1995年1月17日午前5時46分
あの瞬間から15年を迎えます
気象庁は当日 「平成7年兵庫県南部地震」と名付けた と発表
昨日は 「神戸新聞の7日間」 と云うドラマも
テレビで放映されていました
後藤の手元にある その日の新聞です


何が起きたか分からず ただ怖くて 空が真っ暗で 長田区の火事の
黒いススが 垂水区で舞っていた事・・・
当時勤めていた会社の社員が 大阪の方から出勤していたので
もう少し早く家を出ていたら 倒壊した高速道路の
上にいたかも と恐怖で語っていた事・・・・
会社は全壊で 無残な姿でした
でも 翌日からは 落ち込んでいても仕方ないので
みんなで 助け合って 再建へと・・・
後藤の所は そんなでもなかったので
食べ物もなく働いてる人たちの お弁当を作って
ひたすら 運びました
15年たった今 長田区も 鉄人28号が 見守ってくれています
傷跡は いえることはなくても
助けあって 前を向いて生きる事の大切さを
改めて 感じずにはいられません
沢山の ボランティアの方々に 今改めて感謝致します
そして 6434人の 犠牲者の方々のご冥福をお祈りいたします
私たちは 決して 命を粗末には 致しません
←不動産のことはこちら
←掃除のことはこちら
あの瞬間から15年を迎えます
気象庁は当日 「平成7年兵庫県南部地震」と名付けた と発表
昨日は 「神戸新聞の7日間」 と云うドラマも
テレビで放映されていました
後藤の手元にある その日の新聞です



何が起きたか分からず ただ怖くて 空が真っ暗で 長田区の火事の
黒いススが 垂水区で舞っていた事・・・
当時勤めていた会社の社員が 大阪の方から出勤していたので
もう少し早く家を出ていたら 倒壊した高速道路の
上にいたかも と恐怖で語っていた事・・・・
会社は全壊で 無残な姿でした
でも 翌日からは 落ち込んでいても仕方ないので
みんなで 助け合って 再建へと・・・
後藤の所は そんなでもなかったので
食べ物もなく働いてる人たちの お弁当を作って
ひたすら 運びました
15年たった今 長田区も 鉄人28号が 見守ってくれています
傷跡は いえることはなくても
助けあって 前を向いて生きる事の大切さを
改めて 感じずにはいられません
沢山の ボランティアの方々に 今改めて感謝致します
そして 6434人の 犠牲者の方々のご冥福をお祈りいたします
私たちは 決して 命を粗末には 致しません

