | 日常思う事 (我的看法)
昨日2/2で33歳になりました!

おじ様方からは「若い」と言われますが、もう良い年齢です。知力・体力のバランスが一番良い時期かではないでしょうか。結婚もそろそろ考えないといけない時期なのでしょう(35過ぎたらズルズル行くと言われます…)。

先週まで日本一時帰国してまして、東京から大阪・京都まで満喫しました。日本の友人、父の築いた人脈、中国で巡り合ったテニス仲間と人々の輪が拡がったのは嬉しい限りです。

今回特に印象に残りビックリしたのは「日本人の平均年齢が50歳」と聞いたことです(諸説あるのでしょうが、2010年で44.7歳。1980年は32.6歳だった)。日本を歩いていると確かに高齢者が多い。元気が無いのも、いつまで経ってもおじいちゃんが国政を担っているのも頷ける。僕等若者が元気と斬新な発想で時代を築かないといけませんね!

   

  

日本に帰りいつもたくさん刺激を受ける中、もう少し「知のINPUT」をしないとなと改め思った次第です。生活スタイルを改め、読書の時間を増やそうかと。33歳張り切って行きます!!!

2012 新年快楽!

2012-01-03 | 日常思う事 (我的看法)
新しい2012年が明けました。

早速今日から出勤で1/6金には忘年会です(中国は旧正月1/23のため、未だ年が明けておりません)。今年は予算が無いのか?工場全部門の合同なので、シンドイ一気飲みも1日で終わりですw

さて、元旦は日本で久々に過ごせました。京都のお婆ちゃん家で久々にお雑煮を食べ、鴨川を歩き京都を散歩しました。

   

  

年末の歌番組(レコード大賞・紅白)を見て韓国の勢いを感じながらも、余りにも最近の歌は言葉が貧しい印象を受けました。踊りとテンポに合わせて歌詞を載せているからか?時代を経て耳に残る歌に比べ、気軽に簡単な現代の歌はどうも言葉の重みを感じません。

僕も思い当たる節があるので、今年は思慮深く一度頭で反芻してから発言するよう気をつけます。ゆったりとした中国で、ダラダラ過ごしている感があるので勉強をするなど「時間の使い方」を見直そうと思います(週末はいいけど、平日だな)。

それでは、本年もよろしくお願いし申し上げます


2011年を振り返る

2011-12-23 | 日常思う事 (我的看法)
日本は天皇誕生日でお休みすね。
今週から公私ともに、ようやく落ち着きましてボケーと考える時間ができました。

今年は自然災害・人災が目立った年でした。
旧正月2月に日本へ帰り、ようやくリーマンショックから回復して日本が元気になってきたなと感じた矢先の3月に東北大地震。私は調度蘇州に異動したばかりでした。7月には中国高速鉄道の追突。国外ではタイに6月、10月と休暇を利用して遊びに行きました。8月の大雨がアユタヤから、あわやバンコクに流れ出る10月の洪水騒ぎでした。日系メーカーは今も影響が出ており、中国工場に振り替え増産中のようです。またスティーブ・ジョブス、金正日と相次ぎ大人物が亡くなり、2011年も終わろうとしております。



私自身はここ広東省東莞市だけでなく、蘇州・上海で半年過ごせたのが非常に良い経験でした。テニスの人脈がまた一層増えたばかりか、中国をより深く仕事を通して学べた気がします。広東省へ戻って来、仕事の幅や責任も増え充実した一年が送れた気がします。中国語で会議を進行する、表現を変えて説明する…などなど上を目指すと未だ一杯課題があります。来年はHSKでも受けてみようかな。

そうそう、旧正月の日本一時帰国中にレーシック施術をしようと考えてました。年末のご挨拶で蘇州テニスチームのお世話になったママさんに連絡したら、「晋ちゃん結婚するまで、ご両親に頂いた体を大切にしないと駄目よ」と言われ妙に納得してしまいました。まぁ今回は見送ろうかと思います。そう言えばおととい、北京体育大学留学時代の友人から懐かしい報せがありました。

「色々な場所に行き、たくさんの人々に出会い、心温まる言葉を貰える」 あぁ~幸せだなあと感じる。来年もそういう幸せを多く味わえるように努力して行きたいと思います。



写真はAll CHINA深圳代表。  Merry Christmas    

Stay Hungry.Stay Foolish.

