2019年10月11日(金曜日)曇りのち快晴。29℃~14℃。降水確率0%。湿度85%(8:00)47%(14:32)。紫外線量5。北西のち南の微風。早朝には薄雲が広がり暗かったが、雲はすぐに消え快晴そしてまた雲が上空を覆う。午後からは予報通り快晴。陽射しは強い。夕方からは再び曇り。
『きょうのニュース』国際肥満の日。ポルトガルでは28,7%が肥満、6~8歳の子供の12%が肥満。マルセロ・デ・ソウザ大統領は救急病院の法整備を提案。政党助成金はPSに22,432、PSDに17,251、BEに5,856、CDUに3,910、など合わせて64ミリオンユーロ。昨年のハリケーン・レスリーで被害を受けた農業ハウスなど未だ再建できていない。ミランデーラのトゥア川が水不足、酸欠で川魚の大量死。ノーベル平和賞にエチオピアのアビ・アハメド首相。アテネで13か国の首脳が出席しアライオロス(主要小国?)会議、マルセロ・デ・ソウザ大統領も出席。ポルトでフランス、スペイン、ドイツ、ベルギー、カナダなども参加してマリオネット祭り。
『昨夜の映画』は
『グラディエーター』(Gladiator)2000年。アメリカ製作の歴史映画。 172分。監督:リドリー・スコット。時代はネルウァ=アントニヌス朝のローマ帝国。平民出身の将軍マキシマス・デシマス・メリディアス(Maximus Decimus Meridius)(ラッセル・クロウ)は、ゲルマニア遠征で、蛮族との決戦を迎えていた。降服を説得するためローマ軍から遣わされた使者が斬首され、その首が晒されたのを皮切りに両軍の戦闘が始まる。ローマ帝国軍は東方属州からの弓兵隊や工兵隊のカタパルトを駆使して森林地帯に潜むゲルマニア軍に砲撃を与えた後、軍団兵を前進させる。高地に陣取る蛮族の軍勢に軍団兵は苦戦を強いられるものの、マキシマスは自ら騎兵部隊を率いて蛮族を背後から強襲して敵将を討ち取り、結果として勝利を得る。傷付き倒れる兵士達を目に、老境を迎えつつあった皇帝アウレリウス(リチャード・ハリス)は膨張し続ける帝国の崩壊が近付いている事を悟るのだった。 老いた皇帝を悩ませるもう一つの問題が、帝位継承についてだった。賢帝と名高いアウレリウスは、皇子コモドゥス(ホアキン・フェニックス)が勇気や正義感など持たず、貴族との政治や策謀に没頭するさまを疎み、その一方でマキシマスの勇敢かつ無欲な部分を気に入っていた。アウレリウスは、問題を抱えるローマを根本的に立て直すには、民衆が貴族と同等に政治を行っていた共和政へ戻す必要があると考え、その遺志の実現にはマキシマスに帝位を譲ることが最良だと考える。一方、皇帝の実子であるコモドゥスは、父の愛情が自身に向けられていない事を不安に感じ、旧友でもあるマキシマスに、側近として自分の治世を助けてくれるように頼む。 アウレリウスはマキシマスを自らの天幕に呼び寄せ、戦いの愚かさについて説く。マキシマスはローマを光に例え、皇帝に反論して遠征の意義を説くが、アウレリウスは「退廃してしまった近年のローマを知らない」とマキシマスを諭す。そして共和政へ戻す構想を伝え、その実行者としてマキシマスを指名する。マキシマスは「帝位を継ぐ気でいるコモドゥスはどうなるのか」と尋ねるが、アウレリウスは「君主の器ではない」と一蹴する。アウレリウスは自分が必ず説得すると約束し、マキシマスは考える時間が欲しいと述べて天幕を離れる。 遅れて天幕に呼ばれたコモドゥスは、その場に安置されていた父の胸像の前で待っていた。やがて皇帝本人が後ろから現れる。