毎日飲み過ぎて疲れきった体で明日の初詣のためにムラの神社掃除に行ってきた。掃除が終わってから軽く御神酒をいただくのだがオレはその後出かける用事があったので飲まないで帰ってきた。夜は例年のように紅白を観ながら定番のごちそうをいただいて、金箔入りの酒を飲んで穏やかな年取りとなった。 . . . 本文を読む
3年くらい超整理手帳を使ってきたけどビミョウに飽きてきたので来年は変えてみることにした。コクヨのA5カバーノートSYSTEMICにCampusDiary2011とお気に入りのノートEDGE TITLEをセットして使うことにした。 . . . 本文を読む
今日は同業者サークルの望年会があってぎっちり飲んできた。帰りの磐越東線の中で座席を無駄に占拠しているバカガキを見て考えさせられた。オレなんかは席が空いていても座る気はないけれど、だからと言って「誰も座らないだろうからいいだろう」と考えるのは醜い日本人なのではないか。誰かが座るかもしれないと慮って空けておくのが美しい日本人なのではないかと。 . . . 本文を読む
遂にデジタル一眼レフを買った。しかもフォーサーズ。ぎりぎりまでCANONの60Dと迷ったがモノとしての質感が良かったのと、フォーサーズシステムに魅力を感じてしまったのだ。しかもパナソニックはミラーレスのマイクロフォーサーズへ移行しオリンパスだってメインをそちらに切り替え、これまでのフォーサーズユーザーへのご愛顧的にE-5をリリースしたものの今後はどうなることやら。 . . . 本文を読む
国労支援のための団結スルメ。以前はウチの支部でも販売していたのだけれどいつの頃からか販売しなくなった。まぁスルメどころではないか。それがカミさんの学校がある隣の支部では今も販売しているらしい。販売というか押し売りに近いのだろうけれど、、、。国労も決着がついたのだからもう販売する必要がないのではとも思ったが、もしかしたら組合員に絶大な需要があるのかもしれない。 . . . 本文を読む
ナチュラムからポイントが今月で失効するというメールが届いていて、5,000円以上送料無料キャンペーンも27日で終了するということもあり、サンタさんからのプレゼントっていうことでポチっておいた品が届いた。本当なら25日に配達になる予定が雪のせいで佐川急便のトラックが登ってこられず持ち帰ったらしく、ようやく軽ワゴンで配達された。 . . . 本文を読む
夜は子どもたちが仮面ライダーの映画を観たいというのでテアトルに行ってみた。カミさんは吉川晃司が出ているという理由で子どもたちと一緒に観るというので、オレは1人で違う映画を観ることにした。相棒も良かったのだけれど、別の建物だったのであきらめ、仮面ライダーの隣の部屋で上映していたノルウェイの森を観ることにした。 . . . 本文を読む
昼はカミさんの要望にお答えして「麺家くさび」のラーメンを食いに行くことにした。入るなり「史上最大のボリューム」というポスターに目を奪われ、これはブログネタにもちょうど良いしと思って注文してみた。 . . . 本文を読む
今日はきれいな青空が広がったので近くの山にソリ遊びにでかけた。年に数回しか着なくなったノースフェイスのスキーウェアはちょっとカビ臭くなっていたが、ここのウェアは我ながらベストチョイスだったと思っていて、買ってから10年以上になるけれど現行モデルとほとんどデザインが変わっていない。普通のスキーウェアなら10年前のものはほとんど着られないだろうなぁ。まあもともとスキーウェアというよりも雪遊び用のゴアテックスウィンドブレーカーといったところだからな。そして子どもたちにもフル装備させて出かけた。 . . . 本文を読む
会津では記録的な大雪で国道49号で車が立ち往生し丸1日閉じ込められ自衛隊が救助のために出動したとか。今も停電が続いている地域もあるようで、時代は違うけれどこのあたりで昭和55年にあった大雪のレベルかと思った。あのときオレは小学校低学年でクリスマスから年末にかけてロウソクで過ごしたことを覚えている。先週は12月だというのにすごい雷雨が降り、あれがもし雪だったらと思うと恐ろしくなってしまう。 . . . 本文を読む
実は磐梯熱海温泉の帰りにカミさんと子どもたちが東口付近に来ていたので迎えに来てもらった。カミさんの車に乗り込んで帰るつもりが、genが何か食べたいとかビッグアイに行きたいとか言いだし、それなら父ちゃんと行くならいいよと聞いたら行きたいというので再びgenを連れて駅へ戻ることにした。 . . . 本文を読む
ウチの職場は地元での忘年会が多かったのだけれど今年は趣向を変えて磐梯熱海温泉で開催することになった。宴会では大騒ぎしていて写真を撮るのを忘れたため、写真はチェックアウト後のラウンジでの一コマ。 . . . 本文を読む
「学校にいる唯一の行政職員」とか「教育行政職員」と自らを規定することがあるが、もともと学校事務職員は教員が行っていた業務を専門的に担うために派生し、配置されたという歴史がある。戦後すぐのころは教員と同一の賃金体系であったものが、教特法適用除外によって分けられ、その後、独自給料表や、福島のような行政職給料表を準用するに至っている。そして我々が行政職員ではないから学校事務職員独自採用であり行政機関との人事交流を行っていないのだろう。つまり行政職員でも教育職員でもなく学校にいる教職員の一員である学校事務職員なのだと思う。 . . . 本文を読む