2011-10-08 | 日常思う事 (我的看法)
スティーブ・ジョブズが亡くなりましたね。
私はiPhoneとアップルストアのプレゼンで馴染みがあった位で、多くは知りませんが没後の彼に対する著名人コメントや追想エピソードなどを読んでいると興味が沸きます。タイトルに使わして貰った「Stay Hungry.Stay Foolish.」も素敵な言葉です。僕のような凡人ができることは、偉大な天才の言葉を胸に刻んで活きる事でしょう。

先日タイバンコクから帰って来ました。
2日間テニスをして3日観光という日程で、改めバンコクの魅力を感じました。

   

   

つくづく旅行は良いものだと感じました。やはり、中国にいる間に色々東南アジア中心に回らないとな。
さて、6月に知り合ったタイ人女性に今回色々案内して貰いました。彼女のスケジュールを優先し、今回はアンコールワットとかルアンパパンは断念しましたが結果的に良かったです。6月の仄かな恋心が今回確信に変わりました!が、現実的には僕は中国にいるので、難しいのは難しいですね。儚い…。恋愛をするとつくづく外国語ではで伝えたい表現が足りないと感じます。彼女と出会い、英語を使う機会も大分増えたのは有り難い。でも、タイでも中国でも世界中どこでも働けるそんな力が欲しい!!!今の僕には男として、女性を養っていける力が無いと本当に感じた。

Stay Hungry.Stay Foolish.頑張ろう!

夏期休暇を終えて

2011-08-26 | 日常思う事 (我的看法)
24より日本から再び中国へ戻って来ました。

今回初めての夏期休暇。旧正明け2月から、3月蘇州へ異動、6月にタイ、7月重慶へ旅行とずっ~と同じ場所にいた訳ではありません。だがしかし、今回は日本が恋しかった。やはり、半年以上中国にいると精神的に帰りたくなる…なので、今回はよ一層リフレッシュできた感じです!!!日本人だからかな。

京都から入り、
  

東京へ いつもお決まりのルート。美味しいものをたくさん頂きました!
  

今回は、初めて羽田から上海虹橋へ飛びました。
何と言っても都心から近い上に、こじんまりしていて日本的で綺麗(表紙写真)。非常に日本の特色が出ている感じがします。外国人も喜ぶのではないでしょうか?次回から、極力羽田から乗ろうと思いました。

そうそう、北京留学時代の中国友人に「中国語上手くなった」と言われたのは嬉しかった。普段褒められても別に何とも無いのだが(当たり前だし)、留学時代や北京オリンピック前にも教えて貰った友人だから本当に嬉しい。2人揃って、「なんで中国で働いているの?」と聞かれたのは面白かった。あなた達だって日本で働いているのにねw やはり、自国の良さは見え難い所もあるし、逆に外国人だから感じることもあるのでしょうね。

今回も色々な方々にお会いできて楽しかったです。また東京では寺崎家、鈴木家にお世話になりました!この場を借りて御礼申し上げます


日本一時帰国8/17~24

2011-08-14 | 日常思う事 (我的看法)
ようやく2週間の東莞出張から、昨日蘇州へ戻って来ました!昨日12日は調度、深圳ユニバーシアード大会の開幕式。深圳空港を利用したのでユニバーシアード一色でした!


テニスもやるようです⇒http://www.jta-tennis.or.jp/whatsnew/news/bin/bin110805174023002.pdf
身の周りのテニスも盛り上がっており、9/3(土)は上海チーム団体戦です。蘇州の今のチームでは残念ながら出れないですが、上海のチームで出ます。今日の練習でも団体戦に向け皆さんの士気がメラメラ刺激を受けました

うっ、、、そう言えば今日、事故以来初めて高速鉄道に乗った。。。やっぱ便利だが心無し空席が目立ったなぁ(長い距離は飛行機やバスに流れているよう…)。今回出張の飛行機「深圳-上海虹橋」間で3時間も遅れたし、交通機関はやはり日本の方が良いサービスをしているのだろう。

さて、表題通り日本へ一時帰国します。8/17水~24水です(東京には遅くても、22月には入る予定)。大地震が起きてから初めての日本帰国。残念ながら東北には行けないが、今の日本をしっかり見つめたい。後なんだろ?美味しいもの食べたいな…鰻かな


梅雨の休日

2011-06-23 | 日常思う事 (我的看法)
日本も梅雨でしょうが、つい先週まで蘇州も毎日のように雨ばかり。今週末もそんな台風の影響か雨予報で、上海インドア以外は中々テニスできません。

先日の日曜は珍しく全くテニスせず、買い物・掃除・洗濯と夜になったらカフェ&barに繰り出しました。ビーフシチューを作りコトコトコト♪DVDを2本観て、読書する時間もあって非常に充実していた。アホみたいにテニスばかりしているので、たまには良いです。
 

さて、ウィンブルドンテニスは連日熱い試合ですね!!!
…がなぜかCCTV5ではやっていない。。。なぜだ(昨日も全仏オープンの録画だったし)?。日本は伊達選手が惜しかったですが、若い土井美咲選手は勝ちましたね!一度生で観たことあるのですがカッコイイ選手で、左利きでセンスを感じました。次は中国「鄭潔」選手今度はテレビでやるはず!?加油




タイと風俗 続き

2011-06-21 | 日常思う事 (我的看法)
タイに旅行に行く時、戒めの意味を込めて下記文章を読んでいる。
友人が書いたもので、非常に熱い心と女性ならではの視点があって良いです。こういう存在が身近にいることにただただ感謝。長文ですが、どうぞ大事に読んで下さい!