アウレリウスはあえてコモドゥスに帝位を継ぐ覚悟を尋ね、コモドゥスは喜んで大任を引き受けると応えるが、告げられたのは帝位をマキシマスに譲るという内容であった。 自身にその理由や共和政移行の大義を説く父に対し、コモドゥスは以前にアウレリウスから送られた手紙について話し始める。手紙には皇帝に必要な「徳」(正義・知恵・不屈・自制)が書かれていたが、コモドゥスに備わる徳(野心・策謀・勇気・献身)は何処にも書かれていなかった。それはまるで自分を息子と認めたくないかのようだったとのコモドゥスの言葉に、アウレリウスは穿った考えだと否定する。しかしコモドゥスは自分は父親が誇りに思える息子になりたかったと告げ、なぜ自分を憎むのかと涙を流す。 息子と対話するアウレリウスは、父親として息子に接するのを怠った事が、結果として息子を歪ませてしまったと悟る。息子の前に跪いたアウレリウスは「息子が至らぬのは、至らぬ父を持った為だ」と子を庇う言葉を述べ、自らも涙して和解の抱擁を求める。コモドゥスはアウレリウスを抱きとめるが、そのまま泣きながら父親を殺してしまう。愛情よりも畏怖が勝っていた父親が、不出来な自分に許しを乞うた姿を認められなかったのである。 翌朝、腹心の将軍クィントゥス(トーマス・アラナ)から皇帝の死を知らされたマキシマスは天幕に向かう。コモドゥスからは皇帝が「病死」したと告げられるが、アウレリウスから廃嫡の意思を伝え聞いていたマキシマスは事実に気づき、忠誠を求めるコモドゥスを拒絶して事実を明らかにしようとする。しかし大方の者たちは事実を知った上でコモドゥスに従っており、クィントゥスもマキシマスを裏切って彼を捕らえ、従わなければマキシマスとその家族を処刑せよとの皇帝の命を実行する。 マキシマスは家族を守る為に近衛兵達と一戦を交えて脱出、不休で馬を乗り換えながらスペインの故郷へ急ぐ。しかし辿り着いた家は焼き払われ、息子は兵の馬蹄に蹴散らされ、妻は絞首刑に処せられていた。絶望から泣き崩れるマキシマスはその場に倒れこみ、やがて疲労から意識を失ってしまう。 目が覚めた時、マキシマスは商人の一団に捕らえられ、属州アフリカのモーリタニア・カエサリエンシス(英語版)にあったズッカバル(英語版)という名の町へ連れて行かれ、奴隷市場で売られていた。生きる意義を失ったマキシマスは脱出する訳でもなく、無気力にされるがままに過ごしていた。そこへ小さな剣闘士団を運営するプロキシモ(オリヴァー・リード)という男が現れる。マキシマスは剣闘士として使えそうな奴隷を探し回っていたプロキシモに「スパニャード」(スペイン人)として売り飛ばされる。 剣闘士団では先輩の剣闘士ハーゲン(ラルフ・メラー)が奴隷達の審査を行い、勇敢なものは赤、臆病者は黄色と絵具で印が付けられていく。自分の番が回ってきた時、マキシマスは武器を取ることすらせず殴られるままになり、プロキシモから興味を持たれつつも黄色を塗られる。新入りたちは最初の儀礼として闘技場の標的として送り込まれる。多くの奴隷が惨殺される中、マキシマスは剣闘士達を相手に見事な戦い振りで応戦し、同じく奮戦していたヌミディア人奴隷のジュバ(ジャイモン・フンスー)と二人で試練を乗り越え、図らずも剣闘士への第一歩を踏み出してしまう。 マキシマスが新しい宿命を得た時、折りしも遠く離れた帝都ローマではコモドゥスが壮麗な凱旋式を執り行っていた。元老院の貴族達は経験の無い若い皇帝を侮るが、コモドゥスは元々は共和政であるローマでは貴族より民衆に力がある事を見抜いていた。