★・山代温泉旅行記・続き・・~山中温泉ゆげ街道の巻・・~
★・芭蕉の館・・
~・『奥の細道』の途上、山中温泉に立ち寄り8泊も逗留した、お気に入りの地・・
【“山中や菊は手折らぬ湯の匂い”】と 句を詠んだ「松尾芭蕉」
~・芭蕉の館は、芭蕉が山中温泉を訪れ逗留した泉屋に隣接していた「扇屋」の別荘。
~平成16年に再整備したもの。 明治38年の建築で、広い庭園や庭園を望む
~雁行型の濡れ縁など、和風情緒豊かな憩いの空間が親しまれている・・。
~芭蕉ゆかりの品や、400余年の歴史を有する伝統工芸「山中漆器」の
~秀品の数々が展示・・。~
~明治期の、旅館を改修した建物は、土蔵造りの白壁と鉄扉が特徴。
~館内には広間や、茶室があり、芭蕉に関する資料の他、
~山中漆器の名品の展示があり趣深い・・。~
★・芭蕉と山中温泉の関わりを紹介する資料館・・
~・元禄2年(1689年)陰暦3月27日、俳聖「松尾芭蕉は」弟子の「曾良」を伴い、
~江戸から奥の細道の旅に出て奥州を巡り、山中温泉に陰暦7月27日着。
~新暦では9月10日にあたる・・。^
~ 山中温泉12家の1つであった「泉屋」で、10日程の逗留をし数々の名句を残す。
★・江戸深川から、行動を共にした「曾良」が体調を崩し、ひと足先に旅立つ旨を
~・芭蕉に申し出る。4ヵ月にわたる二人旅は、ここ山中温泉で終わった。
~別れに際し二人は、それぞれの思いを句に託した。
【ゆきゆきてたふれ伏すとも萩の原 ・曾良】
【今日よりや書き付け消さん笠の露 ・芭蕉】
★・ 芭蕉が逗留した泉屋に隣接の「泉屋別荘」を改築。明治38年建築の築後100年、
~・白壁・鉄扉造り、山中温泉最古の「宿屋建築」という・・。~
~ 耐火構造によって、昭和6年の大火にも類焼をまぬがれて、100年を経ても
~耀きを失わない、日本建築の粋を集めた、立派なお座敷・・
~芭蕉・桃妖(泉屋の若主人)の資料展示室。
芭蕉の句;【やまなかや菊は手折らじゆのにほひ】の真筆の掛軸、
芭蕉像、扁額‥等展示・・。^
★・芭蕉と曾良・・ 《別れの場面・UP》
~・苦楽を共にした二羽の鳥が、今日から一羽一羽になって、雲間に迷うようだ。
~ すげ笠に書いた「同行二人」の文字を、落ちる涙で消すことにしよう
~芭蕉の寂しい心が、伝わるシーン・・。~
★・森光子一座 記念館 ・・
~・森光子は約40年前、山中温泉をテレビドラマ「時間ですよ」などの撮影で訪問。
~民謡「山中節」を好んだことで、地元商工会と交流を深め、
~2012年5月、「芸の遺産を管理」をと商工会に要望を依頼していた・・。
~・女優の故 森光子さんの記念館、 芸能生活での衣装などをはじめ、
~ 文化勲章や国民栄誉賞の貴重な品々も展示・・森光子の「念願成就」となった・・。^。
~・ 森光子は「山中座名誉座長」でもあり、山中温泉とも縁が深い・・。
★・時間の都合で、拝観ならず・・
★・森光子記念館・・
★・愛の鐘山中温泉ゆげ街道〜幸せの鐘 ・・
~温泉の祖、長谷部神社を中心に広がるゆげ街道には、山中漆器や
~九谷焼などの ギャラリーが多く軒を連ねます。
~街道にはCafeや食事処、美味しいスィーツのお店が点在、散策を楽しむ。
~このより春、街道が従来より延伸し更に歩きたくなる街並みへと 変貌・・~
~山中温泉ゆげ街道〜幸せの鐘〜. ゆげ街道に 設置の「福を呼ぶ鐘」。
~自由に鳴らして可。・・とてもいい音が ・・
~【伝統工芸の金箔が使用】と・・
★・片岡鶴太郎・・建物は昭和6年の建築物・
~・現在は文化庁の「登録有形文化財」に指定されている。
~その建物が片岡鶴太郎さんとの出会いで、温泉と工芸の町山中に
~ふさわしい場として再生され、 館内にはこの地にふさわしく、
~山中塗りや九谷焼に描いた作品も含め、数多くの作品が展示されているという。
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