★・好評のうちに、「花子とアンは」9/27に完結した・・
~~★彡・【穏やかに
始らむとす 一日の
スタートなりき 朝ドラの時間】~
~~時代背景を味わいながら「花子とアン」をほぼ毎日、楽しんだ・・
・関東大震災の「(母の12歳) 様子は折に触れ
良く聴かされ、その悲惨さと恐怖は、身に染みて
いたが映像でさらによく分かった。
~~戦後間もない世相も、小学生の記憶なのに、なぜか懐かしい
気持ちで見ていた・・
闇市も、特攻隊のことも、兵隊さんの帰還も、その頃毎日
ラジオからは、舞鶴港の引き揚げ者の名が流れていた・・
子供ながらも、激動のなかの大人の大変さと
頑張りが伝わって来るのだった・・
★・s20年代はこうもり傘(洋傘)は無かった・・
★・番傘・・
~~番傘は、素材の竹と和紙に(アブラ・塗布)で出来た、がっしりとした
丈夫な作りで、子供用もあり重たかった・・
行商のオジサンは岐阜からで、間隔は半年ぐらいだったたと思う・・
番傘を大風呂敷に包み、背中に背負ったオジサンが訪れると
お隣さんもその声で 寄ってきて一緒に選んだりした
物売りというより、親しい親戚の来訪のように
母は 和やかに応対していた。
★それは越中富山の「置き薬」も同様で、番茶など振る舞う
間柄にあり、交換の訪れるを楽しみにしていた風潮がある
昭和は、そんな時代だった・・。~
★・下駄・・ 鼻緒のすげ替え・・ 台が差ほど磨り減っていない時
鼻緒を新品にしてもらう、手際良くすげ替える間ジーと
見てた、その記憶は鮮明・・。~
小学4年生頃まで、履物は下駄だった記憶・・が
桐の下駄は、カルカッタ・・
「塗り」の家族全員の下駄が並ぶと、正月近しとなる・・
父が健在の頃の懐かしい記憶・・。~
~~新しい連続テレビ小説「マッサン」の初回視聴率も、
「花子とアン」の初回視聴率同様の好調なスタートという
朝の15分間、穏やかな一日の始まりを
ドラマで、寛ぐ・・この幸せに感謝。
よろしかったらクリックして下さいませ.
♪ランキングに参加していま
す