娯楽や食料を惜しみなく分け与えて民衆を喜ばせ、また自らも民を愛する皇帝として振舞う事でコモドゥスは民の心を掴み、元老院を無視した専制的な統治を進めていく。 娯楽の中で特に人気を博したのが剣闘技大会であった。それまでコロッセウム(大闘技場)での剣闘は禁じられていたが、コモドゥスの計らいで大会が再開された。地方都市に散らばっていた剣闘士団が挙って帝都ローマに集う中、プロキシモは次第に成長するマキシマスを引提げて自らもローマの大会に参加しようとする。マキシマスは興味が無いと答えるが、剣闘士が自由を与えられる際、皇帝と謁見できると聞いて失っていた復讐心を取り戻す。マキシマスは真意を隠した上で自分も自由を得たいと告げ、プロキシモは「ならば民衆を味方につけろ」と助言する。プロキシモもかつては名うての剣闘士であり、他でもないアウレリウス帝によってルビアス(木剣)を賜り、自由の身を得たのだった。 ローマに宿営地を構えたプロキシモの剣闘士団だったが、不利な契約を取り付けられ、ポエニ戦争ザマの戦いを模した闘技での「カルタゴ軍」役に駆り出されてしまう。興行師達の賭けでは十中八九が負け試合であったが、鼻当て付きの兜を被ったマキシマスは将軍時代の経験を生かして剣闘士団を指揮し、「ローマ軍」役の戦車騎馬隊を壊滅に追い込む。本来はローマが勝利するはずの筋書きが変わってしまったが、民衆は怒るどこか、圧倒的に不利な状態で打ち勝った剣闘士団を讃え、歓声を上げる。貴賓席でその様子を見ていたコモドゥスは「スパニャード」という剣闘士に興味を持ち、会見すると告げる。 近衛兵とクィントゥスを連れて闘技場に入ったコモドゥス。マキシマスは落ちていた弓矢の鏃を手の中に隠して暗殺しようとするが、皇帝の甥ルキウス(スペンサー・トリート・クラーク)がコモドゥスの傍らに居た事から躊躇ってしまう。時機を逸している内にコモドゥスはマキシマスを「ヘラクレスの化身」と賞賛して、兜を外して本当の名を名乗る様に促す。背を向けて立ち去ろうとするマキシマスにコモドゥスは皇帝の命に背くなと告げ、再度兜を外す様に促す。覚悟を決めたマキシマスは素顔を晒して向きかえり、「真の皇帝マルクス・アウレリウスの臣下、マキシマス・デシマス・メレディウス」と名乗る。 死んだはずのマキシマスの姿に動揺したコモドゥスは、衆人環視のなかでクィントゥスに処刑を命じる。しかし闘技場の英雄を殺そうとする皇帝を見た民衆は「殺すな」と連呼し、やむなくコモドゥスはマキシマスを助命する。皇帝ですら、ローマの民衆の声に逆らう事はできないことは同じであった。コモドゥスは闘技場でマキシマスを殺すべく「ガリアの虎戦士」と謡われた剣闘士ティグリスとの試合を用意、加えて闘技場に虎使いを控えさせ、ティグリスに有利となるように仕向けておく。しかしマキシマスはティグリス(スヴェン=オーレ・トールセン)を破り、更に民衆の「殺せ」との叫びを受けてコモドゥスが処刑を命じると、わざとこれに反抗してティグリスを助けてしまう。民衆はマキシマスを慈悲深いと賞賛し、ますますコモドゥスの立場を危うくする。 名誉を度々傷つけられたことでコモドゥスの人気は下降し始め、元老院内のグラックス議員(デレク・ジャコビ)ら反対派の政治家達も反乱の謀議を進め始める。コモドゥスの冷酷さを知った姉のルシッラ(コニー・ニールセン)の手引きで、グラックスとマキシマスは引き合わされ、マキシマスは元老院の手引きで、かつて指揮した軍団の元へ脱出する計画を告げる。グラックスはマキシマスが独裁を行わないという保証はないと反対するが、マキシマスは亡き皇帝の意思に沿うだけだと語り、自分はコモドゥスと刺し違えればそれでいいと説得する。 