武本比登志ポルトガルスケッチ&油彩

ポルトガル在住絵描きのポルトガル淡彩スケッチ日記と油彩

1751.セトゥーバルの町角

2019-06-18 16:32:29 | ポルトガル淡彩スケッチ

2019年6月17日(月曜日)晴れ時々曇り。25℃~12℃。降水確率0%。(18日の日記とは前後)

朝晩は底冷えがするが昼間は温かく汗をかく。

泊り客は昨日より少なく、それも早朝より出発した模様。朝食サロンは昨日より少なく僕たちの他は連泊のブラジル人カップルだけ。

昨日買ったキューブ氷の溶けた水が保冷ボックスより漏れ出し、床が濡れてしまっていて、早朝より雑巾がけ。

モーテルなので部屋の前に駐車でクルマ掃除がし易く可成り綺麗に出来た。

9:30ホテルをチェックアウト。オウレンに向けて出発。

MUZの靴底が剥がれかけ、それを直すのにクルマに入れてあった瞬間接着剤を見つけたが、固まって蓋が開かず使えず、オウレンの『コンチネンテ』で靴用接着剤を買う。2,49€。

『オウレン』の城に上がり見学。修復工事が行われていた。『ポルト・デ・モス』の城もかつてはぼろぼろの廃墟で最近になってかなりの修復がされて今の姿になっている模様。オウレンの城ではいろいろと野草が咲いていた。MUZが野草の写真を撮っているとスコットランド人の観光客が「この花はスコットランドの国花だよ」などと話しかけてきた。

オウレンの城と町並をスケッチ。

城と町並が一緒になった風景を探そうと少し外れたところまで走った。古い農家の後方に城が聳えている場所を見つけてスケッチしていると、その農家から小父さんが出て来て、最初は不審に思ったのか話しかけて来て、クルマのナンバーを見たのだろう。「ポルトガルに住んでいるのか」「日本人だ」と言うと「この辺りも空き家が沢山あって、安いよ」とかと言って、最後には握手を求めてきた。その側の別のところでスケッチを始めると、カフェから小母さんが出て来て「うちの庭からならお城がもっと良く見えるよ」などと言って、庭に招き入れてくれた。

『オウレン』でもレストランが見つからず仕方なく『インターマルシェ』内のカフェテラス形式のレストランへ。ペイシェの塩焼き+サラダ+ライス=8,90€。そら豆と豚肉(エントレコスト)の煮込み+ミックスサラダ=5,90€。スープ=1,30x2=2,60€。ノンアルコールビール=1,10x2=2,20€。合計=19,60€。