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 彼は女を買った。詳しいことはわからない。人に優しい、動作も喋り方ものんびりした人で、純粋で素直で嘘のつけない人だった。彼の友人たちも大体がそんな感じで、今どきめずらしく「愛が全てだ」なんて照れくさい言葉を真剣に、でも微笑みながらよく一緒に語っていた。みんなタイが好きだった。のんびりとした雰囲気と人々の笑顔が大好きなのだと、タイへしょっちゅう遊びに行っていた。彼のタイでの買春行為が私にばれたのは、彼の友人が自分の彼女に問い詰められ白状したからだ。友人の彼女はすぐさま私に電話で知らせてき、私は彼に電話した。「あなたの友人はタイで女を買ったんだって。あなたも買ったの?」彼はあっさり白状した。
 インターネットで少し検索すると、タイでの買春情報は簡単に調べられた。相場は大体1000バーツ(約3000円)から2000バーツ(約6000円)らしい。カンボジアはさらに安い。十五歳くらいの少女もときにはいるという。タイ東北部の貧しい家庭は、娘がバンコクで稼ぐしかない。私はせめて彼の買春相手が、二十歳以上であったことを願った。
 私はタイ人の、あの健康的な小麦色の肌が彼にからみつくのを想像し、夜明けまで寝返りをうつ毎日を過した。彼は私とのセックスに満足していなかったのだろうか。飽きたのかもしれない。彼はどんな女を買ったのだろうか。きっと私より若くて可愛い娘。その娘とどんなセックスをしたのだろう。私にするのと同じように優しくキスをしたかしら。私は名前も知らないタイの女性に嫉妬し、彼の裏切りを悲しんだ。だが、私の友人はこう慰めてくれた。「それは浮気じゃないでしょう」
 しかし、それは私をもっと深く傷付けた。普通の浮気だったなら、もっと単純だったろうに。私は相手の女性に嫉妬し、自分に何が足りないのかを考え彼と話し合い、別れるにしろ続けるにしろ結論を出せたはずだ。私はたった3年程度の付き合いで、彼のことを全て知ったつもりでいた。世界中の悲惨なニュースを観ては、怒ったり悲しんだりしていた彼を、何よりも愛を大切にする人だと尊敬し、愛してきた。しかし今は、自分は彼の何を愛してきたのか、これから何を愛せばいいのか、わからなくなってしまっている。買春。それも彼のいう愛なのだろうか。
 私は1ヶ月後の休暇に予定していたモンゴルへの旅を、急遽タイ・カンボジア行きへと変更した。本当の彼を知りたい。

