この仕事に就いて初めて赴任した学校が児童数6名になってしまい、新年度から隣の学校に統合されるということで閉校式に招待されたので行ってきました。
この学校に赴任したのはまだ18歳だった。2年間で引き上げになり最初で最後の事務職員になってしまったけれど色々な思い出がいっぱい詰まっている場所です。仙台で1年ほどひとり暮らしはしていたけど、初めての自炊生活、初めてのマイカー通勤、初めての職場の飲み会、ひとり暮らしになれてくると地元の友達が海への行き帰りに寄ってきたり、学校に来た捨て犬を飼うことになったり、そういえばあの犬は利口な犬でジムニーのドアを開けるとヒョイッと乗り込んできてよく海までドライブしたっけ。
仕事の方は何がなんだか分からないまま1年が終わり、2年目に色々手を付けようとして手をこまねいているうちに突然の異動となり結局なにもできないまま出てきてしまった。
水にも悩まされたっけ。遠くの沢からホースで水を引いていたのだけれど、どういう訳か途中で穴が開いたり切れたりして断水になることがあった。その度にホースが埋められているらしい場所をたどっていくと水が滲んでいてスコップで掘ると穴が開いていてその部分を切り取ってジョイントでつなぐ作業をずいぶんやった。オレが思うにあのあたりには塩ビパイプを食う生物が生息しているのではないかと今でも思っている。
いちばん思い出深いのは、人が温かかったということ。あのころ出会った人たちのおかげで今もこの仕事を続けられていると思っている。職場の同僚とは今では考えられないほど深い付き合いをさせてもらったし、地域の人たちにも飲み会のたびに迷惑をかけた。(二十歳になってからです。)スポ少に混ぜてもらったり、早起き野球、バレーボール、ソフトテニス、いろいろ混ぜてもらった。終了後の飲み会が楽しみだったのだが、夜な夜な練習してたっけ。
そんなわけで先日も前夜に当時の保護者のお宅で飲んで泊めてもらって閉校式に出席してきたのであります。何歳になっても変わらない奴ですみません。人の好意には素直に甘えるというのもこの場所で教わったような気がするなぁ。
閉校式は行政主導なのか実行委員会主導なのかよく分からないまま終わったけれど、寄付を集めて150万円強の記念碑を建ててしまうあたりがすごいと思いました。
式典から懇親会まで出てきたのですが、元同僚の懐かしい面々や元保護者や卒業生など同窓会のような感じで楽しい一時を過ごしてきました。あのころ職場の同僚と「北の国から研究会」を結成して、よくボロ住宅で「北の国から」のビデオを見ながら飲んで騒いでたっけ。しばらく集まってねえからそろそろんねっかなんねな。地域の人たちとも飲みてえな。タラポ(タラの芽)ができる頃にまたやっぺという約束をしてきたけれど行けるかどうか?。だんだん遠のいていくんだよなぁ。
学校がなくなることは、オレらの仕事がなくなることでもあり寂しい限りですが、校舎は残すようなので時々バイクででもいってみます。
地域に生きる人たちと、そこに育つ子どもたちに希望が満ちあふれることを願っています。
この学校に赴任したのはまだ18歳だった。2年間で引き上げになり最初で最後の事務職員になってしまったけれど色々な思い出がいっぱい詰まっている場所です。仙台で1年ほどひとり暮らしはしていたけど、初めての自炊生活、初めてのマイカー通勤、初めての職場の飲み会、ひとり暮らしになれてくると地元の友達が海への行き帰りに寄ってきたり、学校に来た捨て犬を飼うことになったり、そういえばあの犬は利口な犬でジムニーのドアを開けるとヒョイッと乗り込んできてよく海までドライブしたっけ。
仕事の方は何がなんだか分からないまま1年が終わり、2年目に色々手を付けようとして手をこまねいているうちに突然の異動となり結局なにもできないまま出てきてしまった。
水にも悩まされたっけ。遠くの沢からホースで水を引いていたのだけれど、どういう訳か途中で穴が開いたり切れたりして断水になることがあった。その度にホースが埋められているらしい場所をたどっていくと水が滲んでいてスコップで掘ると穴が開いていてその部分を切り取ってジョイントでつなぐ作業をずいぶんやった。オレが思うにあのあたりには塩ビパイプを食う生物が生息しているのではないかと今でも思っている。
いちばん思い出深いのは、人が温かかったということ。あのころ出会った人たちのおかげで今もこの仕事を続けられていると思っている。職場の同僚とは今では考えられないほど深い付き合いをさせてもらったし、地域の人たちにも飲み会のたびに迷惑をかけた。(二十歳になってからです。)スポ少に混ぜてもらったり、早起き野球、バレーボール、ソフトテニス、いろいろ混ぜてもらった。終了後の飲み会が楽しみだったのだが、夜な夜な練習してたっけ。
そんなわけで先日も前夜に当時の保護者のお宅で飲んで泊めてもらって閉校式に出席してきたのであります。何歳になっても変わらない奴ですみません。人の好意には素直に甘えるというのもこの場所で教わったような気がするなぁ。
閉校式は行政主導なのか実行委員会主導なのかよく分からないまま終わったけれど、寄付を集めて150万円強の記念碑を建ててしまうあたりがすごいと思いました。
式典から懇親会まで出てきたのですが、元同僚の懐かしい面々や元保護者や卒業生など同窓会のような感じで楽しい一時を過ごしてきました。あのころ職場の同僚と「北の国から研究会」を結成して、よくボロ住宅で「北の国から」のビデオを見ながら飲んで騒いでたっけ。しばらく集まってねえからそろそろんねっかなんねな。地域の人たちとも飲みてえな。タラポ(タラの芽)ができる頃にまたやっぺという約束をしてきたけれど行けるかどうか?。だんだん遠のいていくんだよなぁ。
学校がなくなることは、オレらの仕事がなくなることでもあり寂しい限りですが、校舎は残すようなので時々バイクででもいってみます。
地域に生きる人たちと、そこに育つ子どもたちに希望が満ちあふれることを願っています。
もう何年も会っていなかったけれど、3日くらい前に会っていたような感覚で話してしまいました。
学校も、地域のみなさんも、まるで今日で閉校とは思えないくらい穏やかな雰囲気で、それがあの地域の人たちのお人柄なんだろうなと思いました。いろいろなこと、いろいろな思いがたくさんあったンだろうけど、みんな笑顔でしたね。
私が担任したTさん(立派な大人になっていた)が今年26になると言っていましたね。私が大久保小に赴任したのと同じ年です。幼稚園の先生が話していましたよ。「大久保ってね、知らないうちに花壇に花が植えてあったりするんだよ。」って。
お世話になってばっかりで、何もできないまま閉校になってしまいました。この場をかりて申し訳ありませんが、大久保小、大久保のみなさん、ありがとうございました。
時間が過ぎるのは早いですが、思い出がたくさん詰まったあの校舎は当分なくならないことでしょう。近くに来たときには寄って下さい。
また学校に集まって周囲を散策してから呑田さんち(オールドアウルルス)で飲んで泊まるというのもいいですね。