『トーレス・ノーヴァス』で少しスケッチ。

ゴレガオンからシャムスカにテージョ川を渡る。

シャムスカの『ピンゴ・ドーセ/クリオ』のGSで満タン。22,27Ltx1,394=31,04€。

アルメリンの『コンチネンテ』でデスカフェイナードで休憩。0,60x2=1,20€。ついでに明朝用のバナナを買う。990gx1,05=1,04€。

帰り着いたのは夜になってからだが、未だ陽は射していた。定位置の駐車スペースには止められず、反対側の端っこに停める。

『昨夜ホテルで観た映画』は

フューリー』(Fury)2014年。アメリカの第2次世界大戦を描いた戦争ドラマ映画。監督・脚本:デヴィッド・エアー。撮影は2013年9月から11月までにイングランドで本物のティーガーI戦車を使って行われた。 1945年4月、連合国がナチス・ドイツに最後の攻勢をかけようとしていた。第2機甲師団第66機甲連隊に所属する、ドン・「ウォーダディー」・コリアー(ブラッド・ピット)が車長を務めるM4A3E8 シャーマン(使用されたのはM4A2E8)「フューリー」号には以下のクルーが乗り組んでいた。砲手のボイド・「バイブル」・スワン(シャイア・ラブーフ)、装填手のグレイディ・「クーンアス」・トラヴィス(ジェイソン・アイザックス)、操縦手のトリニ・「ゴルド」・ガルシア(マイケル・ペーニャ)。副操縦手は戦闘で死亡し、補充として新兵でタイピストを務めていたノーマン・エリソン(ローガン・ラーマン)が配属される。ノーマンは戦車の中を見たことも無く、ましてや戦闘に参加したことも無かった。デポでウォーダディーは武装SSに対して憎しみを抱いていることを顕わにする。 ノーマン以外のクルーは北アフリカ戦線からの歴戦の猛者であった。そのため、ウォーダディーとともに生き残ってきたクルーは、戦闘経験が無くドイツ兵を殺すのに怖じ気づくノーマンを過小評価する。戦車小隊が縦列で行軍中、ノーマンは木陰に敵らしき人影を見つけるが味方に警告せず、そのせいでヒトラーユーゲント(少年兵)の攻撃によって先頭を走るパーカー中尉(ゼイヴィア・サミュエル)の戦車が破壊され、乗員もろとも火だるまとなってしまう。さらに、ドイツ軍対戦車砲陣地との戦闘の際にも、ノーマンは戦うことをためらってしまう。ウォーダディーは怒り狂い、戦争の現実を「教育」するためにノーマンに捕虜のドイツ兵を射殺するよう強要する。ノーマンはこれを拒否するが、ウォーダディーは力ずくで銃を持たせ、彼に捕虜を射殺させる。 小さな町の制圧を通じて、ノーマンとウォーダディーの絆は徐々に深まってゆく。ウォーダディーとノーマンは民家に入り、ドイツ人女性のイルマ(アナマリア・マリンカ)とそのいとこ、エマ(アリシア・フォン・リットベルク)に出会う。ノーマンとエマはベッドをともにし、続いて4人で朝食を楽しもうとしたが、ほかのクルーが家に押し入り、エマの飲み物にタバコを投げ捨てたり、食事につばを吐くなど、嫌がらせを行う。初めは黙って見ていたウォーダディーだったが、クルーらが開戦当初の苦い思い出を語りだしたことでウォーダディーは激昂し、緊張を引き起こす。そこで伝令がやってきてウォーダディー達は任務に戻ろうとするが、そこにドイツ軍の砲撃が加えられる。砲撃によって砲弾がイルマの家を直撃し、エマは死亡する。後退するドイツ軍が防衛戦に参加しない市民を殺害してその遺体を見せしめにしたり、アメリカ軍に近寄った市民を射殺し、自らの町を燃やす様子を見て、ノーマンは敵兵に対する憎悪を燃やし、そして、敵を容赦なく撃つようになってゆく。 ドイツ軍は交差点を通過して攻撃してくる可能性が高いことから、ウォーダディーの率いる戦車小隊はその交差点の保持を命じられる。部隊は行軍途中、1両のティーガーIと遭遇する。戦闘の末、ティーガーIの撃破に成功するものの、その過程で4両のうち3両が撃破され、フューリーのみが残る。加えて車上無線機が破損して使えなくなり、支援を要請することも不可能となった。それでもフューリーは先に進み、田舎道の交差点に到着する。交差点を監視できる丘の上へ移動しようとするが、対戦車地雷を踏んで右の履帯が切れ、走行不能となったフューリーは交差点上で立ち往生する。ウォーダディーらは戦車を降りて修理を試みるが、前方の丘へ偵察に出たノーマンは敵の接近を察知。約300名からなる武装SS大隊は歌いながら行進し、戦意は十分であった。クルーは戦車を放棄して森へ逃げることを主張するが、ウォーダディーはこれを拒否、1人で戦おうとする。初めは気が進まなかったクルーであるが、最終的には待ち伏せ攻撃を行うことを決意する。戦車上にドイツ兵の死体を置き、さらに火を点け、フューリーが撃破された遺棄戦車であるかのように装ったウォーダディーたちは、車内で敵を待ち受ける間に、これまでの活躍を振り返り、ノーマンを一人前のクルーとして認める。 敵をギリギリまで引きつけたウォーダディーとクルーは、戦車砲とすべての小火器・手榴弾を駆使して、圧倒的な数の差にも関わらず武装SS大隊に多数の損害を与える。だが、立ち直った武装SS大隊は夜陰に乗じて激しく反撃し、フューリー側の弾薬が乏しくなる。クーンアス(ジョン・バーンサル)は砲塔を貫いたパンツァーファウスト弾頭の噴流を受け、ゴルドは車内へ取り落した作動済みの手榴弾に覆いかぶさり、バイブルは狙撃兵が放った銃弾を頭部に受けてそれぞれ戦死。ウォーダディーも狙撃兵の銃撃によって、3発の銃弾を体に受ける。車内に残されたウォーダディーとノーマンであるが、ウォーダディーはノーマンに戦車の下部脱出ハッチから逃げろと促す。車体の下に出たノーマンは、地雷の爆発によってできた地面の穴に隠れ、ウォーダディーは戦車の中に放り込まれた手榴弾の爆発によって戦死する。ノーマンは戦車の下をのぞき込んだ1人の若い武装SS兵士によって発見されるが、武装SS兵はノーマンをそのままにして先に進んでいった。 翌朝、ノーマンはフューリーの車内へ這い上がり、ウォーダディーの遺体にジャケットをかける。そこに到着したアメリカ軍部隊が車内で息を潜めていたノーマンを発見し「お前はヒーローだ」と話しかけ、彼らの奮戦によってドイツ軍の攻勢が失敗に終わったことが暗示される。唯一の生存者となったノーマンは衛生隊の移送車両によって後方に運ばれる。一昼夜が過ぎた交差点一帯には燻ぶる炎と黒煙が立ち上り、周囲には無数に横たわるドイツ兵の遺体と破壊されたフューリーが路上に佇む。 (Wikipediaより)