 汗を誘う生暖かい風にのって、タイ独特の香辛料の匂いが街中を漂う。思わず顔をしかめてしまう程の匂いだが、2日めには何も感じなくなってしまった。それがとても美味しいタイ料理の香りなのだということを、体が理解したのだろう。日本よりもひどい高温多湿の気候は、私をぐったりとさせ、ゆっくり歩くことを強いた。周りを見渡してみても、急ぎ足の人などいない。みんなゆっくり歩いている。仕事中の屋台のおじさんは、疲れてしまったのか路上で寝転がっている。なるべく疲れないように行動し、疲れたら休む。こうしてみんな暑すぎる一日をやり過すのだ。日本も十分暑いが、みんな急いでいる。そして疲れ、周りに笑いかける余裕もなくなる。日本人は勤勉とは言うが、笑顔という言葉を思い浮べる人はいないだろう。対してタイは『微笑みの国』と呼ばれている。
 タイのこのゆったりとした雰囲気と人々の柔らかい笑顔は確かに魅力的で、彼が買春目的だけのために訪れていたのではないと、私に少しの安心感を与えてくれた。
 安宿街で有名なカオサンには、私を含めたくさんの日本人旅行者がいた。大抵が1人旅で話しかけやすい。屋台や宿で、初対面同士でもすぐに打ち解ける。圧倒的に男性旅行者が多く、私は機会を見つけては、買春経験の有無をさぐった。タイの女の子は可愛いし安いから、もし私が男だったらきっと買うだろう。私が笑いながら、軽い雰囲気でこう話すと、理解ある女性もいるもんだと、大抵の人は打ち明けてくれた。最後にこう付け足して。「誰だって買ってるよ」
 しかしそれは嘘ではなかった。買春したことのない男性はほとんどいなかった。したことがないという人は、1人旅が初めての人か、まだ十代の大学生であった。少なくとも私がたずねた社会人で、一度も買春をしたことのない男性はいなかった。しかし買春目的でタイに来ているのかとたずねれば、そうではないという。皆、タイを拠点としながら、ラオスやインドまで足を延ばして遺跡や人々の暮らしを観光し、それぞれに旅を楽しんでいる。そして「せっかくタイに来たのだから」買春するのだという。まるで「せっかくタイに来たのだから、トムヤンクンを食べる。タイではトムヤンクンは安いし、簡単に手にはいるのだから、食べずして帰るのは勿体ない」と言うように。
 彼らにとっては買春とはタイ特産物という認識らしい。もちろん始めは抵抗があっただろう。中には「一度買春をしてみたものの、罪悪感や嫌悪感におそわれ、もう二度としないと決めた」人もいた。だが、そういった人は稀で、とりあえず日本からタイに飛び、買春してから他の国々に観光しに行く。最後にタイに戻り、買春して日本に帰る、というパターンの人がほとんどであった。
 ある人はカードでキャッシングまでしていた。今日バンコクに戻ってきたが、それまでの観光で持ち金を使い果たしてしまった。明日、帰国するのですぐに返せば利子も大したことはないだろう。とにかく「せっかくタイに来たのだから」買春せずに帰るわけにはいかないらしい。借金をしてでも「せっかくタイに来たのだから」やるべきことなのである。私の彼もそうだったのだろうか。何とも滑稽に思えた。彼らの心境としては、つまりこうである。「せっかくパリに来たのだから、借金をしてでもルイ・ヴィトンでバックを買うべきだ」
 買春する人々がそうであるように、次第に私も麻痺していった。みんなやっていることだ。彼が特別だったわけではない。タイで買春するということは、一般的日本人男性にとってはごく普通のことなのである。私はどうでもよくなってしまった。彼は買春することがどういうことか、きっと考えもしなかったのだろう。安くて可愛い娘がたくさんいて、みんなやっているから自分もした。楽しかった。気持ち良かった。危険なことは全くなく、簡単だった。そして何度も繰り返したのだろう。そこに「愛」があるの、ないの、だなんて考えもせずに人を一晩買ったのだろう。疑問もなく、食用に飼育された牛を買って食べるのと、まるで同じであるかのように。
 カンボジアへ向かう途中、タイ側の国境の町、アランヤプラテートの宿で、1人の日本人男性に出会った。長いことタイに住んでいるらしく、流暢なタイ語を喋った。国境でビザを更新するために、タイ中部の小さな町からやってきたのだと言う。私はたずねた。東北部の人々は貧しく、娘をバンコクの風俗街で働かせて収入を得ているというのは本当か。このぶしつけな質問は男性を不愉快にさせたようだった。
 ビールでも飲みに行こう、と男性は私を宿から連れ出した。アランヤプラテートは小さな何もない町だ。屋台がぽつんぽつんとある他に、コンビニエンスストアが一軒、それ以外に旅行者が立ち寄れる場所はないように見える。男性はスタスタ先を歩いて行き、やがて一軒の、ひかえ目だがピンクのネオンで飾られたバーに入って行った。客は地元住民の、しかも男性ばかりで、皆いぶかしげに私を見る。そこはゴーゴーバーだった。
 ゴーゴーバーとは、丸裸の女性が舞台の上で体をくねらせながらセクシーダンスを踊っていて、それを観ながらお酒を楽しむところだ。気に入った娘がいれば、バーに連れ出し料を払い、お持ち帰りすることも可能だ。その後のことは、女性との交渉次第で価格が決まる。つまりは買春するのにてっとり早いところである。バンコクでは一種の観光名所のようにすらなっていて、一部のぼったくりバーを除いては安全で、女性観光客もよく訪れる。そのくらい簡単に安全に買春はできる。
 アランヤプラテートのこのゴーゴーバーは、バンコクのそれとは違い、とても簡素なものだった。普通のバーカウンターの中に二畳程度の狭い舞台があり、その上で2人の女性が笑いながら踊っていた。とってつけたような質素な照明の下で、ラジカセから流れる音楽に合わせて踊っていた。バンコクの明るく華やかに演出された舞台では感じられなかった、生活感だとかわびしさだとかが感じられた。第一、踊っている女性が全く違う。バンコクの踊り子たちが美しく、痩せていてスタイル抜群であるのに対し、彼女たちはむちむちとしていて田舎くさく、化粧も乱暴だった。「たずねるまでもなく、彼女たちは東北部出身だよ。こんな小さな町で地元住民が、こういうところで働けるはずがない」しかしそれならば、なぜ彼女たちはバンコクで働かないのか。こんな小さなゴーゴーバーよりも、バンコクで稼いだ方がお金になるのではないか。「整形するのが嫌だったのか、太っていてクビにされたのか、そんなところだろう。もしくは日本人が嫌いなのかもしれない」男性は仕事でよく日本人をゴーゴーバーへ接待するらしい。その一環で、もちろん買春も世話する。「タイの若い世代には日本人に憧れる人も多いが、全体的に見たら軽蔑されてるよ。日本人は金持ちだけど、単なるスケベだってね」
 カウンターでお酒をつくっている女の子が、やけに若く見えたので年をきいてみた。14歳だった。「この娘も近いうちに踊ることになるだろう」
 微笑みの国、タイに魅了され、何度も訪れる日本人。その歓迎ともとれるタイの微笑みは、実は嘲りかもしれない。私の彼もタイを愛し、タイに嘲笑われていたのかもしれない。