グラックスはマキシマスを信じてプロキシモから身柄を買い上げようとするが、皇帝から怒りを買う事を嫌うプロキシモは拒絶する。プロキシモはコモドゥスに恨みがあるわけでもなく、むしろ自分を金持ちにしてくれたと笑う。窮したマキシマスは暫く考えた後、「先帝を殺した男だ」と告げる。 一方、宮殿ではコモドゥスがマキシマスの存在を恐れるようになっていた。皇帝の側近であるファルコ議員はマキシマスが手に負えなくなる前に殺すべきだと助言するが、コモドゥスは「民に憎まれたくない」と拒絶する。そこでファルコとコモドゥスは一計を案じてわざとマキシマスや反対派を泳がせ、反乱を起こした直後に捕らえる計画を立てる。計画は見事に成功してグラックスとルッシラがまず捕らえられ、更にプロキシモが殺され、最後にはマキシマスも捕らえられた。 コモドゥスは民衆が納得する方法でマキシマスを処刑するため、闘技場での一騎討ちを望む。自分自身で戦うのかと尋ねるマキシマスに、コモドゥスは自分が恐れるとでもと返すが、マキシマスはこれまでずっと恐れ続けた人生だったろうと笑う。「英雄」とは違って人間なら誰でも恐怖を感じるとコモドゥスは反論するが、マキシマスはかつて偉人が残した「死を避けられないなら、笑って受け入れるのみ」との言葉を教える。コモドゥスが「その言葉の主は自分が死ぬ時も笑えたか」と尋ねると、マキシマスは「思い出せ」と返す。言葉の主はコモドゥスが自ら殺めたアウレリウスだったのである。 コモドゥスはマキシマスの腰にナイフを突き立てて傷を与え、クィントゥスに命じて甲冑で傷を隠させて出場させる。民衆の歓声の中で両者の試合が始まり、傷の苦しみから思うように戦えないマキシマスは苦戦を強いられる。それでも気力を振り絞ってコモドゥスの剣を弾き飛ばすが、やがて意識が遠のき始めてしまう。コモドゥスはクィントゥスに新しい剣を寄越せと叫ぶが、クィントゥスは兵士達に決して手出しをするなと命じる。 追い詰められたコモドゥスは先のナイフを取り出して止めを差そうとするが、朦朧としながらも戦おうとするマキシマスと素手での激しい撲り合いとなる。乱戦の末、マキシマスがコモドゥスの首下にナイフを持った手を押し向けていき、抵抗するコモドゥスの力を押さえ込んで喉にナイフを突き刺す。次第に崩れ落ち、力無く倒れこんでコモドゥスは絶命する。そしてクィントゥスらに、グラックスの解放と、正しい形にローマを戻すように言い残してマキシマスもまた倒れる。 闘技場の砂に倒れた両者の遺体。民衆は皇帝の遺骸を放置し、マキシマスの遺骸を掲げて去っていくのだった。 (Wikipediaより)
「ポルトガル淡彩スケッチ・サムネイルもくじ」1851-1970(2019年9月26日(木)~の日記)
https://blog.goo.ne.jp/takemotohitoshi/e/1b20be2f9b3e46c0ce22f16df6c73e42
「ポルトガル淡彩スケッチ・サムネイルもくじ」1731-1850(2019年5月29日(水)~9月25日(水)の日記)
https://blog.goo.ne.jp/takemotohitoshi/e/36acf48c9a63a21fc3b69a9ec13a11e8
「ポルトガル淡彩スケッチ・サムネイルもくじ」1601-1730(2018年10月22日(月)~2019年5月28日(火)の日記)
https://blog.goo.ne.jp/takemotohitoshi/e/b408408b9cf00c0ed47003e1e5e84dc2