 

 

 

「ポルトガル淡彩スケッチ・サムネイルもくじ」1731-

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 「ポルトガル淡彩スケッチ・サムネイルもくじ」1601-1730

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1750.ポルトアレグレ

2019-06-18 15:20:59 | ポルトガル淡彩スケッチ

2019年6月16日(日曜日)晴れたり曇ったり。26℃~12℃。降水確率0%。(日記が少し前後する)

昨夜はベッドが冷たく寒くて、エアコンも22度に設定してあって変更することが出来ず、エキストラ毛布もなく、朝になってフロントで変更を頼んだ。

ゆっくりと起床。8時半から朝食。あまり上等とは言えない朝食。でもヨーグルトだけはバイオで上等。

ホテルを9:30出発。到着後、移動遊園地の空き地から城と町をスケッチ。『ポルト・デ・モス』の町なかに駐車、町中をスケッチ。『ポルト・デ・モス』のお城を見学。シニア入場料=0,79x2=1,58€。お城の置物=4,20€。絵ハガキ0,25x2=0,50€。合計=6,20€。インターマルシェのカフェでコーヒー=0,55x2、クッキー=0,20、お菓子=0,65、合計=1,95€。

ポルト・デ・モスか国道沿いのトラック食堂で昼食の予定であったがバターリャまで戻ってしまい、中心の以前には古いパン屋であったところが、新しいビルに代わり、そこが小さなレストランになっていて、流行っていたので入る。目の前に駐車。レストラン『ヴィットリア』山羊のオーブン焼き+肝のライス+ジャガイモオーブン焼き=12,00€。バカラウナタ+ミックスサラダ=9,50€。ノンアルコールビールx2=2,60€。オリーヴ漬け=0,85€。パン=0,80€。デスカフェイナードx2=1,40、合計=27,15€。チップ=2€。

一旦ホテルに戻り、休憩した後、サン・ジョルジュに行く。

サン・ジョルジョという聖人の名前の付いた町だから教会の一つもあり絵になる古い町並みがあるかも知れないと思い、行ってみた。

確かに古い教会があった。でもその隣にモダンで立派な博物館があるのに気が付いた。入場料(シニア1人5ユーロx2=10€)を払って驚いた。ヘッドフォンで各番号を押して説明を聞くのだが、何と日本語もあったのだ。画像の前で番号を押し、説明を聞く。日本語なので良く判る。4時半から映画が始まる。映画も日本語で聴くことが出来る。その時は我々の他に2人、4人だけであった。

『バターリャ』。ポルトガルの独立に関する戦、14世紀、1385年8月14日、アヴィス騎士団、アヴィス王朝の誕生に関する物語で迫力のある良く出来た映画になっていて30分程もあっただろうか?感動を覚えた。

帰りにポルト・デ・モスの『コンチネンテ』で買い物。キューブ氷x2kg=1,00€。ミニ・アーモンド・アイスクリーム43,5gx8=348g=1,79€。ブドウ(レッド・グローブ)1,102x2,29=2,51€。合計=5,30€。