 カンボジアでは、日本人による児童買春が大きな問題となっている。最近、日本のテレビニュースでもとり上げられていた。児童買春をしたという人には出会わなかったが、買春をした人は、もちろん残念ながらいた。カンボジアでの買春は、タイよりも格段に安価である。ただ性病に関する危機意識が乏しく、タイ以上にエイズが蔓延している。カンボジアで買春した日本人は、皆こう言った。「怖かった」
 彼らが「怖かった」のはエイズに感染するかもしれない、という恐怖感であり、彼らは「怖かった」にも関わらず買春したのである。彼らは「怖かった」のでもちろんコンドームを使用した。彼らがコンドームを使用したのは自身のためであり、相手の女性のことを考えたわけではないだろう。もし性病もエイズの可能性も0%ならば、彼らはコンドームを使用しただろうか。妊娠するかもしれない、とコンドームを使用するほど、相手の女性を気づかっただろうか。もしくは二度と会わないのだから、相手の女性の今後の生活のことなど、気にする必要なんてないのだろうか。
 ポル・ポト時代、カンボジアではほとんどの若い男性が虐殺された。売春宿がこんなにも発展してしまったのは、このせいだ。働き手の男がいなくなって、女はどうやって生きていくのか。私は屋台のテーブルに群がってくるストリートチルドレンを見遣りながら、やるせなさに食欲を失った。この子供たちは私の残飯を食べ今日を生きる。大きくなってからはどうするのだろう。少し離れたところでこちらをじっと見つめる母親。この子たちは父親を知っているのだろうか。この子たちの父親が日本人ではないと、どうして断言できるだろう。大きくなって、この子たちが売春以外で生きる方法があると、どうして言えるだろう。この子たちも将来、名前も知らない父親の子を産むかもしれない。そして、繰り返される。

