「東大10人構想」は少子化対策であり、田村市から毎年10人の東大入学者を出せるような教育都市になれば、田村市で子どもを育てたいという若い人たちが転入してきて子どもが増えるというロジックらしい。そのために県立安積中学に1クラス1人の入学者を出す「1・1計画」として、教育課程にロードマップをつけて教師みんなで何を変えればよいか考えろと教育長が言ってるらしい。
これはそもそも市長が言い出した政策であることが、福島民報が1月に2回にわたって掲載した「新春に語る 2024年の抱負」の記事でわかった。行政から独立した機関であるはずの教育委員会が市長のいいなりとは、なんとも情けない話であると思う。市長はワンフレーズでわかりやすいアドバルーンで東大とか言ってるのかもしれないが、目的と手段が乖離していて、手段が目的化してしまって、いわゆる受験学力で子どもと教員を締め上げることになってしまっていないだろか。期待された子どもが東大合格というプレッシャーに潰されて安積高校で不登校になったらどう責任を取ってくれるのか。
そして学校現場では小学校の1クラスから1人の県立安積中学への合格者10人を含めて、安積高校に30人という数値目標が目的になってしまっていないだろうか。
そして進学指導拠点校の安積高校ばかりありがたがって、地元に残してもらえることになった船引高校をどう考えているのだろう。キャリア指導推進校は指示どおりに黙って働く労働者を育ててくれればそれでいいとでも考えているのだろうか。船引高校から福大に10人ではダメなのか?期待してないなら小野町に譲ったらよかったのではないか。
そもそも子どもと保護者に東大とまでは言わなくても、国立難関大学や地方大学の医学部に進学したいさせたいというニーズがどれほどあるのだろうか。政策立案にあたって教育委員会はリサーチしたのだろうか。学校では授業を妨害する子どもがいて、学力以前の問題が起きている状況で、どうやって学力を上げるというのか。やる気のない人たちにどうやってやる気を持たせるというのか。
家庭の教育力や経済力が大きく影響することは今や常識なのだから、そこにテコ入れしなければただのアドバルーンでしかない。今の状況では福大に10人だって難しいのではないか。
それでやってることは、雑誌の購入、スクーバスでの英会話リスニング、数学や英語の特別講座、ラウンドテーブル、東大見学ツアーなどお金のかからない施策ばかりで本気さが全く伝わって来ない。アドバルーンだけでなく本気でやるなら人と金を手当すべきだし、家庭への啓発や経済的支援も欠かせない。
現場の教職員は教育委員会に対する怒りと失望で、ベテラン教員は辞めていくし、若手は田村市から出ていく悪循環が起きるとオレは見ている。
東大10人構想とか言う前に人とカネの教育条件を充足させてもらいたい。学校のトイレを新しくしてもらいたい。照明をLEDにして明るくしてもらいたい。教材費を無償にしてもらいたい。給食費を全員無償にしてもらいたい。
市長の言う子どもたちの学ぶ場を充実させ、「人財」を育てるとはどういうことか。学ぶ場って塾の誘致か?学習スペース作りか?そんなことで田村市に住みたいと思うか?田村市で子育てしたいと思うだろうか?
学校では授業中に奇声を発したり、授業に関係ないことをしゃべっていたり、授業を妨害する子どもがいる。先生の指導に対してはああ言えばこう言う。子ども同士で揉め事を解決できず1日中むしゃくしゃして授業にならない子どもがいて、学力以前の問題が起きている。まずはそういう子への対応をするために通常学級への支援員を配置してもらいたい。
もしかしたらオレらのような昭和世代の価値観は通用せず、嫌いな物は食わないし、嫌いな友達とは付き合わない。集団生活する意味が分からない。必要な情報はYouTube先生とGoogle先生に教えてもらうから、学校に来る意味が分からないし、楽しくないから不登校が増えているのではないだろうか。そう考えると学校に来てくれるだけマシなのではないかと思えてくる。
市はこれまで18の学校を潰して、どれだけの教育予算を減らしてきただろうか。ちょっとでも維持して人とカネを残った学校に配分していたらどれだけ教育環境が充実して、保護者負担を減らせただろうか。
市長がアドバルーンをあげている今が教育予算増額のチャンスなのだから、行政にいる人にしかできない政策立案と予算要求をしてもらいたい。逆に予算をつけられないなら、絵空事にすぎず、みっともないから撤回したほうがいい。
教育基本法
第一条(教育の目的)
教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます