「東京物語」
小津安二郎監督作。1953(昭和28)年の作品です。
脚本は小津と、野田高梧の共同執筆となっています。
何で突然「東京物語」なのかというと、最近友人から「小津安二郎作品集(井上和男・編集)」なるシナリオ本を借りて、読んでみたら、観たくなった、ただそれだけであります。
世界的に有名な作品なので、ご覧になった方も多いとは思いますが、ストーリー冒頭のあらすじを書きますので、読みたくない方はとばして下さい。
話の始まりは、尾道・・。
昔ながらの造りの家で、平山周吉(笠智衆)、とみ(東山千栄子)の老夫婦と、末娘で小学校の教員をしている京子(香川京子)の三人が暮らしている・・。
周吉ととみは、東京行きの準備をしている。
東京にいる息子の幸一(山村聰)や長女の志げ(杉村春子)のところを訪ねる東京行きの準備である・・。
周吉は空気枕をどこに入れたか探している・・。
隣のおかみさんが、楽しみですなぁ、と声をかけてくる・・。
で、いきなり舞台は東京の幸一の家に飛ぶんですな・・。
ホント、駅での見送りや迎えのシーンやらは一切ないんで、シナリオで読んでも、映画で見ても、不思議な感じがしましたね。
思うには、昭和28年頃は、まだ“駅”での撮影が何らかの理由で出来なかったのかな・・とも見てとれます。
見終わると気付くのですが、ストーリー中に実は一つも「列車の窓ごしの見送り」
が出てこないんですな。(周吉ととみが東京から尾道へ帰る時、志げが見送ったのは「待合室」でした)・・。
当時の映画撮影の苦労が、画面のそこここに垣間見れます・・。
看板を効果的に使ったり、工場の煙突を写して工業都市のイメージを彷彿とさせたり・・etc・・。
周吉ととみの東京滞在は、日常それぞれの仕事に家事に追われる息子夫婦や娘夫婦には手に余るものとなってしまいます・・。
そこで白羽の矢が立てられたのが、戦死した次男、昌二の嫁である紀子(原節子)であります!
紀子は勤め先の上司に翌日の休暇を許可され、周吉ととみを東京めぐりに連れてゆきます・・。
いやぁ、原節子さん、私にとっては、「麦秋」以来です・・!
威風堂々といった感じさえいたしますな・・。
笠智衆と原節子が「麦秋」と同じ“周吉”と“紀子”という役名(名字は違いますが)で出演しており、実質上この二人が「主役」的なところを演じています。
物語は淡々と進み、東京から尾道へ二人が帰ってから、山場はありますが、
それも大げさに描かれることはなく、淡々と終わります・・。
この映画が「エンターテインメント」性に富んでいるかと聞かれれば、答えは“否”でしょう。
難しい理屈はよく解りませんが、当時、商業映画として集客力のあった娯楽映画は他に沢山あったでしょうし、そういう映画を否定する理由などありません。むしろ私は娯楽作品こそ映画の王道だとさえ思います。
ただ、日本の映画が全部商業作品でなくても、オレ一人くらいこういう映画撮ったっていいじゃないか・・・というようなアウトローな感覚が、小津さんの中にはあったような気がいたしますな・・。憶測に過ぎませんが・・。
そういう「アウトロー感覚」が無くなると、まずいぞ、と・・。
あと、現代でこそ、核家族化などの問題を扱った本や映画、TVドラマなどは沢山見受けられますが、
この頃にこういう家族をテーマにしたものは無かったんでしょうね・・。
そういう面でエポック・メイキングな作品となったんだと思います。
出演者として特筆すべきは、長女で美容院をやっている“志げ”を演じた杉村春子さん、あたりまえながら凄いですね・・。
東京に出てきた両親を、嫌っているわけではないんだけれど、つい角が立つような言動をしてしまうという・・。気の強い役。
微妙な役所をキレ味良く演じておられました。
あと、私がこの映画を見て、ファンになっちゃったんですが、末っ子の京子を演じた香川京子さん!ラスト近くで、原節子演じる紀子に、“幸一兄さんや志げ姉さんは家族としての情が無い”と嘆くシーンは、初々しくてとても可愛らしかったです(^^♪。
それにしても笠智衆さん・・この頃に70才のこの老け役で、「男はつらいよ」の御前様の頃と見た目がほとんど変わりないというのがすごいっす・・・。
小津安二郎監督作。1953(昭和28)年の作品です。
脚本は小津と、野田高梧の共同執筆となっています。
何で突然「東京物語」なのかというと、最近友人から「小津安二郎作品集(井上和男・編集)」なるシナリオ本を借りて、読んでみたら、観たくなった、ただそれだけであります。
世界的に有名な作品なので、ご覧になった方も多いとは思いますが、ストーリー冒頭のあらすじを書きますので、読みたくない方はとばして下さい。
話の始まりは、尾道・・。
昔ながらの造りの家で、平山周吉(笠智衆)、とみ(東山千栄子)の老夫婦と、末娘で小学校の教員をしている京子(香川京子)の三人が暮らしている・・。
周吉ととみは、東京行きの準備をしている。
東京にいる息子の幸一(山村聰)や長女の志げ(杉村春子)のところを訪ねる東京行きの準備である・・。
周吉は空気枕をどこに入れたか探している・・。
隣のおかみさんが、楽しみですなぁ、と声をかけてくる・・。
で、いきなり舞台は東京の幸一の家に飛ぶんですな・・。
ホント、駅での見送りや迎えのシーンやらは一切ないんで、シナリオで読んでも、映画で見ても、不思議な感じがしましたね。
思うには、昭和28年頃は、まだ“駅”での撮影が何らかの理由で出来なかったのかな・・とも見てとれます。
見終わると気付くのですが、ストーリー中に実は一つも「列車の窓ごしの見送り」
が出てこないんですな。(周吉ととみが東京から尾道へ帰る時、志げが見送ったのは「待合室」でした)・・。
当時の映画撮影の苦労が、画面のそこここに垣間見れます・・。
看板を効果的に使ったり、工場の煙突を写して工業都市のイメージを彷彿とさせたり・・etc・・。
周吉ととみの東京滞在は、日常それぞれの仕事に家事に追われる息子夫婦や娘夫婦には手に余るものとなってしまいます・・。
そこで白羽の矢が立てられたのが、戦死した次男、昌二の嫁である紀子(原節子)であります!
紀子は勤め先の上司に翌日の休暇を許可され、周吉ととみを東京めぐりに連れてゆきます・・。
いやぁ、原節子さん、私にとっては、「麦秋」以来です・・!
威風堂々といった感じさえいたしますな・・。
笠智衆と原節子が「麦秋」と同じ“周吉”と“紀子”という役名(名字は違いますが)で出演しており、実質上この二人が「主役」的なところを演じています。
物語は淡々と進み、東京から尾道へ二人が帰ってから、山場はありますが、
それも大げさに描かれることはなく、淡々と終わります・・。
この映画が「エンターテインメント」性に富んでいるかと聞かれれば、答えは“否”でしょう。
難しい理屈はよく解りませんが、当時、商業映画として集客力のあった娯楽映画は他に沢山あったでしょうし、そういう映画を否定する理由などありません。むしろ私は娯楽作品こそ映画の王道だとさえ思います。
ただ、日本の映画が全部商業作品でなくても、オレ一人くらいこういう映画撮ったっていいじゃないか・・・というようなアウトローな感覚が、小津さんの中にはあったような気がいたしますな・・。憶測に過ぎませんが・・。
そういう「アウトロー感覚」が無くなると、まずいぞ、と・・。
あと、現代でこそ、核家族化などの問題を扱った本や映画、TVドラマなどは沢山見受けられますが、
この頃にこういう家族をテーマにしたものは無かったんでしょうね・・。
そういう面でエポック・メイキングな作品となったんだと思います。
出演者として特筆すべきは、長女で美容院をやっている“志げ”を演じた杉村春子さん、あたりまえながら凄いですね・・。
東京に出てきた両親を、嫌っているわけではないんだけれど、つい角が立つような言動をしてしまうという・・。気の強い役。
微妙な役所をキレ味良く演じておられました。
あと、私がこの映画を見て、ファンになっちゃったんですが、末っ子の京子を演じた香川京子さん!ラスト近くで、原節子演じる紀子に、“幸一兄さんや志げ姉さんは家族としての情が無い”と嘆くシーンは、初々しくてとても可愛らしかったです(^^♪。
それにしても笠智衆さん・・この頃に70才のこの老け役で、「男はつらいよ」の御前様の頃と見た目がほとんど変わりないというのがすごいっす・・・。