 タイ・バンコクに戻り、私はバンコクの豊かさを再認識した。真夜中でもネオンの光で明るく照らされ、お洒落をした若者たちが楽しそうに歩く。カオサンには相変わらず、たくさんの旅行者が滞在していた。
 カンボジアで会った何人かの人々と再会した。ある男性が、カンボジアの売春宿に行ったときの話をしてくれた。5ドルだった。薄暗く、汚いベットが置かれた狭い部屋に通された。怖かった。二度と行きたくない。きっと彼は本当に不安だったと思う。知らない土地で知らない女性をオンボロ小屋で抱く。しかし相手の女性はどうだっただろうか。5ドルで自分を買った、見知らぬ日本人男性に抱かれる。彼女は生きるために、日々この恐怖に耐えなければならないのだ。ちなみにこの男性は25歳の、背が高くハンサムな好青年である。会話も楽しく、明るく優しい男性である。
 バンコクのゴーゴーバーで、私は1人の女性に出会った。ゴーゴーバーに行っても、女性客はあまり相手にされない。ゴーゴーバーで働く女性の主な収入源は売春であり、ショーだけを観に来た興味本位の女性客に構っても仕方ないからだ。しかし、その女性は私の隣に座ってくれた。もしかすると私をレズビアンを勘違いしたのかもしれない。髪は黒く、清楚な雰囲気で、白い貝殻でできたネックレスがよく似合っていた。ここで働き始めて二週間。まだ舞台には立ったことがないらしい。確かに不馴れな感じがあった。だからこそ、女性である私のところに来たのかもしれない。売春経験もないのかもしれない。どうしてここで働いているのか、の問いにはお決まりの答えが返ってきた。母親が病に倒れてしまったため、治療費を稼ぎにバンコクへやってきた。はじめはスーパーで働いていたが、それだけでは足りず、夜の仕事を始めた。彼女は東北部から来たとも言っていた。とてもよくある話だ。
 私は知人のタイ人女性に彼女のことを話した。バンコク在住で日本企業勤務の知人は、こう言い放った。「そんなの嘘に決まってる」バンコクの風俗で働く人々は、自分よりも収入がいい。彼女たちは性を売ることを平気でやってのける。人がいい日本人の同情をひくために、嘘だって平気でつく。知人は彼女たちを心底、軽蔑しているようだった。バンコクが風俗都市と思われるのが屈辱的なのだ、と厳しい口調で言っていた。
 あの女性の話が嘘だったのか本当だったのかは、私にはわからない。ただ、タイ東北部の人々の生活が困窮しているのは事実であり、バンコクで売春をして仕送りする、家族想いの女性がたくさんいるのも事実である。日本語も堪能なエリートの知人にとっては、邪魔ものですらあるのかもしれない。では彼女たちはどうやって生きていけばよいのだろうか。売春以外に、彼女やその家族が、食べていける方法はあるのだろうか。
 ゴーゴーバーと類を成して、ゴーゴーボーイというのが存在する。ネーミング通り、男性目的の人々のためのバーである。舞台で踊っているのは男性だ。ただゴーゴーバーと同じく女性客はほとんどおらず、男性客ばかりである。ゲイだ。日本人らしき人もいたが、西洋人が圧倒的に多い。アジアの男性は従順で肌のキメが細かく、ゲイに人気らしい。上半身裸の少年のような顔立ちの店員を周りにはべらせ、腰に手を回して上機嫌で酒を飲む白人。腰に番号札をつけて舞台で踊っている店員たちを、熱心に品定めする日本人らしき男性。異様な雰囲気だった。それは私が同性愛者ではないために、理解できない部分があるのだろう。とにかく私にとって、ここで働く男性たちは皆、奴隷のように見えた。彼らはゲイなわけではない。実際、女性である私のところに、自分を売り込みにきた店員が何人かいた。もちろんゲイである店員もいるのだろうが、少なくとも全員がそうではないということだ。それでも相手の客は大抵が男なのである。彼らは一晩を稼ぐためならば、相手が男だろうが女だろうが、無心に尽くすのだろう。
 ゴーゴーバーではほとんど相手にされなかった私だが、ゴーゴーボーイでは1人の大切なお客様として扱われる。私の隣に座って、熱心に自分をアピールする店員。それは正直、私にとっては迷惑であった。私はただの好奇心からここにやってきたのである。しかし、そう考えること自体、真剣な彼らに対して失礼な話だ。
 私はゴーゴーボーイがどういうところか、知らないで来たわけではない。なのに彼らのサービスを受け入れられない。私は彼らを見せものとして捉えていたのか。私はまるで動物園にでも行くような気持ちで、ここに来たのだろうか。日本だったならば、例えばホストクラブのようなところに、私は行こうと思いもしない。それは高いから、なんて理由ではなく、相手が日本人男性である限り、私は気を遣ってしまうに違いないからだ。「観たい」なんて簡単な動機だけでは、とても行く気にはなれない。だが今回は、気後れなどちっとも感じずに来た。相手がタイ人だからなのか。私は少しも遠慮することなく、彼らを観察していた。問題は、なぜタイ人ならば平気なのか、という点である。
 ゴーゴーボーイを後にし、私は先日訪れたゴーゴーバーへタクシーで向かった。閉店間近の店の入り口で、私は彼女を待った。私の隣に座り、東北部出身だと話してくれたあの女性だ。男性客と腕を組んで、女性たちが出てくる。学生らしい若い日本人男性もいた。きっと初めてなのだろう。私を見るとバツが悪そうに下を向く。連れている女性と同様、私とも二度と会うことはないだろうに。賑やかに楽しそうに、たくさんの人々が私の前を通り過ぎて行った。私は彼女を待つ。とにかく私は彼女に会わなければならなかった。私は彼女を今夜買うつもりだ。
 ゴーゴーボーイでの自分に、私は失望していた。私は単なる好奇心であそこに行ったのだ。本当の彼を知りたい、という本来の目的はすっかり忘れていた。いつのまにか、風俗に対する関心の方が大きくなっていた。私はそこで働く人々を見たかった。彼らはあくまで「風俗で働く人」であり、「タイ人」だった。私は彼らを同じ1人の人間としては見ていなかった。しかし実際のところ、彼らは単なる見せものではなく、懸命に働き生きている1人の人間なのだ。
 たくさんの人々で混雑していた通りも、やがて誰も通らなくなってしまった。彼女は出てこない。私は店内に入ってみることにした。
 あやしくきらびやかな照明は消され、なんのへんてつもない蛍光灯で照らされた店内は、明るくがらんとしていて、以前訪れたときとは全く様子が異なっていた。けたたましく鳴っていた音楽もなく、何人かの女性店員が椅子を重ね、黙々と床をほうきで掃除していた。そこに彼女の姿は見えず、私はレジでお金を数えている店員に尋ねてみた。仕事を始めて2週間くらいの、美しい黒髪で白い貝ガラのネックレスを付けた少しシャイな女性は、今どこにいるのか。店員はこうこたえた。私はどの女性のことをあなたが言っているのかわからない。それにあなたも知っているように、客に指名されたらついて行くのだ。彼女は今日、休みだったのか客と一緒に出て行ったのか私にはわからないけれど、いずれにしてもあなたは来るのが遅すぎた。
 力になれなくてごめんなさい、と言って店員はまたお金の計算を始めた。私は所在なく、掃除する女性たちを見つめしかなかった。私はあの女性を買いたかった。一緒に屋台で食事をしたり、ディスコで踊りたかった。不馴れな素振りを見せた彼女に、すでに売春経験があるとは思えなかった。ここで私が彼女を買って、説得し売春を辞めさせようと考えたわけではない。彼女の今後の生活に責任を持てるほどの度量は、私にはない。ただ、もしかしたら初めて自分を買った客が私だったなら、体目当てでなく、自分の人間としての魅力を買った日本人がいたなどと後に思い出して、慰めや励ましになるのではないかと思ったのだ。しかしそれも私に都合のいい解釈なのだろう。ゴーゴーボーイで自分は彼らと正面から接していないのだと失望した私は、せめて彼女を1人の人間として見、彼女の仕事を成立させて償いたいだけだったのかもしれない。いずれにしろ店員が言うように、私の行動は遅すぎた。

