~~★≪大原美術館のモネの睡蓮・親友虎次郎がモネから直に買い付けた≫★~~
~~★≪今日の一首≫★~~
~~★【美しき池の 水面に漂ひぬ
光誘ふモネの睡蓮】★つわぶき~
~~★≪倉敷美観地区にある大原美術館 すぐ前の倉敷川は柳がそよぎ
白鳥のつがいが 悠々と水面に身を委ねていた 静かな街だった
もう一度 旅の機会に恵まれたい・・
~~★≪大原美術館の成り立ち ・・孫三郎と児島虎次郎の縁・・≫
大原孫三郎は屈指の地主・倉敷紡績を立ち上げた実業家・孝四郎が父・・
~~≪★若き孫三郎は 東京専門学校(現在の早稲田大学)に学ぶも 遊興に身を投じ
倉敷に連れ戻されて 自らの行いを悔い改め 父・孝四郎のあとを継ぎ
実業の 更なる発展に尽くす・・
~~★≪岡山孤児院の支援をはじめ「広く社会に意義あることを」と 利益を還元をと
社会事業に貢献をし 名を馳せた実業家と成る・・
~~★≪友人の 児島虎次郎は東京美術学校西洋画科へ・・大原奨学会から支援を得る
孫三郎は、虎次郎の誠実な人柄が気に入り 奨学生、画家とパトロンという
間柄を越え 生涯の親友として 共に歩む・・
虎次郎は、優秀にて二度の飛び級により わずか二年で
美術学校を卒業 更に研究科(現在の大学院)に学ぶ・・
~~★≪美術展出品の《なさけの庭》が一等賞 宮内省買い上げの 快挙を果すと
孫三郎は虎次郎に ヨーロッパへの留学を勧め パリへ渡る
良き師に恵まれた虎次郎は 首席で卒業。帰国・・
風土や画材の違いに悩みながらも ベルギーでの学びを
活かし 景観などをモチーフに 数々の優れた作品を描く・・
~~★≪虎次郎は 美術作品の収集活動を 孫三郎に願い出る・・虎次郎は
「個人としての願いではなく「日本の芸術界のため」との思いを持つ・・
孫三郎にも「広く社会に意義あることを」と 西洋の美術作品を
収集し公開する 日本の社会に意味を持つことなのか、慎重に
見極めた・・ 初めの進許しを 得た虎次郎は すでに巨匠と
認められていたモネ、マティスらを訪ね モネからは《睡蓮》を
マティスからは《マティス嬢の肖像》を購入・・
~~★≪20点あまりの作品を集め 倉敷市内の 小学校を会場に作品を公開
当日倉敷駅から会場まで 全国から観客が押し寄せ長蛇の列が途絶えなかった
この様子を見た孫三郎は 作品収集の意義を確信し 今度は作品収集のために、
虎次郎を三度目のヨーロッパへ旅立たせ その際に収集されたのが
エル・グレコ《受胎告知》ゴーギャン《かぐわしき大地》
セガンティーニ《アルプスの真昼》などの作品・・
~~★≪ 残念なことに虎次郎は、47歳で早世 その死を悼んだ孫三郎は 虎次郎の
収集した作品と 虎次郎が画家として描いた作品を 公開するために
美術館建設を決意・・
~~★≪ 日本全体が不況にあえぎ 自身が社長を務める倉敷紡績の経営も順調でなかった中で
1930(昭和5)年に大原美術館は開館 それは、虎次郎との友情を
記念するものであり 「広く社会に意義あること」
「今を生きる人々にとって意義あること」を 確信した日・・と!