今、なぜ、「ロッキー」をここで紹介する必要があるのか・・。
多くの人がご存知の映画であり、昨年は「ロッキー・ザ・ファイナル」も公開された・・。
アメリカを代表するボクシングの映画じゃないか。
確かにそうである。アメリカ、日本はおろか、多分世界的に広く名前をしられているヒーローだろう・・
ロッキー・バルボア・・。
しかし、私にとって、というか、多分私くらいの世代(ちなみに私は1966年生)の人々にとって、1作目の「ロッキー」は、特別な
思い入れと感動を覚えるのである。それ以降の続編とは、全く別の映画ととらえているのかも知れない。
「ロッキー」がアメリカで公開されたのは1975年、ベトナム戦争の傷跡が人々の心からさめやらぬ時期、
巷では「しらけの時代」などともよばれ、オカルト映画や、パニック映画がはやっていた・・。
「キング・コング」が何千万ドルもの制作費で鳴り物入りで全米ロードショーを始めたころだ。
そんな時、制作費たった100万ドル、出演者にスターもなし・・まったく無名の「ロッキー」という映画が、ニューヨークの数館だけで公開された・・。そこから火がついた・・!!
うわさがうわさを呼び、またたくまに全米の映画館へ広がっていった!
新聞社、雑誌などの映画評でも、「息もつかせぬ壮絶なファイト!これぞまさしく歴史に残る傑作!」
「この映画のファイトシーンは、この種のシーンの白眉として語りつがれるであろう興奮をたたきつける!!」
などの記事が(覚えている限りで上記の2つ、実際は数え切れないほどあったでしょう)。
興行収入もあっというまに「キング・コング」を追い抜いた・・。
そしてついにブロックバスター・フィルム(低予算で作られながら、莫大な興行収入をあげた映画をこう呼ぶ)の1つとなったのである。
「ロッキー」の感動の大きな要素となっているのが、主人公ロッキーを演じたシルベスター・スタローンという無名俳優の人生が、この映画「ロッキー」とオーヴァーラップすることである。
スタローンは、それまで、何本かの映画の端役をやったり、売れない映画の脚本を書いたり、生活のためにポルノ映画に出たりもしていた。ある夜、モハメッド・アリとチャック・ウェプナーのタイトルマッチをテレビで見て、「ロッキー」の脚本を書き始めたという・・。3日で書き上げたというのは伝説になっているが・・。
その脚本を持って、ロバート・チャートフとアーウィン・ウィンクラーのもとに行ったところ、
「主役にスターを使うのであれば、この脚本を高い値段で買おう」と言われた。しかしスタローンは、どうしても自分で演じたいと主張、
であれば、100万ドルきっかりで作るように・・と言われた。
監督は「低予算映画の名匠」と呼ばれる、ジョン・G・アビルドセン。
彼は言う「ロッキーをボクシング映画と捉えるのは少し違っている。これは、ロッキーという青年の青春映画なのだ。」
さらにふれておきたいのが、音楽を担当したビル・コンティである。彼も、スタローンと同じイタリア系アメリカ人だ。
私は「ロッキー」が大ヒットしたファクターの重要な一つが、彼の作った音楽だと思う。
映画の前半の繊細な(例えば、スケートリンクのシーンで流れている曲)それでいて、ロッキーのテーマを静かになぞるかのような優しい曲・・。
そしてその名のごとく「ロッキーのテーマ」。しかし実は、最も激しいファイトシーンで
流れる曲は、「GOING THE DISTANCE」という曲なのである。この曲が、この映画の力強さと鳥肌が立つような緊迫感を与えているのである。
この映画は、なにか、人間の、核心の部分に響く。「オレもまだいけるんじゃないか・・。」と思わせてくれる。
かくして「ロッキー」は、1976年度、アカデミー最優秀作品賞、監督賞、編集賞に輝いたのである。
多くの人がご存知の映画であり、昨年は「ロッキー・ザ・ファイナル」も公開された・・。
アメリカを代表するボクシングの映画じゃないか。
確かにそうである。アメリカ、日本はおろか、多分世界的に広く名前をしられているヒーローだろう・・
ロッキー・バルボア・・。
しかし、私にとって、というか、多分私くらいの世代(ちなみに私は1966年生)の人々にとって、1作目の「ロッキー」は、特別な
思い入れと感動を覚えるのである。それ以降の続編とは、全く別の映画ととらえているのかも知れない。
「ロッキー」がアメリカで公開されたのは1975年、ベトナム戦争の傷跡が人々の心からさめやらぬ時期、
巷では「しらけの時代」などともよばれ、オカルト映画や、パニック映画がはやっていた・・。
「キング・コング」が何千万ドルもの制作費で鳴り物入りで全米ロードショーを始めたころだ。
そんな時、制作費たった100万ドル、出演者にスターもなし・・まったく無名の「ロッキー」という映画が、ニューヨークの数館だけで公開された・・。そこから火がついた・・!!
うわさがうわさを呼び、またたくまに全米の映画館へ広がっていった!
新聞社、雑誌などの映画評でも、「息もつかせぬ壮絶なファイト!これぞまさしく歴史に残る傑作!」
「この映画のファイトシーンは、この種のシーンの白眉として語りつがれるであろう興奮をたたきつける!!」
などの記事が(覚えている限りで上記の2つ、実際は数え切れないほどあったでしょう)。
興行収入もあっというまに「キング・コング」を追い抜いた・・。
そしてついにブロックバスター・フィルム(低予算で作られながら、莫大な興行収入をあげた映画をこう呼ぶ)の1つとなったのである。
「ロッキー」の感動の大きな要素となっているのが、主人公ロッキーを演じたシルベスター・スタローンという無名俳優の人生が、この映画「ロッキー」とオーヴァーラップすることである。
スタローンは、それまで、何本かの映画の端役をやったり、売れない映画の脚本を書いたり、生活のためにポルノ映画に出たりもしていた。ある夜、モハメッド・アリとチャック・ウェプナーのタイトルマッチをテレビで見て、「ロッキー」の脚本を書き始めたという・・。3日で書き上げたというのは伝説になっているが・・。
その脚本を持って、ロバート・チャートフとアーウィン・ウィンクラーのもとに行ったところ、
「主役にスターを使うのであれば、この脚本を高い値段で買おう」と言われた。しかしスタローンは、どうしても自分で演じたいと主張、
であれば、100万ドルきっかりで作るように・・と言われた。
監督は「低予算映画の名匠」と呼ばれる、ジョン・G・アビルドセン。
彼は言う「ロッキーをボクシング映画と捉えるのは少し違っている。これは、ロッキーという青年の青春映画なのだ。」
さらにふれておきたいのが、音楽を担当したビル・コンティである。彼も、スタローンと同じイタリア系アメリカ人だ。
私は「ロッキー」が大ヒットしたファクターの重要な一つが、彼の作った音楽だと思う。
映画の前半の繊細な(例えば、スケートリンクのシーンで流れている曲)それでいて、ロッキーのテーマを静かになぞるかのような優しい曲・・。
そしてその名のごとく「ロッキーのテーマ」。しかし実は、最も激しいファイトシーンで
流れる曲は、「GOING THE DISTANCE」という曲なのである。この曲が、この映画の力強さと鳥肌が立つような緊迫感を与えているのである。
この映画は、なにか、人間の、核心の部分に響く。「オレもまだいけるんじゃないか・・。」と思わせてくれる。
かくして「ロッキー」は、1976年度、アカデミー最優秀作品賞、監督賞、編集賞に輝いたのである。