 私はどこかで自分は金持ち日本人なのだ、という意識を常に持っていた。日本はアジアで最も発展した国。同じアジア人でも、日本人だけは違う。それは同じ人間にも関わらず、白人が有色人種に対して持つ優越感と同じようなものかもしれない。私の彼を含む多くの日本人男性が、タイをはじめとするアジア各国で買春するのは、単に安価で簡単だからだろうか。例えばその買春相手が西洋人だったならば、アメリカ人だったならば、彼らはどうするだろう。大抵の日本人が劣等感を抱いている西洋人に対して、アジア人相手と同じように、横柄に平気で値切り買春できる日本人男性は、こんなに多くないはずだ。私たちは「日本人」という意識を強く持ち過ぎているのかもしれない。外国人に対して、同じ1人の人間なのだという実感が湧きづらい。そのために人間ですら商品化してしまえる。買春だって平気でやってのける。昔、白人が黒人を奴隷として売買していたとき、黒人は人ではなく商品として扱われてきた。いかに良心的な白人にとってもそれが普通で、当然のこととして成り立っていた。それと同じなのだ。そこに罪悪感が伴わないのは、商品化してしまうことに何の疑問もなかったからである。 
 私の彼はタイの女性を買った。そこには単なる性への欲望の他に、日本人としての自意識によるアジア人への軽視、もしくは同じ人間という意識の低さがあったに違いない。そしてその意識は、私にも根付いていたのである。

 真夜中のカオサンロードを、たくさんの人々が楽しそうにすれ違ってゆく。西洋人、日本人、タイ人。誰もお互いの国籍を気にするものはいない。いろんな人種がいて当たり前のカオサンでは、皆、当たり前のように無関心にすれ違ってゆく。しかし心を覗けば、それぞれが自分の国や人種に強い意識を持ち、他者に対して劣等感なり優越感を抱いているのに違いない。 生暖かい風がゆったりと流れる。誰もが皆、同じようにその風の柔らかさを感じていた。


タイと風俗

2011-06-21 | 日常思う事 (我的看法)
タイで避けては通れないのが、風俗に関してです。
この話題は人に拠っては不愉快に感じられる方がいるかと思いますので、読まれたくない方はどうぞご遠慮下さい。

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タイに旅行に行ったのは今回2度目であるが、友人がいなかったらまず行く事は無かっただろう。今では日本人の知り合いが2人になり、タイ人の友人もできた。「微笑みの国」と呼ばれるタイは、非常に笑顔が素敵で日本人が好きになるのが良く分かる。加えてタイフードも美味しい。逆にタイ人からしても、若者中心に親日的なようだ。実際私も旅行中にインフォメーションセンターで英語で問答した後、何人?と聞かれ「Japanese」と応えると、お姉さんに日本語で「私は日本に行きたいです」と笑顔満面で言われた。中国で日本語で言われるケースは余り無いので妙に嬉しかった。ネットで調べてみると、タイ王国と日本は古くから皇室でも繋がりがあったようだ(日泰関係史 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%B3%B0%E9%96%A2%E4%BF%82)。

タイに何をしに行くかと問われれば、「友人に会うのがメイン+観光」ではある。観光と言うと、タイをご存知の男性は、観光=夜遊び(風俗)を思い浮かべる人が多いのは事実であろう。僕も今回サイアムスクエアの買い物以外はテニスをして全仏オープン観戦した位である。後はゴーゴーバーに行く位でバンコクからパタヤに移動してもそうだった。タイの風俗形態を分けると以下のようになる↓