昨夜よりは温かく、寝る頃にはエアコンも止めた。

『昨夜ホテルの寒い部屋で観た映画』は

ザ・サークル』(The Circle)2017年。アメリカのスリラー映画。監督:ジェームズ・ポンソルト。 メイ・ホランド(エマ・ワトソン)は友人のアニー・アラートン(カレン・ギラン)の仲介でIT企業、ザ・サークルに就職した。ザ・サークルはSeeChangeというシステムを開発したことで世の注目を集めていた。それはあらゆる場所に設置された小型監視カメラを使って、人々の私生活を生中継するというものであった。シー・チェンジを介して私生活を公開することで、アカウンタビリティーが向上するというのがザ・サークル側の主張であった。 そんなある日、メイはタイ・ラフィート(ジョン・ボイエガ)に連れられてカメラが設置されていない地下階層にやって来た。タイはザ・サークルの人気サービスの一つであるTrue Youを開発した人間だった。タイは「True Youは私が意図しなかったものに変わってしまった。SeeChangeは危険だ。」とメイに警告したが、メイにはその言葉の意味がよく分からなかった。 メイは友人のマーサー(エラー・コルトレーン)から鹿の角で作ったシャンデリアの写真を見せられた。そのデザインに感動したメイは、写真をSNS上に投稿した。その画像を見たメイのフォロワーは「マーサーなる男が可愛い鹿を殺した」と大騒ぎした。マーサーはメイの弁解も聞かずに、彼女を怒鳴り倒した。 私生活を全世界に公開したメイは一躍時の人となり、ザ・サークルの経営理念に心酔していった。しかし、それが原因で友人や家族との関係が悪化し始めた。ついに自分の私生活を24時間全て公開するに至ったメイだったが、透明性への異常なまでの情熱は友人を殺し、会社の重役たちをも追い詰めることになった。 イーモン・ベイリー(トム・ハンクス)。(Wikipediaより)

 

 

 

 

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1749.ルドンドの町角

2019-06-18 09:59:55 | ポルトガル淡彩スケッチ

2019年6月18日(火曜日)曇り一時雨。25℃~12℃。降水確率98%。湿度78%(9:48)。紫外線量9。南の微風時折強風。

昨夜中から明け方にかけて暴風雨。寝室のドアがガタガタ音を立てて目が覚める。

昨日は夜に旅から帰って、風呂に入り、インスタントラーメンを半分ずつ、野菜たっぷりで食べ夕食。ぐっすりと眠る。

帰って来た時には一番遠いところにしか駐車スペースがなく、今朝になってから定位置に移動して駐車。

昨夜、帰って来た時に一部の荷物を保冷ボックスからエコバッグなどに入れ替え作業をして、部屋に運んだのだが、クルマのトランクのパラソルの下あたりに未開封板チョコレート1枚があるのを発見。長い間知らないで放置されていて、虫食い状態になっていて、捨てなければならなかった。買い物をした時にエコバッグからこぼれたものだろう。

セトゥーバルでこの時期に雨はびっくり。異常気象。群馬のGKZさんからのメールによると、関東では梅雨入りはしているのに、『長崎は今日も雨だった』の長崎では未だ梅雨入りには至っていないそうで、これも異常。

明日も雨の予報。でも良い時に旅に出たものだ。旅の3日間は良い天気であった。そして中味の濃い、多くのスケッチをものにし、充実した旅であった。

旅の目的は『ポルト・デ・モス』のスケッチであった。今までも数度訪れてスケッチをしているが、久しぶりにポルト・デ・モスを描きたくなったのだ。

ネットではポルト・デ・モスには手ごろなホテルが見つからず、15キロほど離れたバターリャ近郊、サン・ジョルジュという町、国道1号線、IP2沿いにアメリカ式のモーテルが見つかり、そこに予約を入れた。ポルトガルでは珍しい。

ポルト・デ・モスでスケッチも充分でき、時間が少し余ったので、サン・ジョルジョという聖人の名前の付いた町だから教会の一つもあり絵になる古い町並みがあるかも知れないと思い、行ってみた。

確かに古い教会があった。でもその隣にモダンで立派な博物館があるのに気が付いた。入場料(シニア1人5ユーロx2=10€)を払って驚いた。ヘッドフォンで各番号を押して説明を聞くのだが、何と日本語もあったのだ。画像の前で番号を押し、説明を聞く。日本語なので良く判る。4時半から映画が始まる。映画も日本語で聴くことが出来る。その時は我々の他に2人、4人だけであった。

『バターリャ』。ポルトガルの独立に関する戦、14世紀、1385年8月14日、アヴィス騎士団、アヴィス王朝の誕生に関する物語で迫力のある良く出来た映画になっていて30分程もあっただろうか?感動を覚えた。

きょうはゆっくり休養日。

 

 

 

 

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