・ゴーゴーバー
客は舞台の上で踊っている女性を見ながら、飲食を楽しむ。女性は水着や下着姿であることが多いが、稀に全裸の場合もある(wikipedia抜粋)http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B4%E3%83%BC%E3%82%B4%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%BC

・マッサージパーラー
日本で言うソープランドと同じ業態だそう。残念ながら、未だ行ったこと無いので良く分かりません。

・カフェ(援助交際喫茶)
バンコクでは、テーメーカフェが有名。少し暗いファミリーレストランのようなフロアに、タイ人女性と日本人(少しは欧米人)がいつくす。ここにいる女性は日本人好きで、乱暴な欧米人より優しい日本人の方がいいとか。浮かれた日本人大学生、女性を一人一人物色している駐在員のオジサマ…「日本は大丈夫だろうか?」と思わずにいられなかった。異様な雰囲気で一杯飲んで早々に立ち退きました。

・立ちんぼ
日本でも恐らく今でもあるのではないでしょうか。バンコクならルンビ二公園を始めホテルの前など、パタヤにはビーチにもいたりする。

ゴーゴーバーでは女性をお持ち帰りをする場合相手と交渉するのだが、女性に選択権があり気に入らない男性であれば拒否できるよう。見物だけの堅物そうな日本人男性がそれなりにいて女性を傍に呼ばないのは、英語を喋るのが億劫か拒否を恐れてかもしれない…それを裏付けている証拠かも。個人的には明るく楽しく踊っているゴーゴーバーの女性はハッピーそうなので、他の風俗業態より好きではある。女性を必ずしもお持ち帰りしないでも、ただドリンクを飲み見ている、もしくは一緒にデートに連れて行ってディスコに行くのも構わない。お店によってはダンスショーに趣向を凝らした所もあるそう。

風俗と言うとどうしても男性主体になるが、対女性でもしこのようなサービスが世界に蔓延し社会的に認知されていれば女性も行くのだろうか。タイにはゴーゴーボーイと言うのがあるが、外から見ると決してイケメン揃いでは無さそうだし女性客も少ない気がした→

■世界の風俗事情

日本の風俗を調べてみると、どうやら日本では児童買春以外は曖昧なようだ↓http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A3%B2%E6%98%A5#.E3.82.A2.E3.82.B8.E3.82.A2.E8.AB.B8.E5.9B.BD.E3.81.AE.E4.BA.8B.E6.83.85
ここには世界の売春事情も書いてあり興味深い。韓国人に関してマイナス情報が目立つあたり、日本のウィキィペディアだからだろうか?かつて高度成長で金にモノを言わせ横暴に振舞っていた日本人は少し鳴りを潜め、現在は韓国人もしくは中国人になっているということかもしれない。またここにあるように世界では風俗を合法化している国々があり、性犯罪を少なくする狙いがあると。昨今の日本でのニュースに学校の先生や公務員が性犯罪に手を染めている事件を思い出すと、合法化することは確かに一理あると肯ける。

私は普通にHが好きである。他の人と同じように良く見られたいと思う反面、自身を清廉潔白な人間でないことも良く分かっている。風俗に関しては晩熟ではあったが、父の仕事を手伝っている際は少しお世話になった。仕事のストレスから女性に安らぎを求めることは嵌り過ぎは困るが、人間の弱い部分でありごく自然なことだと思う。たとえ金銭の関係であっても、「自分が必要とされている」と実感できることは嬉しく心強いものだ。その当時お世話になった女性には今でも非常に感謝の念がある。また逆に金銭の関係だからこそ、後腐れない関係になれるというのもある(周りの人に手を出すよりもマシ?後、自身の言い訳にもなる)。北京留学時代、尊敬すべき格好良い男性が配偶者もいるのに他の女性と関係を持つことか良く理解できなかった。今になって思えば、子供がいない夫婦関係や仕事からバランスを保つためだったのかもと少しは推測できる。それこそ、男の都合の良い解釈ではあるが…。

とかく自分が日本人であるからか分からないが、『道徳的に誤りではないか?』と少しは悩むことはある。世の中は中々善悪で単純に割り切れないことが多い。なので、悩むこと自体は良いことと思う。先週末梅雨で家に篭りDVDを観ていて思ったが、何で欧米人の場合女性でも色々な男性と関係を持っていることを許せるのか(すんなり受け入れられる)?自身不思議ではある。恐らく日本人だから欧米人に引け目があるのだろう…。いつかヨーロッパに旅行に行った時の飛行機、フライト8時間位で欧米人の男女が意気投合してワインを手に熱い抱擁と接吻をしていたのは驚いた。

長々と上手くまとまりませんが、女性は男性にとって欠くことのできない存在であることは万国共通でしょう。まず自分が出来ることは、女性に対して今以上に敬意を表すことですね。